県連故郷巡りアマゾン=90周年に沸く「緑の天国」=(21)=グァタパラ移住者が大集合!

吉永博行さん、吉永利行さん

 二河川合流点へ向かうボートは、2つに分かれた。一緒になった伊東信比古さんは、いつものようにビールを持ち込み、色んな人に配り始めた。「この旅行中、朝、昼、晩とずっと飲んでいますよね?」と山田康夫団長に聞くと、「午前中に6缶飲んでいた時もあったよ」と耳打ちされた。天晴である。
 式典のプレッシャーから解放されたかのように、横でZenkyuさんも飲み始めたので、ちゃっかり記者も伊東さんからビールをいただいた。マナウスで飲むビールは、暑さのせいか格別に美味しく感じる。
 故郷巡り一行は、席に着きガイドの話を興味深げに聞く。そうかと思えば、景色を眺めて仲間とお喋りに興じる人も。参加者らを観察していると、日本語話者が多く、グァタパラ移住地から参加した人が多いようだ。
 兄弟二人で参加していた、吉永利行さん(70、佐賀県)と弟の吉永博行さん(68、佐賀県)も、1963年にグァタパラへ移住した。だが弟は、現在ゴイアス州に住んでいる。
 「グァタパラは日本人が多くて、競争率が高くてね。日本人がいない土地に行けば、農業がもっと上手くいくと思ったんだ」と、転住した理由を説明する。20年前に移住し、その時に自分以外の日本人は一人だけだった。
 現在も日本人は3家族と少ない。そんな場所で大変なのは、なんと言っても日本食だ。「味噌や醤油は自分たちで作ったりするけどね」と苦笑う。
 故郷巡りは初参加で、「今回、グァタパラの人達が誘い合ってたくさんきているんですよ」という。そして、もう一組他州からやって来た仲間の参加者がいると教えてくれた。

菅野奈穂美さん、夫の三義さん

 ミナス・ジェライス州からやって来た菅野三義さん(66、山形県)と妻の奈穂美さん(64、島根県)も、元々はグァタパラ移住地に住んでいた。今回は弊紙を読んだ奈穂美さんの姉に誘われ、参加したという。
 グァタパラ移住地で知り合った二人の馴れ初めは、三義さんが「ちらちらと奥さんを見ていて、付き合いたいと思ってね」と声をかけたというもの。結婚後、仕事の都合でミナス・ジェライス州に引っ越した。
 三義さんと奈穂美さんに今回の旅で一番良かった所を聞くと、「トメアスーかな。式典は皆頑張っていて、思いがこもっていた。直径2メートルの大きな木を鋸で伐採して、あの広大な土地を開拓したと考えたら衝撃的だった」と印象に残った理由を語った。
 グァタパラでアマゾンに所縁がある人はいるのか尋ねてみると、一人の女性を紹介された。伊藤愛子さん(77、熊本県)は現在こそグァタパラ在住だが、戦後移住開始年の53年に入植したのはパラー州モンテ・アレグレ移住地だった。
 「移住した頃は、大木を5人くらいで取り囲んで伐採していった。30町歩分が4~5年かかったの」。しかもモンテ・アレグレ移住地から町までは40キロメートルもあり、「土地が良くて何でも栽培できたけど、売るのが大変。精米機も何もなかったし、『明治時代に戻ったみたい』という人もいたのよ」。
 辛い開拓時代に耐えられずに「自殺した人もいた」とショックな出来事を話し出し、「結婚して日本からきた若い夫婦で、奥さんが自殺した。心細くて、辛かったんでしょうね」とそっと目を伏せる。
 それでも伊藤さんにとっては、「11歳から22歳まで過ごした故郷。裸足で走り回って、住めば都だって思ったの。懐かしいわ」と微笑んだ。(つづく、有馬亜季子記者)

□関連コラム□大耳小耳

 故郷巡りに参加していた伊藤愛子さんは、モンテ・アレグレ移住地に入植し、現在はグァタパラ移住地に住んでいる。記者がその人生模様に聞き入っている最中、伊藤さんはボートの外の景色をちらっと見て、「今思えば、悪い時期に生まれたわね」と独り言のように呟いた。「戦中に生まれ、学校にも行けず、〃カイピーラ〃(田舎者)でインディオのような暮らしをした」と続け、さらに「主人はモジに作った家の屋根から落ちて亡くなった」とも…。そんな経験を経て、「今はグァタパラで友達と楽しく暮らしています」と一言。男女関係のないこの逞しさこそが、開拓者の共通点なのだろう。

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