アルバイトは禁止でも「働き方改革」でホワイト化、“今ドキ研修医”の懐事情

研修医といえば、ドラマ「白い巨塔」に登場する柳原研修医のように、「大学病院での雑用を押し付けられて長時間労働、給料は激安、教授に睨まれると僻地に飛ばされる」といった悲惨なイメージを持っている人も多いかもしれません。しかしながら、現在の研修医は「働き方改革」が、かなり進んでいるようです。

今回は「医者のヒヨコ」とでも言うべき研修医のお財布事情と人生を報告したいと思います。

※本稿は特定の個人ではなく、筆者の周囲の医師への聞き取りをもとにしたモデルケースです。


塩野大樹先生(仮名):26才、東京都内の私立A医大付属病院研修医、独身

【月収】
大学病院からの本給 月約25万円(ボーナスなし)
院内当直手当 1回1~2万円×3~5回
各種謝礼など 0~3万円

月額:25~35万円程度

【支出】
・住居・光熱・車両費:5万円(実家暮らしの自己負担分)
・食費:5~8万円
・衣料費:1~3万円
・学術費:3~5万円(医学書、勉強会参加、文献検索サービスなど)
・その他:2~5万円(スマホ、スポーツクラブ、旅行など)

【資産】
不動産:なし(実家)
車:なし(たまに実家のステップワゴンを使用)
預貯金:約30万円

2004年からの新研修医制度によって、研修医は「下っ端」から「お客様」へ

塩野先生は、東京都内の中堅私立医大であるA大の研修医2年目です。東京都内のサラリーマン家庭に生まれ、都立高校に進学しました。理数系の得意だった塩野先生は、「都立高から医大進学を目指す」特進クラスに選抜されて、一浪の後に東北地方の国立B医大に進学しました。

当時人気のドラマ「医龍」「コード・ブルー」がカッコ良かったのと、「工学部より医学部のほうがモテるぞ」という高校教師の囁きもありました。医師国家試験に合格した後、実家に近いA医大付属病院に研修医として就職し、現在は2年目です。前回の佐藤教授と同じ医大になります。

2004年度導入の新研修医制度によって、研修医の生活は大きく変貌しました。それまでの研修医は、慣習的に母校の附属病院に就職する者が多く、国家試験合格の直後に「外科」「産婦人科」などの科を選んで就職しました。東京都内の私立医大だと「月給2~5万円」「1日18時間労働」は当たり前、そして研修医は就職早々から夜間救急などのアルバイト収入で生活することが一般的でした。

新研修医制度によって、医師免許取得後2年間は特定の科には属さず、1~2カ月ずつ科を廻って総合的な研修をすることが厚労省によって義務付けられました(図参照)。

「生計を立てられる月収」が義務付けられる一方で、研修医のバイトは禁止されました。そして、「本人の同意のない時間外研修は禁止」「体調不良時には休ませる」といったガイドラインが制定され、それに違反した指導医は処分されるようになりました。

また、インターネットの発達によって研修医に長時間残業をさせると、SNSなどで「パワハラ指導医」「ブラック病院」と容易に拡散されてしまい、次年度の求人に影響するようになりました。そして、研修医は「下っ端」から「お客様」へと変貌したのです。

都会よりも田舎が高給

2011年の厚労省調査によると、2年目研修医の平均給与は481万円(最小184万~最大1026万円)でしたので、塩野先生は平均よりも安めです。もっとも、医者の給与は「大学病院<一般病院」「都会<田舎」という傾向があります。不人気な地方の中小病院ほど高給で医者を集めるのです。

逆に、A医大のような東京の大病院は人気が高く、給料安めでも若手医師が集まります。「東京>地方」「大企業>中小企業」の一般社会とは真逆になります。

東京の病院は若手医師に人気が高く、中でも「虎の門病院」「聖路加国際病院」のような都心部ブランド病院が大人気です。大学病院では、「東京医科歯科大学(2020年度内定者119名)」「東大(99名)」が二大人気校で、「秋田大(4名)」「島根大(5名)」のような地方医大は人気低迷中です。「研修環境がホワイト」と評判のA医大には毎年約50名が就職するそうですが、母校B医大は約10名と医師不足が進行中です。

婚活パーティで15,000円ゲット

塩野先生は11-12月の2カ月間、佐藤教授のいる外科で研修しています。外科の医局員は7時頃から病棟で回診や処置に追われていますが、研修医は自由参加なので塩野先生を含む多くの研修医は来ません。8時半からのカンファレンス出席は、研修医含めて全員出席です。話が高度すぎてチンプンカンプンなので居眠りする研修医が目立ちますが、叱られることはありません。

9時頃から手術が始まり、研修医は第二助手などを割り当てられますが、立ち仕事の苦手な塩野先生は「膝が悪い」と主張して、短時間手術を選んでいます。手術中、佐藤教授に「キミ、手術に興味ある?」「今度、焼き肉どう?」などと訊かれましたが、面倒くさかったので「精神科志望です」と答えたら、それ以降は誘いが無くなりました。

14時頃に塩野先生の手術が終わったので、遅い昼食の後は、研修医室で同期とおしゃべりしたり、SNSで他病院の研修医と情報交換しました。そろそろ3年目以降の進路を決める時期なので、ブラック職場を回避すべくネットを活用しています。

そのあと病棟で点滴処置やカルテ書きをしていると、先輩たちがバタバタしています。18時頃から腸閉塞の緊急手術があるそうで「腸閉塞のオペ入る?」と訊かれたけれど、「腸閉塞なら先週診たのでいいです」と断って終業しました。

同期から「婚活パーティー行こうよ、医者は交通費15,000円バックだって」と誘われて参加したものの、口下手な塩野先生は会話が弾みませんでした。同期は女性と消えましたが、塩野先生はラーメン店に寄って帰宅しました。

先輩たちは23時ごろまで残業していたそうで、外科医局は「セブンイレブン」と研修医に揶揄され敬遠されています。かつては花形医局だったA医大の外科は新人ゼロが2年続いており、眼科・皮膚科・精神科は毎年5~10名が就職する人気医局だそうです。

研修医ってモテるの?

「医師免許があると、男は3倍、女は3割増しでモテる」という俗説があります。運動音痴で太り気味だった塩野先生は、医学生時代には女子医学生には全く相手にされず、付属の看護学生と短期間交際しただけでした。

しかし医者になって帰京したところ、看護師が優しくしてくれるだけでなく、女医や女子医学生も親身になった感があります。高校時代のマドンナから「同窓会やろう」とメールが来たり、「後輩女医との交際」も経験して、男として自信が付いてきたようです。

実家には縁談がしょっちゅうくるそうで、先日も「『いい娘だから、会ってみて』と33才の写真を渡されたけど見る?」と、お母様から電話がありましたが速攻で辞退しました。「20代は色々経験を積んで、30過ぎて決めればいいよ」と先輩にアドバイスされました。

研修医のアルバイト

研修医は医師としてのアルバイトが禁止されていますが、「医師国家試験の家庭教師」「不動産管理」などの副業については規定がありません。同期の中には「研修医室でパソコンに向かって株式売買で〇十万円」のような強者もいますが、塩野先生は「婚活パーティーの交通費」で地味に稼ぐ程度です。

塩野先生の将来は?

医大入試の面接では、医療ドラマの影響で「外科医になりたい」と答えた塩野先生ですが、現実の「長時間労働」「結果が出せないと家族からクレーム」「全科同一賃金」「若手が入らず中年でも下っ端」という姿を目の当たりにして、医大を卒業する頃には選択肢からはずしました。

研修医になりたての頃は消化器内科か腎臓内科を考えていましたが、2018年度開始の新専門医制度によって、専門医資格を得るまでに「6年間の研修」「地方病院出向」が必須になったので、塩野先生を含む多くの若手医師は内科を敬遠するようになりました。

今は、3年間で専門医が取れて定時帰宅が可能な、東京都内の精神科が第一志望です。

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