ディランはやっぱり怪物だった。「はるかに出来のいい」テイクを収録した3枚組LP『トラヴェリン・スルー』

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ノーベル文学賞受賞後初となる来日公演が2020年4月に決まったのも大きな話題になっているボブ・ディランだが、発掘音源のリリースが止まらない。

今年は6月に、すっかりおなじみになった「ブートレッグ・シリーズ」には含まれないライヴ音源14枚組CDボックス『ローリング・サンダー・レヴュー 1975年の記録』がリリースになったから、76年まで続いた歴史的なツアーの後半が続くのかと思っていたら、そうではなくて、「ブートレッグ・シリーズ」の15作目が登場となったのだ。

Bob Dylan『Travellin' Thru, 1967 -1969: The Bootleg Series, Vol.15』(COLUMBIA/Legacy、19075981921)※2019年11月1日発売

伝説になっていたライヴ音源や、レコーディング・セッションをドキュメントしたアウトテイク集などを、ランダムに、聴けるかぎり商品化してきた「ブートレッグ・シリーズ」は、 “謎に包まれた男” として知られるディランの “真の姿” を伝えるものとして、「へたなオリジナル・アルバム以上に重要」と評されるようになっているが、第15弾『トラヴェリン・スルー』は、1967年から70年にかけてのさまざまな未発表音源で構成されたもので、またも素晴らしい内容になった。

ボックスに収められた3枚のLP。簡素ではあるが、デザインにも確かなこだわりを感じさせる

今回はCDもLPも3枚組。アナログ盤の復権を意識したのか、LPの箱も簡素で、価格が抑えられている。「ブートレッグ・シリーズ」のアナログ盤は収録曲が膨大だとダイジェスト版になることが多かったから、LPを購入するだけで全部聴けるのは嬉しいかぎり。簡素とは言え、ボックスのデザインは気が利いているし、資料性の高いブックレットも文句なしである。これまでは箱が重厚すぎて開けるのも面倒なほどだったから、このぐらいの方がかえって好ましい。

■数々のミュージシャンに影響を与えたディランの “前向きなルーツ回帰”

66年7月のバイク事故をきっかけに隠遁生活を余儀なくされたディランは、67年春からウッドストックの “ビッグ・ピンク” で、のちに『ベースメント・テープス』として陽の目を見る大量のデモ録音を、ザ・バンドの面々と行った。しかし、同年10月、11月にナッシュヴィルで行われた新作のレコーディングにはザ・バンドを帯同せず、チャーリー・マッコイやケネス・バトレイといった当地のスタジオ・ミュージシャンを起用して、フォークに回帰した『ジョン・ウェズリー・ハーディング』を12月27日にリリースする。

サイケデリック・ロックが音楽シーンを席巻している最中に出たこのアルバムは、 “最先端のロック” を感じさせたザ・バンドとの66年前半のツアーの “つづき” を期待していた多くのファンに肩透かしをくらわすものだったが、サイケデリック・ロックに飽きていたローリング・ストーンズなどはディランの行動を “前向きなルーツ回帰” と捉え、『ベガーズ・バンケット』と『レット・イット・ブリード』で、ブルース、カントリーやアメリカ南部のR&B;に根ざしたロックを完成させていくことになるのだ。

68年夏にはディランのもとから巣立つ形でザ・バンドがデビュー。『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』と名付けられた彼らのファースト・アルバムは、カントリー・ロックやスワンプ・ロックを世界に広めることになり、ビートルズやエリック・クラプトンにも多大な影響を与えることになった。

決定バージョンよりもはるかに出来のいい別テイク達

■決定バージョンよりもはるかに出来のいい別テイク達

『トラヴェリン・スルー』はまず、 “カントリー・ロック一番乗り” と言っても過言ではない67年10月17日と11月6日のナッシュヴィル・セッションから、『ジョン・ウェズリー・ハーディング』収録曲の別テイクを聴かせていく。バック・ミュージシャンと一緒にスタジオに入り、メロディやアレンジも決まっていないテイク1から本気で唄うのがディランのレコーディングだが、テイクを重ねる毎にメロディや歌詞を変えたり、リズムの解釈をまるで別のものにしてみたりするから、それぞれにしかない魅力が生まれる。テイクを重ねるうちに、曲がまるで違うものになっていったりするから、テイクを聴き比べることに大きな意味があるのだ。

ボックスの中には資料性も高いブックレット(英語)も同梱される

「ブートレッグ・シリーズ」で蔵出しされてきた別テイクには、世に知られることになった決定バージョンよりはるかに出来のいいものが少なくないため、ディランが何をもって “決定” としているのかが余計にわからなくなるのだけれど、その “逡巡” からはノーベル文学賞を獲る男の “思考” も垣間見える。テイクを重ね、アプローチを変えていくディランが、だから、面白いのである。

ナッシュヴィル・セッションは69年2月13、14日に飛ぶ。4月に発売される『ナッシュヴィル・スカイライン』のレコーディングである。声まで変えて “カントリー歌手” になりきったアルバムは、日本では当時理解されなかったが、アメリカでは週に10万枚ずつ売れていくほどのヒットになった。

先日、「ブートレッグ・シリーズ」に最初から関わっているプロデューサー、ジェフ・ローゼン氏を招いたコンヴェンションがソニーミュージックの乃木坂スタジオで開催されたのだが、選曲・構成を一手に引き受けている彼でも、蔵出しされたテープからどんなディランが飛び出してくるか、毎回興奮させられるそう。『ナッシュヴィル・スカイライン』のセッションでは、カントリー・ロックを具体化するためにバンドのアレンジを変えてみることが多かったようで、決定版よりもワイルドな演奏が楽しめる。

■アメリカ音楽の真髄に迫ろうとしたディランの“怪物”さ

ディスク2は、今回の目玉と言えるジョニー・キャッシュとのセッションだ。ふたりは63年に初めて会ったそうで、とても気が合ったのだという。レコード会社が同じコロンビアだったことが共演を簡単にしたのだが、ここでは一枚半に及ぶセッションからディランのアルバムに収録されたデュエットは「北国の少女」だけだった。

キャッシュのバンドにカール・パーキンスを加えての演奏は、「マッチボックス」などカントリー・ロック・クラシックスにも至って、とても興味深い。ふたりでオリジナルの新曲をつくるところまで行けば共演盤も夢ではなかったはずだが、69年2月17、18日の二日間でセッションは終わり、3月1日に収録が行われたABCテレビの『ザ・ジョニー・キャッシュ・ショウ』にディランがゲスト出演して幕となるのだ。

ディスク3のB面は、DVD化もされている『ザ・ジョニー・キャッシュ・ショウ』からの2曲。そして3月3日には翌年リリースになる『セルフ・ポートレイト』が始まるのだから、その変わり身の速さには驚かされる。

「ブートレッグ・シリーズ」では同作の膨大な未発表テイクから編まれた『アナザー・セルフ・ポートレイト』がすでに出ているため、ジョニー・キャッシュ・ファミリーの代表曲「リング・オブ・ファイア」と「フォルサム・プリズン・ブルース」のみがここに収録されることになったわけだが、キャッシュとの共演の “前後” という今回のコンパイルのしかたは素晴らしいと思った。

ラストは70年5月17日に、ニューヨークのトーマス・B・アレン宅で録音されたアール・スラッグス・ファミリーとの5曲。ブルーグラス界を代表するバンジョー奏者であるスラッグスとの共演は、ドキュメンタリー番組のために企画されたもので、71年のスラッグスのアルバムでも部分は聴けたが、ディランとの5曲が完全収録されたのは初めてのことだ。カントリー・ロック期のディランをブルーグラスで締め括るところは、プロデューサーであるローゼン氏のみごとな手腕と言っていい。

アメリカ音楽の真髄に迫ろうとした26歳から29歳にかけてのボブ・ディランは、やっぱり “とてつもない怪物” である。