最後は他の追随を許さなかった。
プロ野球でパ・リーグ2位からクライマックスシリーズ(CS)を勝ち上がったソフトバンクは、日本シリーズでセ・リーグ覇者の巨人をスイープ。ポストシーズン最多タイの10連勝で締めくくり、球団初の3年連続日本一に輝いた。
史上初となる2年連続の「下克上V」。昨年以上に強さを感じさせたのは日本シリーズで遊撃にこの男がどっしりと座っていたからだろう。
過去にゴールデングラブ賞5度、ベストナインにも2度選ばれている今宮健太のことだ。
左太もも裏の故障。昨年、今年と今宮を語る上で避けては通れない言葉だ。
昨年9月に「左半腱半膜様筋損傷」と診断されて離脱した。約1カ月後の日本シリーズは急ピッチで復帰したが、再発して終えた。
左脚のリハビリに励みながら、「ショートはお前だ、という結果を残したい」と例年以上にバットを振り込んだ日々。今年の開幕戦では再び先発に返り咲いた。
癒えた左脚を高く上げてから、172センチの小柄な体をクルッと回転させる。ここ数年で磨き上げてきた打撃フォームで、昨季の鬱憤(うっぷん)を晴らすように打ちまくり、5月上旬にはリーグで打率トップに立っていた。
取材する身としてはこの時期、楽しみで仕方がなかった。守備の運動量が多いとされる遊撃手で首位打者なら、リーグ3人目の快挙となる。
大分・明豊高で鳴らした打力がプロ10年目にしてついに開眼か。浮かれ気分でそんな話題を本人にぶつけると、地に足のついた言葉が返ってきた。
「正直気にしていない。まだ5月なので」。左太もも裏の故障との戦いがまた、目前に迫っていた。
違和感を覚えてきたのは5月下旬ごろだった。
「左脚が重くなって、だるくなって」。昨年のような損傷ではない。いつの間にか周りの神経が圧迫されていた。「捕球の姿勢が一番つらかった。座るのもしんどかった」
打撃にも悪影響が出始め、6月22日には出場選手登録を抹消された。
「なぜこうなったのかは分からない」と原因は今でも不明だ。
昨年のようなリハビリ生活に逆戻りし、復帰時期も予定よりずれ込んだ。
それでも落ち込む姿は見せなかった。報道陣に「僕の動きどうでしたか?」と明るく逆質問したり、カメラを借りて同僚の練習姿を撮ったり。
「今後離脱することなく、と考えていた」と地道に前向きに取り組み、7月23日に1軍復帰。初打席でいきなり本塁打を打った。
最後まで戦い抜くため、優勝争いのさなかに決断したことがある。
「最初の打ち方がベストだけど、脚を上げて下に着くまでがしんどい部分もあった」
高く上げていた左脚を従来よりも下げる打撃フォームに変えた。
レギュラーシーズンではなじまず打率2割5分6厘と低迷したが、西武とのCSファイナイルステージ第4戦で実る。
プロ初の3本塁打を含む5安打6打点の大暴れでCS最優秀選手を受賞した。
「あれは神がかっていたというか、よく分からない」と照れ笑いを浮かべたが、紆余曲折を経て、シーズン序盤のような「打てる遊撃手」として復活を遂げた。
そこからは勢いで突っ走った。日本シリーズは全4試合にフル出場。守りでも第4戦では1点リードの九回、三遊間の当たりを好捕してから強肩でゴロアウトにした。
リーグ優勝を逃した9月24日の楽天戦では勝ち越し点につながる失策を犯したが、汚名返上とばかりに日本一をたぐり寄せた。
「トレーナーさんには毎回左脚の治療やマッサージをしてもらった。感謝の一年、感謝の日本一です」と言葉に実感をこめた。
休む間もなく、11月は宮崎秋季キャンプで左脚のトレーニング方法を学んでいる。
けがと向き合い続けた2年間を乗り越えた来季が今から楽しみでならない。
松坂 和之進(まつざか・かずのしん)
大学では学生スポーツ新聞サークルに所属。2015年共同通信入社。大阪社会部を経て、16年は大阪運動部でサッカー、阪神などを担当。17年末に福岡運動部に異動し、ソフトバンクを主に取材している。埼玉県出身。