王者かかる1戦でも攻めの姿勢を崩さなかったホンダ高橋巧。レース1で野左根のインに入った理由

 全日本ロードレース選手権JSB1000クラスは11月3日に鈴鹿サーキットで最終戦を終え、中須賀克行(YAMAHA FACTORY RACING TEAM)が2年連続9度目のチャンピオンに輝いた。一方、ポイントリーダーで最終戦を迎えた高橋巧(Team HRC)はレース1で転倒を喫し、16位となったことでポイントリーダーから陥落。逆転を目指してレース2ではポール・トゥ・ウインを果たすが、中須賀が2位に入ったため4ポイント差でタイトルに届かなかった。レース2を終えた高橋の目に涙はなかったが、発する言葉の端々からは悔しさがにじみ出ていた。

 最終戦のレースウイークは木曜日から始まった。初日の走行で高橋は総合トップタイムを記録したが、タイムは2分5秒134と第2戦鈴鹿の初日のように2分4秒台に入れることはできずにいた。金曜日の走行では2分5秒を切る2分4秒918をマークするが、タイトルを争う中須賀が0.349秒上回られ、トップを奪われた。

 迎えた翌日の予選日。高橋は午前に行われたレース1予選で2分3秒592を叩き出し、第2戦鈴鹿の予選で記録したレコードタイム2分3秒874を塗り替えてレース1のポールポジションを獲得。午後のレース2予選でも序盤で2分4秒385でトップとなり、最終戦でダブルポールを獲得し、予選日で第2戦鈴鹿のような勢いを取り戻した。

「予選でも中須賀選手は速くて、絶対レコードを狙ってくると思ていました」と予選を振り返る高橋。

「2分3秒は簡単に出せないと思っています。それをこの1年で中須賀選手に出されたら嫌だと思っていたし、レコードを超えられたら超え返す気持ちで走りました」

 ランキングトップでも守ることなく攻めの姿勢を見せていた高橋。その姿勢は決勝日のレース1でも変わらなかったが、ここでまさかの転倒を喫してポイントリーダーから陥落してしまう。

■高橋が語る接触と転倒の状況

 レース1のスタートでポールポジションからスタートした高橋巧は、3番手スタートの野左根航汰(YAMAHA FACTORY RACING TEAM)にホールショットを奪われ2番手に後退。その後、2コーナーで野左根のインに入り、トップを奪い返そうとするが、同じく中須賀がインに入ったことで高橋は行き場を失い、野左根と接触する。この接触で高橋のマシンは起き上がりラインを外すと、再び野左根と接触。高橋はコースを外れて最後尾に落ちる。

 この時の状況について高橋は「野左根選手と1回当たったあとマシンがはね、他を避けようと思ったら野左根選手のリヤに当たってしまいました。その時に転倒しなくてよかったです」と振り返る。

 野左根との接触で最後尾となった高橋は、トップ集団に追いつこうとプッシュするが、その最中にデグナーカーブで転倒を喫してしまう。転倒した高橋はマシンを起こして再スタートし、ポイント圏内を目指して追い上げ、最終的に16位でレース1をフィニッシュした。

 デグナーカーブでの転倒は「焦っていたわけではありません」と高橋。その時の状況を語る。

「抜けるところで抜いておこうと思い、コーナーへ入っていったらリヤが流れてオーバースピードになってしまいました。それでグラベルに出てしまったら、また(序盤の接触と)一緒だと思ったので、何とかマシンを曲げようとしたのですが曲げきれず、ゼブラの外側のグリーンに乗ってスリップダウンしてしまった感じです」

 転倒によるマシンのダメージは大きくなかったという高橋。「転倒でブレーキレバーが折れたくらいでした。そのレバーは可倒式だったので自分で直して走り出しました。走り出すと少し問題があって、おかいしなと思いながら走っていました。それでも2分5秒台を1回出して、以降は2分6秒台で走れました」

「本当に無駄な転倒をしてしまいました。あれひとつでチャンピオンを獲れずだったので、もう悔しさしかないです。正直、走りながらずっとイライラしていましたが、2019年最後のレースだったし、レース1では少しでもポイントを獲って、自分のできることを最大限やろうと思いました。その結果16位まで上げられ、最低限ポイントは獲得できました」

■レース1で野左根のインに入った理由

 レース1を終え、優勝した中須賀は239ポイント、高橋は230ポイントとなり、ランキングで逆転されてしまう。その差は9ポイント。高橋がチャンピオンを獲得するには中須賀が高橋より5つ下の順位で終えることが条件という厳しい状況だった。

 迎えたレース2、高橋は序盤から後続を引き離して独走態勢を築くと、2位に14秒986の大差をつけてポール・トゥ・ウインを果たすが、中須賀が2位に入ったことで、チャンピオンは中須賀に決まり、高橋はランキング2位で終えた。

「レース2で負けたら本当に負けだと思ったので、最後は絶対優勝して終わりたかった。レース1の悔しさがすごくあったので、サイティングラップでしっかりタイヤを温めて、1周目からいけるように準備しました。優勝できたのはよかったです。チャンピオンはあきらめていなかったですが、本当に何かない限りは可能性はなかったので、最後に速さを見せたかった。レース2ではそれを見せられたと思います」

 レース1から攻めていき、接触と転倒の結果チャンピオンを逃してしまった高橋。逆にレース1ではスタートで先行せず、一歩引いて様子を見る選択はなかったのか。これについて高橋はこう答えた。

「(野左根のインが)空いていたから、そこに入った感じです。引くことも考えましたが、野左根選手がオーバースピードでアウトにはらんでいったので、インから抜けるんじゃないかと思い、インに入りました。そうしたらインから中須賀選手が来ていて、それに気づいてバイクを起こしたときにはどうしようもなかったです」

「結果的に順位を落としてしまいましたが、あそこでおとなしくしていたら、また状況は違ったかもしれません」

■後半戦前に「怪我をさせてしまったことが悔しい」と宇川監督

 Team HRCを率いる宇川徹監督は、チャンピオンを逃した2019年シーズンを次のように総括した。

「最終戦では巧がレース2のような走りをレース1でできると思っていました。鈴鹿は絶対的な自信があったし、巧を信頼していました」

「後半戦もてぎ(第5戦)前のテストのときマシントラブルで転倒させて怪我をさせてしまったことが悔しい。その怪我がなかったら、中須賀選手にポイント差を縮められなかったと思います。そこは巧に申し訳ないです。マシントラブルはチームの責任なので。転倒だけならまだしも、怪我をさせてしまったのが余計でした」

 2019年シーズンのチャンピオンを逃した高橋だが、2020年はスーパーバイク世界選手権(SBK)への参戦が噂されている。11月5日にはイタリア・ミラノで開催されるミラノ国際モーターサイクルショー(EICMA)がスタートし、ホンダはそこでは2輪モータースポーツ世界選手権参戦体制発表を行う予定だ。高橋がSBKに参戦するかしないかはミラノショーでの発表でわかるはずだ。

 宇川監督に高橋のSBK参戦について聞くと「5日に何らかの発表があると思いますよ」とコメント。2019年シーズンの全日本は悔しい結果に終わった高橋だが、2020年はこの悔しさを糧に世界の舞台で活躍する姿を期待したい。

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