「奇跡のアトランタから無念のリオまで」青の五輪日本代表ユニフォームを見る

6日に発表され、日本国内はもちろん海外でも大きな話題となっている日本代表の2020新ユニフォーム。

このNEWキットのハイライトとなる舞台は、間違いなく来年開催の東京オリンピックだろう。そこで、ここでは1996年アトランタ五輪以降の6大会で着用した五輪代表のホームキットを振り返ってみたい。

アトランタ五輪(1996年)

1996年のアトランタ五輪では、袖に炎をデザインした「炎モデル」と呼ばれるユニフォームを着用した。エンブレムはこの炎モデルから黄/赤/黄の新デザインを採用している。当時のA代表はPuma製のユニフォームを使用していたが、西野朗監督が率いた五輪代表はasics製だった。

シドニー五輪(2000年)

2000年のシドニー五輪で着用したのは「風モデル」と呼ばれるユニフォーム。青で“日本の国土とスピード感”を、白で“信頼とフェアプレー精神”を表現した。現在につながるadidasとの単独契約が始まったのは、このユニフォームからだ。

アテネ五輪(2004年)

2004年アテネ五輪で着用したのは、明るめの青と濃い青のグラデーションが特徴の「グラデーションモデル」。コンセプトは“経験と象徴”だった。首周りに国旗カラーの赤を使い、左袖には国旗を装着。随所に日本らしさを強調した一着だった。

北京五輪(2008年)

2008年の北京五輪で着用した「ご来光モデル」。放射状に伸びるゴールドのラインは、代表チームのさらなる飛躍を表現している。デザインのテーマは“日本魂”だった。

この大会はユニフォームの商業色を薄める等を目的とした国際オリンピック委員会の通達により、通常とはデザインの一部を変更。ヤタガラスのエンブレムは日の丸へ変わり、adidasのトレードマークであるスリーストライプスは外された。この方式は2012年大会以降も継続となっている。

ロンドン五輪(2012年)

2012年のロンドン五輪では、胸の中央を走る一本のストライプが特徴ある「結束の一本線」モデルを着用した。このデザインは選手やサポーターを含めた“日本人の結束”を表現している。ジャパンDブルーと呼ばれたダークネイビーの採用も新鮮だった。

左胸にはエンブレムではなく日の丸を付け、スリーストライプスは外されている。

リオデジャネイロ五輪(2016年)

2016年のリオ五輪で着用したのは、代表史上最も濃い青を基調とした「調和モデル」。青というよりも黒に近いネイビーで、胸部のグラデーションのストライプで“個性の異なる11人”を表現した。

この大会でもエンブレムの代わりに日の丸を付け、スリーストライプスは外している。この形式はおそらく来年の東京五輪でも維持されると考えられるが、「スカイコラージュ」のキットも同じパターンの五輪モデルの登場となるか、非常に気になるところだ。

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