飛び立つ社会起業家たちを見守る、地域のホーム――シェア・ワークスペースで起業家支援

横浜に根ざし、経済や文化を循環させている企業活動を山岡仁美 SB 2020 横浜プロデューサーがクローズアップ。
第3回は治田友香・mass×mass関内フューチャーセンター 代表取締役との対談。

横浜・関内エリアの「mass×mass 関内フューチャーセンター」はシェアオフィス、ワークショップスタジオなどを併設するシェア・ワーキングスペースだ。単に便利な空間を提供するだけでなく、ソーシャルビジネスのスタートアップ講座を開設し、2011年の開設当初から社会起業家のサポートに精力を注ぐ。長く横浜で起業家支援に携わり、その動向を見守ってきた治田友香代表は「社会起業家たちが飛び立ち、還ってこられる場所」と同センターの運営と社会起業家たちへの思いを語る。(サステナブル・ブランド ジャパン編集局=沖本啓一)

受講者の15%が起業へ

山岡:1階、2階とビルのフロアを広く使っていますが、どのように運用されていますか。

治田:1階の通りに面したスペースでは、私たちが委託事業で開催する講座や、月に一度のトークイベント「mass×mass cafe」などに使っています。奥は365日24時間利用できるコワーキングスペースで、2階がシェアオフィスです。シェアオフィスに入れば1階のスペースも利用可能で「小さく借りて頂いて大きく使ってもらうと」いうコンセプトで運営しています。

山岡:コミュニティが成立するような仕掛けがたくさんあって、だからこそ学生からシニアの方まで、同じスタートアップでも多様性が生まれていますね。

治田:個人では19歳の方から、過去最高年齢は88歳の方まで受講されています。参加者の男女比も半々くらいで、経済状況もライフスタイルもさまざまですが、このスペースにいる瞬間は同じ立ち位置でいる。それがすごく良い空間だなと実感しています。そこで起きていることは地域で起きることにもつながってきます。一般的なビジネスのシーンでは得られないものを得られています。

山岡:特に「ソーシャルビジネス起業・経営相談事業」として社会的な起業を手厚くサポートされています。

治田:はい。NPOに株式会社、一般社団や財団、ベンチャーからコミュニティカフェといったさまざまな形態の事業を同時にサポートしている場所は少ないんです。期ごとのプログラムなんですが、受講者どうしが刺激を与えあって、同期がいることで心の拠りどころになる。それを担保できていることが持ち味でもあります。

直近の6年間で、横浜市の事業だけで約250人が修了し、約40件、15%の起業を実現しています。普通はこういったプログラムから起業するのは5%から10%と言われます。

山岡:受講者の方は具体的にどういった事業で起業されているのでしょうか。

治田:例えばシェアハウス運営で起業された方は、そのシェアハウスを通して地域のコミュニティや不動産の価値を上げていくという「ソーシャル不動産」へ事業を発展させています。親子が安心して来店できるカフェを作るということから、来店するママたちがネイルアートなどの特技を生かしてその場で小さなビジネスを行えるような、お金のやり取りを最小限に持続可能な事業を立ち上げた方もいます。液体ミルクを普及する活動を長く続け講座を受けて一般社団法人を設立し、アドボカシーを実らせたという方や、物置をシェアするサービスでメディアに大きく取り上げられるようになった受講者もいます。

受講者は起業した後もここでのイベントのたびに顔を合わせ、横のつながりも自然にできています。受講した期ごとに仲良くなっていますね。

山岡:パートナーシップが形成されていますね。SDGsで言えばディーセントワークやジェンダーにもなっているし、単に社会起業家が生まれるだけでなくいろいろなことが複合して起こっていて面白いです。

プロポーザーとして発足

山岡:「mass×mass関内フューチャーセンター」はどのような経緯で立ちあげられたのでしょうか。

治田:2010年の8月、横浜市の「関内活性化推進計画」に私たちの提案が採択されました。関内エリアは「関所の中」で交易のまちとしての歴史が深いんですが、神奈川県内のビジネスの中心がみなとみらいに移行するに従って空きビルが増え、その対策をどうするかが行政としても喫緊の課題でした。それを解決するためのプロジェクトで、その中の起業家支援という題目のもと立ち上がったモデル事業だったんです。

今までの不動産賃貸業では、単純に不動産価格を設定して一社が大きく借りてくれればすむ、というものでしたが、「小さく借りて頂く」というコンセプトにどういったビジネスモデルが必要なのかはあまり横浜の中で蓄積がなかったんです。それを実践、共有してほかの空きビルにも展開するということがもともとの構想でした。

実は県内の中小企業は、例えば金沢区が製造業のまちというようにご自身の住居に近い地域にオフィスを構えられているんです。わざわざ関内エリアに来る必要がないんですね。一方、新興企業や大手企業はみなとみらいエリアにオフィスを構えます。

そこで私たちが特徴を出すためにモデルにしたのは、東京都千代田区の中小企業センタービルです。そこはもともと区の運営でしたが、ビル1棟をまるごと民間に場所を貸し出して「SOHOによるまちづくり」をコンセプトにしてコワーキングスペースや貸しオフィス、飲食も入れて街と中小企業を盛り上げていたんです。さらにその周辺の空きビルも同じスタイルで埋めていこうという流れにもなっていたので、それが横浜にも合うだろうと考えました。ただ、横浜の場合はSOHOじゃないよね、と。

私たちがもともと支援していたソーシャルビジネスの担い手がこういう場に集まってオフィスを構えたら面白いんじゃないかということと、当時の中田市長が、社会起業家を100社生み出すということを公に掲げたこともあり、それに合わせるかたちで、社会的起業家のインキュベーション施設、兼シェアオフィスを打ち出したというわけです。たまたま東日本震災の日が開設日でした。

もともと横浜市民は市民度もとても高いですし、今もSDGsに呼応する方がたくさんます。当時から神奈川、横浜は社会課題の担い手がたくさんいて、芽が出やすい地域だと思っていました。NPOが高齢化していく中、一方で社会的起業という新しい言葉に呼応するのは若い層です。しかもNPOというスタイルに捉われずに社会的な事業をやっていきたいという人も増えている。そういう状況を見て、「社会起業家支援」というコンセプトを掲げればそれなりに人が集まるんじゃないか、という感覚は持っていました。

行政側としても社会問題に対してきちんと対応策を示すために、行政だけではできないということを発信していました。行政がやろうとしていたことと私たちが肌感覚で持っていた社会的起業をサポートする仕組みの不足が一致したという側面もあります。

山岡:学業を終えたら企業人になるか、どこかの団体に属するかが当たり前だった当時に、起業して社会課題の解決をビジネスに結びつけるということのバックアップをされていたんですね。

治田:就職活動のあり方に疑問を持っていたり、大手企業に入ることが自分にとっていいことなのか、ということを感じている人は少なからずいたんです。その一方で、起業を前提とした奨学金について大学に働きかけに行くと、大学側に「こんなのは奨学金じゃない」といわれる。学生が起業家になると大学の就職率が下がるというんですね。そこも就職率に入れたらいいのにと思いますが。そういった状況で学生さんたちとの接触があって、少しだけ時代の先が見えたことは面白かったです。

起業家が飛び立ち、戻ってこられる場所

山岡:実際に、地域の中で社会的起業家が培われていった実感はありますか。

治田:入居している約90社のうちの2割がソーシャルやまちづくり、福祉をテーマにされています。2割がITでベンチャー、2割が建築家などのクリエイターです。こういった多様な方々がふとしたきっかけで接点を持てるんです。製造業の社長さんが、難病の人たちを支援しているNPOに接触するということが日常で起こるんですね。共感してのめりこむというよりは、日常の中で周囲にいろいろな人がいるというのがいいんじゃないかな、と思っています。

山岡:すごくイノベーティブだし広義にダイバーシティですよね。震災以降の8年間継続され、最近の変化は感じられますか。

治田:この10年でビジネスの環境も担い手も変わってきていることは実感しています。環境面では、社会貢献にITやテクノロジーをどう掛け合わせるかと志向する人が増えて、そういった話ができる環境になりつつあると思います。これから横浜市にはまだ「社会貢献×テクノロジー」という切り口でお金を出す仕組みも必要だと思います。

担い手自体もすごく変わっています。「週末起業」だったり「単に社会貢献するだけでなく少しだけ収益をだしてみたい」といった複合的な考え方の人が増えてきています。「タダ」であることをどう突破するかということに対して的確に悩んでいる人は始めた当初からいらっしゃいましたが、その層の中で特に若い人たちが多くなっています。

山岡:気候マーチやグレタさんの発言が頻繁にメディアで取り上げられたり、来年からは小中学校の教科書にSDGsが取り入れられます。社会の根底から意識付けをしようとしている人たちが今ではたくさんいます。問題意識を持つ人たち自体も増えていると思いますか。

治田:「これが問題だ」と言い出す層が増えているというより、共感する層が増えているのかもしれません。こういった活動に関わっていて感じることですが、やはり社会課題に対して具体的なアクションを起こす人の割合というのは多くはなく、一定層なんです。ただ、その瞬間だけでもどれだけ周囲の人に訴求できるかを考えなければいけないと思っています。だから未来に対して悲観もしてないし楽観もしていません。

実は起業された地域活動の担い手たちから「東日本大震災で結局私たちは何も変わらなかった」という無力さを感じている声を聞くことがあります。だからこそ「次、何かが起きたときに、今あるネットワークを使って課題を解消できるのではないか」と備えることが今の私たちにできることです。私たちのようなコミュニティが必要とされるときに機能しなければ、個人的にも大きなショックを受けると思いますが、そのときまではとにかく見守るしかないんじゃないかとも思います。起業家の方々が地域で何かしようとしたときに、その芽をつぶさないということが大事で、何かあったときの彼ら、彼女らの寄りどころになることが必要なんです。

起業家の方々はこの場所から飛び立っていくけど戻ってこられる場所、例えが良くないかもしれませんが「空母」だと言われることもあります。私たちも社会起業家の方々と一緒に戦ってきたのかもしれません。継続することは目的じゃないけど、ここに治田がいる、スタッフがいるということが安心だと言ってくれる人もいるので、そういう場所にはなりつつあるのかなと思います。

山岡:継続することは手段なのかもしれませんね。機会を失ってしまうとソーシャルな人たちの行き場がなくなり、課題が解決しなくなってしまいます。今後をどのように展望されていますか。

治田:行政のプロジェクトから始まりましたが、行政に寄りかかるだけじゃなく、対話をして起業家と地域に寄り添うコミュニティとして、ゆくゆくはそこにお金がつくようにファンドのようなものができれば面白いなと思っています。そこまではやりたいですね。起業家、社会課題を中心にしたコミュニティをつくること、それ自体で課題を解決していくということが「フューチャーセンター」のあり方だと思います。

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