なんで?背番号「4」を付ける10名の“攻撃的”サッカー選手

現在サッカー界の背番号は一部を除いて固定制となっているが、かつては固定制ではなくポジションによってほぼその番号が割り当てられていた。

これは各国によってやや異なるのだが、基本的には「1番」ならGK、「9番」ならエースFW、「10番」ならエースといった具合だ。

「4番」は主にDFに与えられる数字である。その伝統は固定制となった現在でも続いているのだが、攻撃的な選手でありながらこの番号が“代名詞”となっている選手もいる。

11月4日の今回は、アタッカーにも関わらず「4番」が印象深い選手たちを紹介してみよう。

セスク(モナコ)

セスクはスペイン代表でこそ10番を付けたものの、2005-06シーズンからアーセナル、バルセロナ、モナコと3クラブで4番を付け続けており、近年のサッカー界において代表的な「攻撃的な4番」となっている。

これは彼が「5月4日生まれ」「家の番地が4番」であり、憧れだったジョゼップ・グアルディオラ(現シティ監督)が4番だったこと、当時アーセナルの先輩パトリック・ヴィエラが退団してこの番号が空いていたことに由来する。

ルート・フリット 

マルコ・ファン・バステン、フランク・ライカールトと共に“グランデ・ミラン”を築き上げたオランダの伝説的なスター選手 。

彼はミランやオランダ代表では基本的にエースナンバーの10番を付けたが、サンプドリアとチェルシーでは4番を付けた。これが後の選手たちにも大きな影響を与えている。

本田 圭佑

現在フィテッセの練習に参加している本田圭佑は、日本を代表する「攻撃的な4番」であろう。

もともと「10番が欲しい」と公言していたものの、日本代表に入った当時には中村俊輔が、その後は香川真司が出現したためその夢は叶わず。別の番号を模索し3か4に絞ったが、当時3番を付けていた駒野友一(現FC今治)にやんわり断られたため4番になったという。

ヌワンコ・カヌ

2m近い長身ながら吸い付くようなボールタッチが絶品だったFW。ジェイジェイ・オコチャらと同じナイジェリア黄金世代の一人で、アヤックス、ミラン、アーセナルなどで活躍した。

彼はアーセナル時代に着用した25番の印象が強いが、クラブでは特定の番号を持たなかった。一方ナイジェリア代表では4番を付け続けており、これはルート・フリットへの憧れだったとの情報(真偽は定かではない)も。

ティム・ケイヒル

ワールドカップに3大会出場し、オーストラリア代表で歴代最多50ゴールを記録したレジェンド。滞空時間の長い跳躍力は異次元で、日本代表の前に何度も立ちはだかった。

そんな彼はデビューしたミルウォール以外クラブでは一度もこの番号を付けなかったが、代表では4番の象徴的な選手となっている。これは特に理由はなく、もともとはセンターハーフだった彼にたまたま空いていた4番が与えられ、その番号で活躍したからだという。

エマニュエル・アデバヨール(カイセリスポル)

かつて欧州で最も期待されたストライカーの一人は、アーセナルなどクラブでは25番や10番などを付けてきたが、トーゴ代表では一貫して4番を愛用した。

これは彼が前述のヌワンコ・カヌを尊敬することからきているとのこと。ちなみに今夏カイセリスポルに加入したが、ここで初めてクラブで4番を付けている。

ハル・ロブソン=カヌ(WBA)

2016年のユーロで、ウェールズ代表を4強に導いたアタッカー。生まれはイングランドで、同国のユース代表に選ばれた経験も持っている。

彼はクラブでもウェールズ代表でも主に9番や19番などを付けているが、2016-17に加入したWBAから4番を付けるようになった。彼もまた、同姓であるヌワンコ・カヌへの尊敬からきていることが伝えられている。

菅 大輝(コンサドーレ札幌)

今年のコパ・アメリカで日本代表に初選出され、東京五輪での活躍も期待される21歳のレフティモンスターは今年から札幌で4番を付けている。

彼は代表でも札幌でも左のウィングバックが基本であり、この番号に違和感があるわけではない。ただもともと攻撃的な選手で現在もFW登録されており、その意味では紛れもなく「攻撃的な4番」といえよう。

ダリオ・シルバ

銀色の髪型と神出鬼没な動きを持ち味とした元ウルグアイ代表のFW。典型的なストライカーで9番を付けることが多かったが、セビージャ時代にFWながら4番を付けた。

なお、彼は交通事故により右足を切断し選手生命を絶たれてしまったが、最近、スペインのピザ屋でウェイターとして働いていることが報じられている。

大久保 嘉人(ジュビロ磐田)

37歳になった今も現役を続ける元日本代表のFWは13番の印象が強い。しかしながら昨年、川崎フロンターレに復帰した際には4番を選択して周囲を驚かせた。

本人によるとこれは本田圭佑の影響ではなく、「足すと13(1+3)になる」「同級生の井川祐輔が川崎で愛用した番号」「庄子春男GMが現役時代に4番を付けていた」ことを理由にあげている。

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