血がつながっていると、甘えてしまう──家族はなぜ壊れてしまうのか、どう直るのか

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冷たい雨が降るいつもの夜だった。いつもの夜になるはずだった。

冷凍のコーンクリームコロッケとおにぎりを温かいお茶で流し込む。箸が食器にあたる音がする。

「母ちゃんさ、母ちゃん今日、父ちゃん殺したよ」

その瞬間、時が止まった。まだ未成年の子どもたちは突然の告白に声を失った。

「こんな怪我、もうさせないんだから」

顔面蒼白している3人兄妹の手足には、ジクジクと化膿した傷とアザが目立っていた。父親に虐待されて育った子どもたちを守るために、夫を殺したというのだ。その夜、母は数日分の食事を準備して警察に出頭した──。

© 2019「ひとよ」製作委員会

11月8日(金)に公開される『ひとよ』は、こんな衝撃的なシーンからはじまる。メガホンをとったのは白石和彌監督だ。

これまで、連続殺人事件の実録映画『凶悪』や暴力団組織間の抗争を描いた『孤狼の血』などを手掛けてきた白石監督にとって、家族に力点を置く本作は異色だ。「はじめて自分の家族観を投影した」作品だともいう。

白石和彌監督。2009年『ロストパラダイス・イン・トーキョー』で長編映画にデビューした後、『凶悪』『日本で一番悪い奴ら』『牝猫たち』『彼女がその名を知らない鳥たち』『サニー/32』『孤狼の血』などを手掛けてきた。

家族。それは多くの場合、血縁という唯一無二の強いつながりを指す。常識としては、そこには安心感があり愛があると教えられる。一方で警視庁によると国内での殺人事件の過半数が親族間で起きているという事実がある。

家族は壊れてしまうことがあるのだ。では、壊れた家族は、つながれるのだろうか?

「子どものために」が生む捻れ

『ひとよ』では、冒頭のシーンから15年後がメインに描かれる。刑期を終え、日本全国を転々とした後、母は家族のもとに戻ってきたのだ。

未成年だった子どもたちは、それぞれ仕事に就いているが何かがズレている。

小説家志望だった次男・雄二は、地元を捨て東京で三流ライターとしてうだつのあがらない日々を送り、長男・大樹は妻から離婚届を突きつけられている。美容師の専門学校に通っていた長女・園子は学校を中退し、ホステスとして地元のスナックで酒に溺れている。

稲村家の長男・大樹を鈴木亮平、次男・雄二を佐藤健、長女・園子を松岡茉優が演じる。(© 2019「ひとよ」製作委員会)

なぜ大樹は妻とうまく行っていないのか。雄二は地元を捨てたのか。園子は美容学校をやめたのか。

母が父を殺したからだ。

「誰でも、間違ってしまうことはある。人間、正解だけを歩めない。本作の場合、母が子どもたちの将来を守ったつもりでいたけれど、それぞれの将来が壊れてしまっている」

白石監督が本作を描く上で参考にしたのが、自身の体験だ。

「僕は母子家庭で育ったので、母には苦労をかけた実感があって。この業界に入ったのも、地元ではなかなか職が見つからず、母が上京を勧めてくれたからなんですけれど……その母が、7年前に他界したんですね」

「その時、実は弟とは音信不通になっていて、彼は母の死に際に立ち会えなかったんですよ。なんとか連絡先をさがして数年ぶりに顔を合わせたんですけれど……家族ってなんなんだろうと思ったきっかけでした。仕事についてから家族について考えることが疎かになっている部分は確かにありますし。実際に血がつながっていても、うまく付き合えないことはある」

「血縁」に甘えてしまう

稲村家3兄妹の母・こはるは田中裕子が演じる。稲村家は地方のタクシー会社を運営していた。こはるが逮捕された後は親戚や雄二の学生時代の友人たちによって営業されていた。(© 2019「ひとよ」製作委員会)

母・こはるが帰宅したことをうけ、再びひとつ屋根の下に集まった家族の関係はいびつだ。

嬉しさという単純な感情よりも、戸惑い、憎しみ、疑心がにじみ出る。15年前、たしかに人を殺した母が何気なく日常を送ろうとしている様に恐怖を抱く瞬間もある。

何を話して良いのかわからない。食卓を囲むが、各々iPadやスマートフォンを眺めたりテレビを見たり、視線は全く交差しない。

「血のつながりは、強い結びつきを担保するひとつだとも思っています。ただ、血がつながってしまうと、お座なりになってしまう。血縁という事実に甘えてしまってコミュニケーションをとらないことってあると思うんですよ。家族なんだから理解できていると思ってしまうというか……機会がないとしっかり話さなかったりするでしょう?」

「最初から血のつながってない人たちはコミュニケーションを取ろうとするから、血縁のつながりを超えられてしまう時もある。ケースバイケースですが」

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東京へ行った雄二は、兄妹2人ともほとんどコミュニケーションを取らず、終始苛立っている。

猜疑心とでも言おうか。15年前に失われてしまった家族が戻るわけがないのに、懸命に取り繕おうとしている様に違和感を覚えているのだ。

作中ではそんな雄二を中心に、さまざまな形でコミュニケーションが描かれる。

深夜にこはると向って静かに問いただしたり、スナックという公共の場で兄妹喧嘩をしたり、3人揃ってタバコを燻らせながら笑いあったり。

こうした直接的な表現はもちろん、事件が起き、自動車同士がぶつかり合うシーンも描かれる。白石監督によると、これは本音をぶつけ合うメタファーなのだという。

「家族に限らず、他人に限らず、やっぱり、一回ぶつからないと、話が始まらないでしょう? 原作にはないけれど車同士をぶつけ合うシーンは、ちゃんとコミュニケーションをスタートさせるきっかけを描いています」

「やっぱり何か問題を抱えているなら、ぶつかり合って話した方が良い。母の子どもたちへの想いや、子どもたちにとってはそれが足枷になっているとか。これまでお互いに溜めてきた気持ちを一度ぶつけ合ってみれば、何かが変わるかもしれない」

夜は明ける

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なぜ人はすれ違うのだろうか。他者に対して怒りを覚えてしまうのだろうか。そのひとつが、正しさだろう。殺人を犯した母を起点とする『ひとよ』は、一瞬一瞬「正しさとは何か」を問うてくる。

「正しさって人の価値観だからね。エゴであって、人それぞれ。それなのに、大きな意味で正しいこと……道徳的なことを言えば、人にバカにされない。マウントとれる。だから、つい正しさを他人に押し付けてしまうことってあるんじゃないかな」

「このギャップは、ちゃんと話すべきだと思います。しっかりつながりたい人であれば。別に合意しなくていい。相手には相手の正しさがあるってわかればいい。そのためにはぶつかり合うこと。たとえ家族であっても。壊れた関係性もそうやって直していけばいいと思います」

自分にとっての正しさや、自分にとっての特別な時間。それは家族のように近しい人でも、それぞれで全く違う。同じになることなんてあり得ないのに、親は子どもに、子どもは親に、妻は夫に「わかってくれよ」と思ってしまう。

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親子が再会した一夜、一家が壊れたあの夜、誰かと結ばれた夜。どんなに幸福で、最悪な夜であっても自分のものでしかない。

「何をもってあの日は、あの時はって思えるのは、誰かとの関係性によって芽生えるものであり、相手をどれだけ思っているかという自分だけのもの」

それは、夜であっても正しさであっても、絶望であっても同じだ。

「世界中の人に平等に太陽があって、登る瞬間って一緒。それと同じで、最悪な夜はいつかあける。今、あなたは”夜”ですか?……だったら、ちゃんとぶつかり合ったほうがいいんじゃないかな、誰かと」