井上尚弥、大手プロモーターとの契約で開けた「最強」への道 次戦は本場・アメリカ濃厚

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ノニト・ドネア(36=フィリピン/アメリカ)を下し、ワールド・ボクシング・スーパー・シリーズ(WBSS)を制した井上尚弥。プロボクシングとしては57年ぶり、高精細のBS8KでNHKが生中継するなど、日本中が注目した一戦は、目の離せない好試合になったが、ボクシングマガジン元編集長で、ボクシングライターの原功氏はこの戦いが井上尚弥のさらなるポテンシャルを示したと語る。大手プロモーターとの契約も決まり、いよいよスーパースターへの道を歩むことになるモンスターの今後を解説いただいた。

(文=原功、写真=GettyImages)

“思わぬ苦戦”で得た貴重な経験

大きな注目を集めた階級最強決定トーナメント「ワールド・ボクシング・スーパー・シリーズ(WBSS)」シーズンⅡのバンタム級決勝戦が7日、さいたまスーパーアリーナで行われ、開幕前から大本命と目されていた世界ボクシング協会(WBA)、国際ボクシング連盟(IBF)王者の井上尚弥(26=大橋)が、5階級制覇の実績を持つWBAスーパー王者、ノニト・ドネア(36=フィリピン/アメリカ)との激闘を12回判定で制して優勝を飾った。
戦績を19戦全勝(16KO)に伸ばした井上は、このタイミングでボクシング界最大手のトップランク社とプロモート契約を締結。来年はアメリカで2試合、日本で1試合を行う予定だ。この機に「モンスター」の近未来と対戦相手を占ってみた。

興奮が一段落した現在、まずは「年間最高試合」の声が出るほどの熱戦をさまざまな角度から改めて検証してみる必要があるだろう。

今回の井上対ドネアは9対2というオッズが出ていた。井上の圧勝、しかも前半KO勝ちが濃厚とみられていたのだ。親日家として知られるドネアは日本にも多くのファンを持つが、そんな人たちも「井上に勝つのは難しい」と胸のうちで思っていたことだろう。それを考えれば終盤まで勝負の行方が分からない激闘になり、判定決着に持ち込まれたという点でドネアが善戦したといえるだろう。裏返せば井上が苦戦したとみることができる。

この試合を通じて井上はボクサーとして精神的、肉体的にこれまでにない貴重な体験をした。その一つが、自身の入場直前にWBC同級暫定王者だった弟の拓真が敗れたことが挙げられる。判定負けだったが、途中でダウンを喫するという完敗に近い内容だった。井上は控室の中継映像を途中で消して自分のアップに専念したというが、気持ちの面で完全に集中できたかとなると疑問だ。

井上尚弥が証明した「心身のスタミナ」

2回にドネアの左フックを浴びて右目上をカットしたことも想定外のできごとだったといえよう。井上は「常にいろんな状況を考えてトレーニングしている」とはいうが、アマチュア81戦(75勝48KO6敗)、プロ18戦(全勝16KO)を通じて顔面に傷を負ったことがなく、鼻血すら流したことがなかったのだから初のアクシデントに動揺しない方が不思議だ。有効打による負傷だっただけに傷が広がればTKO負けの可能性もあったわけで、序盤で大きなハンディキャップを負ったことになる。

5回には5階級制覇王者をふらつかせたが、2回に負った目のダメージのため「相手が二重に見えた」とあって仕留めきれなかった。ドネアの切り札である左フックに加え、自身が右目上を負傷したことで右グローブを顔面横に置く時間が増え、そのため中盤に入ると右ストレートの数が減少。繰り出しても体重が乗り切らないという悪循環に陥った。負傷がもたらすマイナス効果は見た目以上に大きいのである。

9回にはドネアの右ストレートを浴びてふらつく窮地を迎えた。
「あれは効いた」と井上も認めている。プロ転向後、初めてのピンチだったが、ここで井上は珍しくクリンチで相手の追撃を免れた。まさかクリンチまで練習していたとは思えないが、ダメージを負ったなかで慌てて打ち合わなかったのは賢明な判断だったといえよう。

そして11回、左ボディブローで値千金のダウンを奪うわけだが、直前の10回に井上が左ジャブを多用して流れを引き戻していることを忘れてはならない。いったん手を離れたペースを終盤に入って奪い返し、かつ戦い方を組み立て直すことができたという点で大きな意味があったといえる。ピンチを迎えた9回、ダウンを奪った11回の間に挟まった3分間、その10回こそが今回の試合の分水嶺だったと考える。

12回をフルに戦いきって井上が証明したことは多い。精神的なタフネス、負傷やピンチの際の的確な対処法、被弾しても持ちこたえる肉体的な耐久力、終盤に入ってもダウンを奪えるパワー、修正する能力と判断力、心身のスタミナ――意識してか無意識のうちにか、いずれにしても今回の試合で井上がボクシングの幅を広げ、経験値を大きくアップさせたことは間違いない。

井上の次戦の相手は? トップランク社との契約で開けた“王道”

試合後、井上はアメリカのトップランク社と複数年の契約を結んだことを明らかにした。トップランク社は1970年代以降、モハメド・アリ、シュガー・レイ・レナード、オスカー・デラ・ホーヤ(いずれもアメリカ)らを擁して世界のボクシング界をリードしてきた実績を持つ。21世紀に入ってからは6階級制覇王者のマニー・パッキャオ(40=フィリピン)や3階級制覇王者のワシル・ロマチェンコ(31=ウクライナ)らを世界的なスーパースターに育て上げたことで知られている。ドネアも08年から16年までの8年間、トップランク社のプロモートで数々の世界戦に臨んだものだ。トップランク社主催のイベントの多くはESPNで放送されることが多く、選手の露出度も高い。

パッキャオやロマチェンコがスター選手からスーパースターの座に上り詰めることができたのは、実力に加え前後の階級を含めた猛者たちとの対戦を避けず、その多くで内容のある勝利を収めてきたからだ。パッキャオなどは自分よりも体の大きな相手と何度も戦い、その壁をぶち破ったことでボクシングの枠を超えて尊敬を集める存在になった。この先、井上にも試練の戦いが待っていることは確実で、アメリカではなじみの薄い軽量級ということを考えるとパッキャオ並みのハードなマッチメークが施される可能性は十分にある。

井上は2020年に3試合を計画しており、そのうちの2試合はアメリカが舞台になる模様だ。試合間隔から考えて次戦は3月、その次が7月あるいは8月にアメリカで行われ、年末に日本で試合という可能性が高い。ドネア戦で右眼窩底と鼻の右下を骨折したことが判明したため試合日程がずれることも考えられる。

気になるのは今後、井上が誰と戦うのかという点だ。以下のようにバンタム級だけでなく1階級上のスーパーバンタム級、1階級下のスーパーフライ級のトップ選手を含め対戦候補者は多い。

★ノルディーヌ・ウバーリ(33=フランス)
WBCバンタム級王者 17戦全勝(12KO)
★ゾラニ・テテ(31=南アフリカ共和国)
WBOバンタム級王者 31戦28勝(21KO)3敗
★ルイス・ネリ(24=メキシコ)
前WBCバンタム級王者 30戦全勝(24KO)
★エマヌエル・ロドリゲス(27=プエルトリコ)
前IBFバンタム級王者 20戦19勝(12KO)1敗
★ジョンリエル・カシメロ(30=フィリピン)
WBOバンタム級暫定王者 32戦28勝(19KO)4敗
★ノニト・ドネア(36=フィリピン・アメリカ)
元5階級制覇王者 46戦40勝(26KO)6敗
★ギジェルモ・リゴンドー(39=キューバ)
元WBAスーパーバンタム級王者 21戦19勝(13KO)1敗1無効試合
★エマヌエル・ナバレッテ(24=メキシコ)
WBOスーパーバンタム級王者 30戦29勝(25KO)1敗
★ジェルウィン・アンカハス(27=フィリピン)
IBFスーパーフライ級王者 34戦31勝(21KO)1敗2分
★ファン・フランシスコ・エストラーダ(29=メキシコ)
WBCスーパーフライ級王者 43戦40勝(27KO)3敗

このうちウバーリ、テテ、ナバレッテ、アンカハスの4人はトップランク社と提携している選手で、タイミングと条件さえ合えば井上とのマッチングは難しくはないと思われる。ただ、すでにネリとロドリゲスは今月23日(日本時間24日)にWBCの挑戦者決定戦を行うことになっており、勝者がウバーリと拳を交える予定だ。ここでウバーリが勝ち抜けば井上との因縁試合が浮上してきそうだ。弟の仇討ちという付加価値がつくカードで、井上自身もドネア戦後、「僕の目の前で弟が負けているので拓真の仇を取りたいと思う」と話している。実現すれば三つのベルトがかかった因縁試合となるが、総合力を比較するかぎり井上が一枚も二枚も上といえる。

テテも11月30日(日本時間12月1日)にカシメロとWBO内の統一戦を行うことが決まっている。試合間隔から考えると、この試合の勝者が井上と来春にアメリカで対戦することは十分に可能だ。

特に長身サウスポーのテテは2年前に世界戦史上最短となる11秒KO勝ちを記録しており話題性もある。ドネアとのWBSS準決勝を前に肩の故障のため戦線離脱したテテは以前から井上との対戦を熱望しており、実現への障壁は少ない。

アマチュア時代に五輪連覇を成し遂げ、プロでも成功を収めたリゴンドーは世界的な知名度のある選手で、井上との対戦が決まれば大きな話題になることは間違いない。この技巧派サウスポーもかつてはトップランク社と提携していたが、「高度なスキルは認めるが試合がエキサイティングではない」として契約解除された経緯がある。しかし、そこはプロの世界。条件が合えば対戦の可能性は十分にあるだろう。ヒリヒリするような技術戦が見られそうだ。

ドネアとの再戦も興味深いが、元5階級制覇王者が井上戦で負ったダメージやバンタム級近辺に猛者がたくさんいる現状を考えると、ドネアが再戦の切符を手にするためには再起して強烈なインパクトを残すことが求められる。

井上にとって最も怖い存在はスーパーバンタム級のWBO王者、ナバレッテではないだろうか。この24歳のメキシカンは大柄で、矢継ぎ早に左右のパンチを繰り出すファイター型だ。井上が対戦したことのないタイプだけに、どう戦うのか見てみたい。

今後、井上がさらにスケールアップして世界的なスーパースターになるためには、彼らのようなライバルの存在は不可欠といえる。

パッキャオがマルコ・アントニオ・バレラ、エリック・モラレス、ファン・マヌエル・マルケスらメキシコの人気者たちと何度も戦ったように、井上もリスキーな好敵手と複数回、拳を交えることがあるかもしれない。また、軽量級はフィリピンやメキシコに好選手が多いだけに、国対国という構図も盛り上がりに欠かせない。

ドネア戦で大きく経験値を上げた井上だが、「モンスター」も人の子であることも多くの人が知るところとなった。特に対戦を望む選手やそのブレーンにとっては、ドネア戦が井上攻略のための大きな研究材料になったはずだ。完全無欠と思われていた井上がふらつくシーンを見て、「俺なら」と思った選手もいるだろう。そういった意味では相手に与える恐怖の度合いが若干薄らいだといえるかもしれない。

そんななか、活躍の主軸をアメリカに移す井上がどんなパフォーマンスを見せていくのか、これからも注目していきたい。

<了>