とよなか ゆめ・まち・ひと リレーエッセー

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■ターニングポイント(松本宗利音さん・札幌交響楽団指揮者)

ターニングポイント
僕は今、オーケストラの指揮者として仕事をしているが、かつて豊中で暮らしていた頃、特に中学3年生の夏前くらいまでは指揮者はおろか、音楽家になるとは思っていなかった。確かに僕は小さい頃からバイオリンとピアノを習い、中学生で、大阪センチュリー(現、日本センチュリー)交響楽団のユースオーケストラに所属していたので、今考えれば常に周りに音楽がある環境で育った。しかし当時の僕は、親も学校も驚くほど不真面目な生徒であったし、プロの音楽家になれるほど楽器の練習もしていなかった。

そんな僕にも漠然と思い描いていた夢があり、それは淡水魚の研究者になることだった。当時はほとんど毎日、豊中市内外の川や池など、水がある所ならどこにでも行っては網や釣りざおで魚を採取していた。中学3年生の自由研究は「大阪府付近に住む魚」というテーマで取り組み、北摂のいくつかの川で採取した魚を、挿絵と共にまとめた。するとこれが校内で選抜され、豊中市の理科展に展示され、なんとさらに選抜されて大阪府から賞をもらえた。このことは、初めて世間に認められたようで、自信にもなったし、とても幸せだった。しかしそのころ大きな転機が訪れる。

毎年8月の終わりに服部緑地野外音楽堂で行われる「星空ファミリーコンサート」。これは二日間連続で行われる無料のコンサートで、センチュリー・ユースオーケストラも演奏に参加する。中学3年生の夏は、たまたま演奏者ではなく聴衆としてコンサート会場にいた。そこで僕は人生を大きく変える貴重な体験をした。

そのコンサートには毎年恒例の指揮者体験コーナーというものがあり、聴衆の中から3人ほどが選ばれて、プロの楽団を前に、指揮を振ることができる。曲はモーツァルト作曲の『フィガロの結婚』で、よく知っている曲ではあったが、僕は控えめに手を挙げた。すると幸運にも選んでいただき、実際に振れることになったのだ。元々音楽に親しんでいたし、指揮者というものを間近で見たこともあったので、なぜかうまくできる自信があった。そして指揮台に登って振り始める。最初はPiano(小さく)で始まり、程なくしてForte(大きく)になる。そのForteの瞬間、僕が身ぶりを大きくすると、オーケストラがそれに応えてくださったかのように大きな音が響き、その瞬間に千人以上の聴衆からの割れんばかりの拍手が起きた。鳥肌が立つとはこの事だ。この感覚は今でも鮮明に覚えている。

この事がきっかけになり、僕は京都の堀川音楽高校の指揮科を受験することに決め、その後、東京藝術大学を卒業し、駆け出しではあるが本当に指揮者になってしまった。さまざまな事が重なり合って今の自分が存在しているが、思春期という多感な時期に豊中でこのような体験を得られたことはかけがえのない宝物であり、特に日本センチュリー交響楽団の皆様には感謝してもしきれない。
今思い返せば、かつて淡水魚に対して抱いていた探求心が糧となり、現在指揮者として毎日音楽と向き合い精進する姿勢につながっているのかもしれない。

Q.演奏会の練習は何日前から始まるの?
A.普通、定期演奏会であれば、本番の日の直前2日間か3日間の期間で練習します。練習時間は1日あたり3時間から4時間に設定されていることが多いです。
そして、本番当日の練習はゲネラル・プローべ、略してゲネプロと呼ばれます。
これは本番前に通常2時間ほど行われます。ただ、例えば練習が1日しかない演奏会もありますし、オペラをやるとなるともっと長い期間練習をします。

■松本宗利音(まつもと・しゅうりひと)[札幌交響楽団指揮者]
平成5年(1993)生まれ。豊中市出身。東京藝術大学音楽学部指揮科卒業。指揮を尾高忠明、藏野雅彦、高関健、田中良和の各氏に師事。東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団指揮研究員を務めた後、同31年4月に札幌交響楽団指揮者に就任。これからの活躍が注目される若い世代の逸材。名前の宗利音は、世界的指揮者であるカール・シューリヒト氏の夫人に名付けられた。

※奇数月は「リレー47エッセー」、偶数月は「豊中っ子」を掲載します