都城島津 伝承館だより

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■「石田三成書状写(いしだみつなりしょじょううつし)」
本史料は、天正20年(1592)に、豊臣秀吉の家臣石田三成が島津義久・義弘に宛てた書状で、人質に出す重臣と交代する組編成について示したものです。
豊臣政権に服属した島津家は領地の保障と引き換えに、人質を出す義務を強いられました。書状には、「人質は3組編成で、それぞれに本田親貞(ちかさだ)・町田久倍(ひさます)・平田歳宗(としむね)に加えて各組4人ずつとし、7カ月交代で京都に滞在すること。この他、常時滞在しておく人質として重臣三家を定め、北郷(ほんごう)家はそのうちの一家として、実子を差し出すこと」と記されています。
本史料から、豊臣政権がどのように戦国大名を従えていたかを知ることができます。また、島津家の人質の数が多いことから、服属したとはいえ、強大な力を持っていた島津家への警戒を緩めなかったことを伺い知ることができます。