「東京で金」のカギになる 車いすバスケットボール 鳥海連志

2020に懸ける長崎県勢 File.11

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「東京パラに向けて整ってきた環境に感謝してプレーする」と語る鳥海=東京都品川区、パラアリーナ

 2016年リオデジャネイロ・パラリンピックから3年。当時の車いすバスケットボール日本代表で、チーム最年少だった鳥海連志(WOWOW)は20歳になった。現在は同世代以下の日本連盟強化指定選手も増え、がむしゃらにやっていたころとは立場が違う。「ほかの選手との差をどうつくり、何を示すのか。練習や試合中に考えることも多くなった」。“リオを知る選手”として、若手をけん引する存在になった。

■周りを生かす
 車いすバスケットボールの選手は障害の程度によってクラス分けされる。最も重い1.0点から0.5点刻みで4.5点までの持ち点があり、コートに立つ5人の合計を常に14点以内にしなければならない。
 両脚切断に両手指欠損の鳥海の持ち点は2.5点。障害が重いクラスではあるが、多くの2.5点プレーヤーよりも圧倒的に体幹が安定している。これが持ち味でもある動きの幅の広さを生み出している。
 代表での役割は、障害クラスが軽くて攻撃の得点源となる選手を生かすこと。体を張って相手を止めてエースのためにスペースをつくり、いかに精度の高いシュートを打たせられるか。「彼らが目立てば目立つほど、僕としては仕事ができていると判断している」。それが心地いい。
 この求められている仕事や「チームで一番」と自負できるディフェンスを支えているのが、すべての基本であるチェアスキルとスピード。これが身につき、競技歴4年で日本代表入りするまでに成長できたのは「長崎の人たちのおかげ。感謝しかない」と言い切る。

■責任を明確に
 自宅は西海市大島町。大崎中高時代は所属していた佐世保WBCのほか、県選抜や長崎サンライズの練習に参加した。会場は諫早や長崎市内も多く、休日などは長崎市に在住しているチームの先輩、高野逸生や西田聡らが自宅に泊めてくれた。送迎に食事、何不自由ない環境を与えてもらった。
 当時は地元開催の14年全国障害者スポーツ大会に向けて、強化が進んでいた長崎。その中でいつも「連志の好きにやっていいよ」と伸び伸びプレーをさせてくれた。技術はもちろん、一番に教わったのはバスケットの楽しさだった。
 長崎サンライズには年齢が近い川原凜(現・千葉ホークス)や立川光樹がいて「日本代表になりたいね」と夢を語り、刺激を受け合えた。今はその川原も日本代表メンバー。立川も強化指定に入ってきている。
 そんな鳥海ら若手にとって、来年の東京パラリンピックは通過点でもある。でも、ここで「金メダルを取る」と言い続けている。昨年の世界選手権はリオと同じ9位だったが、世界の強豪と渡り合える力がついてきた手応えはある。
 日本が目指しているのは、攻守の切り替えが速いバスケット。「自分の強みを生かせる。そのカギになりたい」。「東京で金」と公言し続けるのは、チームと自らの責任をより明確にするため。日本のスタイルが確立できれば、必ず近づける。

 【略歴】ちょうかい・れんし 手脚に先天性の障害があり、3歳で両脚を切断。車いすバスケットボールは大崎中1年から佐世保WBCで始めた。2015年度から日本代表に定着、17歳で16年リオデジャネイロ・パラリンピックに出場。全国障害者スポーツ大会で県選抜の初優勝に貢献した。17年U23世界選手権ベスト5。大崎高卒業後に進んだ日体大を19年に中退、5月からアスリート雇用でWOWOWに入社した。所属チームはパラ神奈川SC。ポジションはガード。長崎市出身。