新人記者、山伏修行で生まれ変わる! 修験道の聖地・出羽三山へ

滝行をする福岡未歩子記者

 この春大学を卒業したわたしは、新人記者として山形に赴任した。記者生活は不規則な上、慣れない仕事に体調も崩しがちだった。近くの神社にお参りしても一向に改善しない。「おはらいに行った方が良い」。会社の先輩から言われ続けていたとき、インターネットで山伏修行を知った。場所は修験道の聖地、出羽三山。山形に来たからには行ってみたい。先輩に相談すると「記事にしてみたら」と言われた。2泊3日の短い期間だが、俗世間との関係を断つ決意で参加を決めた。

 山伏の修行は生まれ変わりの旅だ。山に入ると死に、地獄、修羅、畜生、餓鬼などの世界を表現した「南蛮いぶし」「天狗相撲」などを勤め、最後に出産にあたる「火渡り」をする。

 主催の「いでは文化記念館」によると、出羽三山は月山、羽黒山、湯殿山の総称。約1400年前に蜂子皇子が開山した。日本古来の山岳信仰が仏教や道教などの影響を受けてできた修験道の霊場として発展し、年間約40万人が訪れる。

 修行は9月6~8日で、参加者は男女計33人。青森市の会社員野呂金雄さん(65)は、還暦を迎えたとき、生まれ変わりの行に興味を持ったという。

 山伏の服装は死者の姿を現す。じゅばんやはかまなど白い法衣一式を身にまとう。そして白い手拭いを額の左右に角を作るようねじって頭に巻く。これは大日如来の「宝冠」に見立てており、三山参りを成就させるためにつける。修行の間は風呂も歯磨きも許されず、スマホや時計も没収される。「先達」という先導役が鳴らすほら貝の音に従って行動し、何を言われようとも「受け給う」と答え、受け入れなければならない。

 初日の6日は、いでは文化記念館に集合して白装束に着替え、羽黒山に登った。それほどつらくなく、「これぐらいなら乗り切れそう」と思った。しかし、甘かった。本格的にしんどい修行となったのは2日目からだった。

山形・月山を登る山伏修行体験の参加者

 7日は快晴。強い日差しの中、底の薄い地下足袋で日本百名山にも数えられている月山(標高1984メートル)に登る。花々が咲く美しい景色が広がるのはスタートの8合目付近のみ。少し登ると、太陽を遮る木々もなくなって、汗びっしょり。白装束がべたっと体に張り付いた。岩だらけの足元に注意しながら、なんとか頂上にたどり着く。自分に見立てた人形の紙を神職から受け取り、おはらいをしてもらう。その後、紙を腕や足にこすりつけて人形に汚れを移し、水場に流す。つき物が落ちた心地がした。

 下山は足の痛みとの戦いになった。ごつごつした岩の感覚が足裏に伝わる。まめがいくつもでき、両足の親指の爪が割れ血がにじむ。泣きそうだ。「ゆっくりで良いですか」。迷惑を掛けないよう、後ろを歩く人に声を掛け、すべらないよう慎重に、心を無にして足を進めた。

 途中で、こぶしより一回り大きい塩むすびを食べた。白飯をこんなにおいしいと思ったのは初めてだ。みそ汁も疲れた身に染みた。普段から山登りをするという千葉市の公務員田中さやさん(34)は「足の裏で岩の感覚が分かるのがおもしろい」。足がぼろぼろのわたしと違ってかなり余裕がありそうだった。

 下山後の滝行は、つらさより冷たい水の気持ちよさが勝った。暑い上に、風呂に入らなかったため頭がかゆくてなかなか眠れなかった。こんなに汗をかいて風呂に入らなかったのはもちろん初めてだった。滝に入り目をつむって、頭の宝冠が崩れるほどの水流に耐える。寒さで震えたが、それ以上にすがすがしかった。

 夜は最も恐れていた南蛮いぶし。ネット上の個人のブログなどで見た情報では、多くの人が一番つらいと書いていた。

 南蛮いぶしは空気のありがたみを感じるための修行だ。閉め切った部屋で唐辛子などの薬味がたかれ、すさまじい刺激臭と煙が充満する。一度せきをすると止められない。鼻水をすすると唐辛子も吸ってしまうので垂れ流す。目だけは強く閉じて守る。時間が教えられないのでどれぐらいたったか分からない。終了のほら貝の音で部屋を飛び出し、きれいな空気を吸った。空気はありがたかった。それでも体から立ちこめる煙と唐辛子の臭いはなかなかとれず、しばらく苦しめられた。

 朝は4時にホラ貝で起こされる。食事は3食とも茶わん山盛りのご飯にみそ汁、漬物2切れ。早い人は2~3分で食べ終わる。ふだん少食の私はご飯を食べきるのに必死で、こっそりみそ汁で流し込んでいた。山頂ではあれほどおいしく感じたのに。

羽黒山の石段を下る、山伏修行体験の参加者

 最終日の8日、羽黒山山頂へは2446段の石段が続く。つらくて息が上がる。まめができている足は踏むたびに猛烈に痛い。景色を楽しむ余裕はなく、下を見て進む。先達は涼しそうな顔をしていたが、参加者らは息が荒く足取りも重そうに見えた。

 頂上に着くと、三山の神をまつる祭殿の前で「綾に綾にくすしく尊と 月山神の御前を拝み奉る…」と、尊い神をたたえる三山拝詞(さんざんはいし)を唱える。先達の低く伸びのある声に導かれるように、腹の底から声を出す。30人あまりの声が重なり、山の空気が震えるようだった。

 下山するとクライマックスの火渡り。死んだ山伏が再び生まれる儀式だ。たき火に落ちてしまわないか不安だった。叫ぶように言われた掛け声「エイッ」は産声に当たるという。意を決して産湯に見立てた火の上を叫びながらジャンプする。

 熱いのは一瞬。でも達成感があった。無事この世に帰って来られた。参加者らも緊張が解け表情が和らぐ。自然と「お疲れさま」と声を掛け合った。

山伏修行体験の最後に行われた「火渡り」で、炎の上をジャンプする福岡未歩子記者

 修行後、宿坊で3日ぶりの風呂に入って2回髪を洗い、さっぱりした。修行が終わったんだな―。つらかったが、あっけなかった。「来年も修行に来たい」と言う人もいた。私は、今後また不運に見舞われたら来たいと思った。

 日常に戻った私は、少し元気になった。赴任してから、平穏と言われていた山形で急に事件が増えたり、地震が起きたりしていたけれど、修行後は少し落ち着きつつあるような気がする。

 ▽取材を終えて

 体験後、時間をつくって湯殿山に行った。出羽三山の中で月山は過去、羽黒山は現在、湯殿山は未来を表し、三山を参拝すると生まれ変わると言われているからだ。修行では月山と羽黒山に登ったが、全て登らないと生まれ変れないのではと、実は心配で仕方なかった。そして、今日も月山を拝み、健康と平穏な毎日を祈りながら仕事をしている。(共同通信=福岡未歩子)

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