仮想通貨の資金調達に、「アジアの中心」構想! 常識を打ち破る、FC琉球の革新的な経営戦略とは?

2019年9月、Jリーグは、J2に所属するFC琉球にJ1クラブライセンスを交付した。2016年の倉林啓士郎社長(現会長)就任以降、J3優勝、J2昇格と沖縄初のJ1チームに着実に近づいているFC琉球の勢いはどこからやってくるのか? 経営からクラブを変えた当事者である倉林会長以下、31歳にして代表取締役社長を任された三上昴氏、三上氏とともに代表を務める廣﨑圭代表取締役副社長、地域経済活性化支援機構から監査役として加わっている小川淳史氏らの証言で構成する。

(インタビュー=岩本義弘[『REAL SPORTS』編集長]、構成=大塚一樹[『REAL SPORTS』編集部]、写真提供=FC琉球)

J3からJ2へ 今一番勢いのあるJクラブが体制変更した意味

2016年12月、代表取締役社長就任以来、沖縄のサッカー界のみならず日本サッカー界に新たな波を起こし続けてきたFC琉球の倉林啓士郎が、代表取締役社長を退き会長に就任すると発表された。会長に就任する倉林の後を受けるのは、筑波大学卒、ゴールドマン・サックス証券出身の31歳、三上昴。同じく代表権を持つ副社長には、JFL、Jリーグでマッチコミッショナーを歴任し、2018年からはJリーグマッチコミッショナー委員を務めていた廣﨑圭が就任した。

「新体制になって数カ月、2人とも慣れていない部分があって、既存のスタッフや現場レベルでは『この若い社長は何だ』みたいな感じのコミュニケーションのぶつかり合いはあったと思います。『大丈夫かな?』と遠目に見ていましたが、数カ月が過ぎて、ぶつかり合いも逆にいい形で回ってきているんじゃないかなという気はしています」

自身も就任時はJリーグ最年少社長として注目された倉林は、その時の自分よりもはるかに若い当時31歳の三上社長にバトンを渡した後の数カ月をこう振り返った。

この「大英断」に対しては、「早すぎる」「せっかく順調にいっているのに」と懐疑的な声もあった。三上は、大抜擢に対して「やりたいという気持ちが強かった」とこのチャレンジに心を躍らせる気持ちが強かったと振り返ったが、倉林は自らも会長職として三上を支え、副社長には自分より年上で経験のある廣﨑を据える2人代表制を敷いたのだ。

「廣﨑さんはもともと、筑波大学付属駒場高等学校のサッカー部の先輩で、OBとしてサッカー面ではトップキャリアを持っている人でした。高校時代にはコーチとして接していたのと、卒業後はOB会でも顔を合わせていたので、うちの高校出身でJリーグの仕事をされている先輩がいるんだと、いろいろと教えてもらっていました」

倉林がFC琉球の経営に関わるようになって2年目の2018年、6月のFC東京U23との試合でマッチコミッショナーを務めていたのが廣﨑だった。

「こんなところで会いましたね、みたいな会話を交わしたのを憶えています」

J3で首位を走り、J2昇格が見えてきた8月下旬、「信頼できる強化部が絶対に必要だ」と感じていた倉林は廣﨑に連絡を取った。

年に2回のOB会で会う程度だった倉林とのやりとりを廣﨑はこう振り返る。

「2017年正月のOB会で『琉球の社長をやることになったんです』って言われて、冗談かと思ったら本気で、それから1年半後にLINEで誘われたんですよ。お盆のOB会で会った時はそんなこと一言も言わなかったのに、10日後くらいにLINEで『沖縄に来てください』と。2018年の8月の末くらいですね」

J3の終盤の試合を何試合か観てもらった後、11月に廣﨑に正式クラブに入ってもらい、J2以降を見据えて二人三脚でチーム編成を考えた。

「Jリーグの、サッカーの仕事をもう一回やりましょう。大先輩なんだからお願いします、とお願いしました」]

もう一人の代表、廣﨑副社長が語るサッカー界の変化と変わらないもの

後輩・倉林のオファーに、廣﨑は「役に立てることがあるかもしれない」と思いつつすぐに返事をすることはできなかった。

「長いこと現場から離れていたのもありますし、家族のこともありました。この先、またこの世界へ戻って、ずっと一つのところでやっていけるかどうかわからない仕事ですから、踏み込むのであれば、覚悟しないといけない。今49歳で、50歳を迎えるところでもあって、結論を出すのにちょっと時間はかかりました」

同じ頃、ゴールドマン・サックス証券を辞めてサッカー界に飛び込んできた三上がフロントに入り、営業、マーケティングサイドの責任者として働き始めていた。

「三上君がフロント、営業とかマーケティングサイド見て、廣﨑さんが強化サイドを見て、年齢もちょうど僕よりちょっと下の三上君と、一回り上の廣﨑さんで、バランスがいいかなと思っていました」

J3からJ2への急激な変化と、将来的なJ1昇格を見据えた編成。強化面ではコミッショナー職以前にJFL時代のガイナーレ鳥取(当時はSC鳥取)で強化部長を経験していた廣﨑の手腕に期待がかかる。代表のうちの一人が強化部から副社長兼スポーツダイレクターに昇格した廣﨑であるという人事も、FC琉球の今後を示す明確な指針ともいえる。

「テクノロジーも含め、新しいものが現場に入って、コーチングスタッフも細分化されて変わってきているなというところは感じます。でも、勝敗を決定づけるクオリティーは僕の現役、ガイナーレの強化部時代と比べても、各段に上がっているわけではないとも思っています」

日本のトップ選手が海外リーグでプレーする時代になったことを差し引いても、SC鳥取強化部長として戦ったJFL、つまりJ3相当と比べたとしても、サッカーの勝敗を分ける要素はそれほど大きく変化したわけではないというのが廣﨑の率直な感想だ。

「今のほうが選手個人のトラップの技術や集団でのボールポゼッション能力は上だけど、それでゲームの局面が大きく変わっているかといえば、そこまでじゃない。勝敗を決定づけるチャンスメイクとシュート時のキックやヘディングだったらもっと上手い人は当時のJFL上位チームにもいた」

それよりも大きな変化は、すべての選手に代理人やそれに準ずる役割の人がついている移籍市場だという。

「J2でも仲介人が付かない選手のほうが少ないっていうね。11年前は真逆でしたから。つまり、主力選手がいつ移籍するかわからない。それもルール上まったく問題ないわけで、選手にとっても行って結果を出せば、それで良かったとなるわけですし。スピードがだいぶ違いますよね。それこそ11年前はサッカー協会の登録も全部紙でしたから、紙に書いて、FAXを送って、現物は後で送ってくださいみたいなことをしていました。今はWebで入力して、重要書類はスキャンしてPDFで送信したら終わりじゃないですか。移籍手続きも早く終わらせられるので、このスピードのせいで敗者にならないようにしていかなければいけないですね。現代のスピード感を持って獲得と育成の両面でチーム作りを進め、勝利に近づくクオリティーを追求していきます」

FC琉球の未来のためのラストピース 沖縄の経済を知る小川監査役

代表取締役の三上社長と廣﨑副社長。そしてFC琉球にはもう一人、クラブの変革を支え、「沖縄でサッカークラブを成功させる」ためのキーマンがいる。こちらも倉林が監査役としてフロント入りを要請した小川淳史がその人だ。

「小川さんは僕が社長に就任してすぐ当時ヴィッセル神戸の社長だった清水克洋さんに紹介してもらってフロント入りをお願いしました。はじめは地域経済活性化支援機構(REVIC)の沖縄の責任者ということで、これからこういうふうにクラブを作っていくのでまず3億円くらい投資してくださいよと言いに行ったんですよ(笑)。それが2年経って、J2に上がったタイミングで、社債として5000万円投資いただけた。会社としてはかなり厳しい投資、ジャッジだったと思うんですけど、小川さんが説得してくれたんです」

株式会社地域経済活性化支援機構(REVIC)は、事業再生と地域活性化を支援する官民ファンド。長年の課題だった財務を、沖縄に元からいたスペシャリスト、小川に見てもらうことは、倉林にとってもFC琉球にとっても大きなことだった。

「所属先のREVICは、金融庁系の官民ファンドとか政府系ファンドと呼ばれている存在で、地域経済、地方経済の大動脈たる金融機関、主に銀行さんにアドバイスをすることが仕事の一つです。その延長線上にあるんですけど、沖縄の金融機関と組んでファンドを作っていまして、このファンドが沖縄を中心とした企業へ資金を投入していわゆる成長支援をするのも仕事なんです。必要に応じて人も派遣している中で、今回FC琉球では監査役という立場で、しっかりと経営陣として成長戦略だったり、経営基盤のところを一緒にやっています」

REVICでの経験から「支援は資金だけでなく人が重要」と言う小川は森ビル、森トラストなど不動産ファンドでキャリアを築いた。金融、ファイナンスの知識と経験、経営についてのサポート能力をFC琉球のために活かすのが現在の主な仕事であり、使命だと話す。

「小川さんのように、ほぼサッカーに関係ない、業界ではなくしっかり地域のためという視点を持ってくれる人がいてくれるのはすごく大きいですよね」

倉林はこの先に見据えるクラブの戦略に、小川の知識や経験が役立つと大きな期待を寄せている。

アジアの真ん中の沖縄、スタジアム建設、地方クラブの資金調達改革

「クラブのオペレーションは例えば、強いチームを作るとかしっかり集客するとか、営業するとかは基本的に2人の代表に任せて、僕が会長としてメインで担当していくのは、アジア展開、アジア戦略、それとスタジアム建設の実現、そして本当に潰れないための資金調達みたいな部分になってくると思うんです」

アジア戦略に関しては、“沖縄の地の利”を活かした他のクラブでは絶対にできないことができる。倉林の構想はこうだ。

「沖縄は、日本では一番南ですけど、アジアという視点で見たら、本当にど真ん中にあって、台湾も香港も中国にもすぐに行けるんです。アジアの最前線にあるので、FC琉球がJ1クラブになれば、アジアの国々とのサッカーを通じた交流や提携をしやすいのは間違いないんです。現にJ2に上がったことで、台湾(チャイニーズ・タイペイ)のサッカー協会と対等に提携を結べて、台湾から選手が練習に参加しています。そういうことを通じて、サッカーだけじゃない交流、文化交流、経済交流も仕掛けていきたいなと思っています」

もう一つの会長のミッションであるスタジアム建設については、すでに2023年に造成予定の奥武山公園にサッカー専用スタジアムを建設する計画がある。

「公園の整備、造成については当初2019年と言っていた計画が2020年になり、後ろ倒しになってしまった。僕らがJ2に昇格したことで、専用スタジアム計画についても現実に近づいているので、それを形にすることに、かなり力を入れてやっていますね」

クラブの成長に応じた資金調達も必要になってくるが、社長就任から1年でスポンサー倍増、赤字半減を達成し、クラブを順調にスケールさせている倉林は、新体制を経てさらなる成長を目指しているという。

「資金調達は去年も結局1億円増資をして、そのうち7000万は僕らのFCRマーケティング(※倉林氏が代表を務めるFC琉球の筆頭株主)が増資しましたけど、今年も3億円の枠を取って増資に動いています。あとはまったく別の角度で、仮想通貨のGMOコインがスポンサーに入ってくれたんです。ちょうど小野伸二選手が加入してくれるタイミングで、背中のスポンサーも追加してくれたんですけど、クラブとしても仮想通貨、ブロックチェーン技術を使ったコイン発行による資金調達は、FC琉球の新ファンクラブサービス「仮名:FC琉球コイン(FCR)」開発プロジェクトを相互協力の元に推進することで合意しています。これが実現すれば日本で第1号の合法的ICO(Initial Coin Offering/仮想通貨技術を活用した資金調達)になるんですけど、これは本当に地方のスポーツ団体、地方の零細のスポーツ団体の新しい資金調達の選択肢になる可能性があるので、実現には大きなインパクトがあると思っています」

新体制に舵を切り、新たな戦略フェースに突入したFC琉球。J1昇格に向けた戦いももちろん要注目だが、沖縄でしかできない、FC琉球にしかできないアジア戦略、スタジアム構想、ICOによる資金調達など、これまでにないクラブ経営にも引き続き注目したい。

<了>

(左から、廣﨑圭氏、倉林啓士郎氏、三上昴氏、小川淳史氏)

PROFILE
倉林啓士郎(くらばやし・けいしろう)
1981年生まれ、東京都出身。4歳からサッカーを始め、筑波大駒場高校、東京大学文科Ⅱ類へと進学。東京大学在学中の2004年に創業し、翌05年にSFIDAブランドを立ち上げ。06年株式会社イミオを設立、代表取締役社長を務める。2016年12月、琉球フットボールクラブ株式会社(FC琉球)の代表取締役社長に就任、クラブの経営危機を立て直し、2018シーズンにJ3優勝、J2昇格を成し遂げる。2019年6月より、取締役会長。

PROFILE
三上昴(みかみ・すばる)
1987年生まれ、東京都出身。幼少からサッカーを始め、武蔵高校、筑波大学社会工学類、筑波大学院システム情報工学研究科MBAコースに進学。筑波大学在学中に4年間、蹴球部でプレー。卒業後、ゴールドマン・サックス証券株式会社に入社。8年間の勤務を経て、2018年11月、琉球フットボールクラブ株式会社(FC琉球)の取締役に、翌19年6月、同クラブの代表取締役社長に就任した。

PROFILE
廣﨑圭(ひろさき・けい)
1970年生まれ、東京都出身。筑波大駒場高校卒業後、早稲田大学に進学、同大学ア式蹴球部でプレーした。卒業後、エリース東京(東京都リーグ/関東リーグ)を経て、JFLのSC鳥取(現・ガイナーレ鳥取)に加入。2005年現役引退後、同クラブで実行委員代理、強化部長を務めた。その後、日本サッカー協会/JFLマッチコミッショナー、Jリーグマッチコミッショナー、Jリーグマッチコミッショナー委員を歴任し、2018年に琉球フットボールクラブ株式会社(FC琉球)の取締役に、翌19年6月に、同クラブの代表取締役副社長兼スポーツダイレクターに就任した。

PROFILE
小川淳史(おがわ・あつし)
1976年生まれ、岡山県出身。慶應義塾大学経済学部卒業後、不動産ディベロッパーや外資系ファンドを経て株式会社地域経済活性化支援機構(REVIC)在籍、沖縄在住5年目。株式会社地域経済活性化支援機構ディレクター、地元金融機関らと沖縄活性化ファンドを組成。2019年6月に琉球フットボールクラブ株式会社(FC琉球)の監査役に就任した。

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