ジェントルメン中村 - 漫画家としての初期衝動!

保育園時代のカルチャーショック

──ジェントルメン中村先生は唯一無二の作風でインターネット上を騒がせておりますが、漫画家を目指すようになった初期衝動はどのようなものだったのでしょうか。

中村:小学校の低学年の時に、一つ年上のとしくんという人が隣に住んでいまして、よく遊びに行っていたんです。最初はお互いキン肉マンが好きだったから、超人募集に投稿まではしてなかったけどお互い勝手に超人を作ってそれを見せ合うという遊びをしていて、気がついたらとしくんがマンガを書いていて、「すげえ!! 俺もやろう」と思いまして、一緒に書いてみたらここまで楽しいことがあったのかと思って衝撃でした。そこから将来は漫画家になろうと決めました。

──原体験は小学生の頃だったのですね。すぐ描けたということは漫画もその時期からよく読んでいたのですか?

中村:読み始めたのは5歳か6歳の時、小学校に入る直前くらいです。たしか親に『キン肉マン』の13巻を買ってもらって、なんでいきなり13巻を買ったのかは全然覚えてないですけど、おそらく最新刊をいきなり買ったんでしょうね。ぱっと目につくのを買って読んでみたら、ウォーズマンの体内で戦っていて、テリーマンの腕がちぎれるんですよ。今までドラえもんのような漫画ばかり読んでいたので、保育園児には知らない過激な世界が繰り広げられていて、異世界を見たような、異次元の世界にトリップしたような気分で、それがカルチャーショックでした。

──保育園でテリーマンの腕がちぎれるシーンを読んだらトラウマになりますね(笑)。脳内にキン肉マンが刷り込まれているわけですか。あの時期っていきなり最新刊を買ったりしますよね。読んでいてわけわからないけどなんか楽しい、みたいな。

中村:そう。そこからだんだん遡っていって、前のことがわかったりしてね。あとは小学校に入ってジャンプを読むようになり、『ジョジョの奇妙な冒険』とか『魁!!男塾』を読むようになって。

──たしかに『セレベスト』のネタの作り方は『男塾』っぽいですね。

中村:『キン肉マン』も『男塾』も、身近な日常にあるものに無理やりブーストをかけてすごく見せていて、ケンダマンやスクリューキッドとか。『男塾』ならラグビーやゴルフを無理やり格闘技にする感じはやはり影響を受けています。

あなたのセレブ度チェック!?

──セレブネタも身近なところから着想を得ているのですか。

中村:セレブは、セレブブームというものが18歳か19歳くらいの時に僕のなかでありまして、その頃、『スコーピオン』という雑誌が創刊されて、今ネットで検索しても全く痕跡がないので幻覚かと思っていたんですけど、この前の阿佐ヶ谷ロフトAでやったイベントでお客さんに聞いてみたら一人だけ覚えている人がいて。ああ、幻覚じゃなかったんだなと思ったんですけど。その雑誌は、”一流の男のためのステータスマガジン”と書いてあって、いかにも怪しげなオーラが漂っていて、これは只者じゃないぞと思って読んでみました。そこに、「あなたのセレブ度チェック」というフローチャートがありまして、YES、NOで進んでいって、「あなたはこのセレブタイプ」というものがわかる方式になっていたんですけど、最初の質問が、「あなたの家には蔵がありますか?」というところから始まって、普通ねえよ! と。誰がこんなの読むんだろうなと思っていたら案の定すぐ潰れて。おそらく誰も共感できなかったし、誰も参考に出来なかったんだろうなと。バブルも崩壊してからだいぶ時間も経っているのに、バブルのノリで突っ走っている雑誌だったんですよ(笑)。

──それ、『美味しんぼ』とかに出てくる豪邸に住んでいる人たち向けですよね。

中村:そうそう! そんな人、普通はいないでしょ。だからすごいなと思って。あと、大学生の頃、大学の図書館にどこかの新聞社で「社長の履歴書」という連載があったようで、その連載をまとめた本が全何巻という形で陳列されていたんです。なんだか『スコーピオン』のような危険なオーラを感じて読んでみたら、社長は皆、オリジナル健康法を持っていて、どうやら独自の体操を編み出しているらしいんですよ。それを紹介していて、みんな得意げにスーツを脱いで奇妙な動きで独自の体操を披露している写真がたくさんあって、社長はすごいぞ! となりまして。そこから様々な妄想をするようになりました。その頃、イベント会場でお堅い系の企業のセミナーの設営と運営、案内受付のバイトをしていて、イベントが始まってしまうと会場の外で終わるまで立っていなくてはならなくて。大きい会場って、ラグジュアリーで凝った作りをしている所が多いじゃないですか。そこで金持ち変態貴族達は最上階で変態的なパーティーをしているのではないかという妄想をして、シフトで隣に立っている人に永遠と聞かせるという遊びをしていました。三角になっている高いモニュメントに跨って三角木馬のようにして使っているのではないか、とか。

──社長とか金持ちはSM大好きなイメージありますからね。

中村:SMみたいなものは貴族の嗜みなので。妄想をしていて人に話す中で、周りに面白いと言われる発想はそこだったので、そのネタでいこうと。

──最初は『セレベスト』のような漫画を持ち込みしていたのですか。

中村:最初は中三の時に、「ジャンプギャグキング」という漫☆画太郎先生を排出した賞に書道番長というのを投稿して、その後は大学の時にヤンマガの新人賞にファッション業界のトップたちが今年のトレンドを決めるという話しで、やはり真のファッションは魅せる裸だ! という結論に達する話しで。

──『セレベスト』の卑弥呼みたいですね。

中村:そう、卑弥呼の原体験かな。でも全然ひっかからなくて、「だめだ。持ち込みをしよう」ということになり、若手社員が特別会議に参加できることになり、参加したら真夜中におじさんたちがふんどし一丁に鋲を打った革のチョッキを着て、キャスター付きの椅子に乗って「フォー」って廊下を滑走する話しでした。

──昔の投稿ネタが今のセレベストに生きてますね(笑)。

中村:それは全然だめだと言われたんですけど、唯一褒められたセリフが、キャスター付き椅子で滑走しながら隊形を組んで、「魚鱗の陣じゃー」というシーンです。じゃあ俺もまだまだいけるかもしれないと思って、今の『セレベスト織田信長』の原型となるセレブの男の私生活を描いた漫画を描いて、主人公もまんま織田信長と同じ顔、七三分けで口ひげを蓄えたスーツを着た変態的な男にして、名前は仙石正臣。持ち込んでみたら、これは素晴らしいと言われて賞に出したら、女性受けがとことん悪くて。総評として、面白いとしか言いようがないが賞は与えたくない! ということで一番下の奨励賞をいただきました。紙面には絵しか載らなかったんですけど…。その賞をとった後に、今度は紙面に乗れるようにがんばりましょう、とのことで作ったのが『マスラオ桶狭間』で。内容は仙石正臣が変態的な贅沢をするという今の『セレベスト』とほぼ同じ、今と違う所はおもてなしをするのではなく、自ら贅沢をしたいと思っていろいろな店にいくがそこが変態的だったという内容でした。

リイドカフェに持ち込んだはずが…

──いまの『セレベスト』までブラッシュアップされるのに15年かかったのですね。

中村:そうなんです。その後、ヤンマガの代原(連載作が落ちた時の代打的なやつ)狙いで、『セレベスト』のプロトタイプ=仙石正臣もののネームをさらに作ったのですが、担当交代などありお蔵入りになってしまいました。27歳くらいの頃だったと思います。そこから紆余曲折があり、十何年いろいろな漫画を描いていたんですが、偶然、劇画狼さんのブログ「なめくじ長屋」を見つけて読んでいたんです。中年男女のパンチの効いた裸体漫画がたくさん紹介されていて、タノシータノシーと思っていました。その劇画狼さんがリイドカフェというところで連載的なものをはじめるという記事を読んで、リイドカフェを覗いてみたら山咲トオル先生の『戦慄!! タコ少女』がすごくやばくて、丁寧なタッチの漫☆画太郎みたいな感じで、これがありなら俺のお蔵入りのあいつをついに封印から解き放ってもいいのかもしれないと思い、リイドカフェに持ち込みに行ったんです。そうしたら間違って別の部署のトーチの方に応募してしまったようで、「うちはリイドカフェとは違うんですよ」って言われたんですが読んでくれまして、おもしろいですねと言ってくれて。その時にもらったアドバイスが、「変態的な内容にウンチク要素を入れて、ギャグにしたらいいのではないですか?」といわれて、Googleで検索して口噛み酒の話しに日本酒情報を盛り込みました。それでも、トーチの方々は、「やはり作風がうちじゃないと思います」と言ってリイドカフェの編集長を紹介してくれました。その時のアドバイスが初期の『セレベスト』には生きていますね。今思うとトーチに持ち込んだことも寄り道ではなかった。最初は『超セレブ!』みたいなタイトルにしようとしたのですが、編集長の松井さんが絶対に『セレベスト』が良いというので採用したのですが、”セレベスト”と”織田信長”を使ったのは大正解でした。

ルビ芸の作り方

──ルビ芸もすばらしいですね。ビート板中毒(ビートマニア)、靴竜2千打(くつりゅうトゥーセンター)は震えました。

中村:ルビ芸もラップをやっているのが関係しているっぽくて、韻を踏まなきゃいけないから、韻に引っ張られて思ってもなかった歌詞が出てくることがあります。伊達政宗、独眼竜、靴で踏んでる、靴、龍とくれば、靴流通センター。トゥーセンター、靴で何度も踏みつける2000打、靴竜2千打(くつりゅうトゥーセンター)みたいな感じで。神学論争不要(もんどうむよう、つべこべいうな)も、円卓会議不要(もじもじすんな、そのとおり)も、円卓会議は大勢の奴が輪になってごちゃごちゃ言うイメージだから。ルビ芸に関しては本当簡単で、ストーリーとかおもてなしのアイデアはそれなりに悩むし苦労して試行錯誤してるんですが、ルビ芸はスパッと決まるし、かかる時間と読者に与えるインパクトでいうと非常にコスパが良いんです。こんなに一生懸命考えたおもてなしのネタより、数秒で考えたルビ芸の方が受けることが多くて、Twitterで告知する際は、画像のルビ芸の良し悪しでRT数が決まるところが確実にあって、読まれるかどうかはそれ次第。だからルビ芸の決めゴマはしっかりとやらないとな、と思っています。

──今後『セレベスト』はどうなっていくのでしょうか。

中村:それは皆様のご想像にお任せいたします。次回のイベントでは明らかになるかもしれませんよ〜。『ようこそ!アマゾネス☆ポケット編集部へ』へのお話しはイベントでのお楽しみ☆

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