海外アーティストの来日公演、プロモーターとレコード会社のパートナーシップ

1982年 4月16日 ジャーニーが「エスケイプ・ジャパン・ツアー」を日本武道館で開催した日

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プロモーターとレコード会社は運命共同体!

アーティストが日本国内に不在の洋楽の業務ですが、最終的には来日公演というカタチでパフォーマンスをしている晴れ姿を、ファンの前に見せてくれないことにはその人気も決定的なものにはなりづらいものがあります。

CBSソニー(当時)に限らず、レコード会社の洋楽部に関して言うと、部門の予算はアルバムの売り上げで作られていました。80年代は国内制作はともかくも、洋楽でもシングル盤は積極的に発売していましたが、それらは全てアルバムからのシングルカットであって、アルバムを売るための宣伝ツール的な意味合いもありました。そもそもが洋楽ユーザーはアルバム志向でしたが、我々の仕事はアルバムを買ってもらうために、アーティストのことを好きになってもらう必要がありました。

ちなみに海外アーティストを招聘する興行会社は、プロモーターと呼ばれます。以降本文ではあえてプロモーターと表記していきます。彼らは“招聘する=プロモートする”人で、まさに興行をうつ人(会社)のことです。宣伝をしているわけではありません。

老婆心ながらですが、日本の音楽業界の中で、レコード会社宣伝マンをプロモーターと呼んでいることが気になります。洋楽関係者はさすがに、使ってないと思いますが、これは正しくありません。宣伝マンはプロモーション・マンといいます。

前回のコラム『間違いだらけのギョーカイ用語、それってA&R? ディレクター? プロデユーサー?』で書きました “ねじれ用語” の A&R と同様に、日本の音楽業界の中で誤って使われています。日本のアーティストも、海外に飛び出す機会も増え、海外スタッフとコミュニケーションをとる機会が増えています。用語に関しては、そろそろ欧米と同じものを使っているほうが、なにかと誤解がなくていいのではないかと思います。

そういうわけで来日公演実現に向け、プロモーターとの関わりはとても大事なことでした。業界外から見ると、レコード会社が海外アーティストの招聘ビジネスに大きく関わっていると思われそうですが、基本的にそれはありません。ただビジネスの構造は別物ですが、共に “アーティストの人気” でいかにビジネスしていくか、というテーマにおいては、貴重なパートナーでしたし我々の運命共同体でもありました。

アルバムを売るために来日公演は非常に重要!

アルバムが発売され、事前のパブリシティや先行シングルがラジオを賑わしたり、とマーケティングプラン通りに進んでも、どのタイミングで来日公演が実現するのか、いつも気をもんでいました。マーケットに熱が残っている時に来てくれれば、さらに盛り上がるだろうし、発売から1年後に来ても、アルバムの拡売には難しいものあります。

実は、日本側としてアーティストに来日して欲しい時期は、そもそも本国アメリカでも一番大事な時期となってます。彼らアーティストはアメリカを離れるわけにはいかないのです。つまりアーティストが新譜を発表すると、そのほとんどが、新譜タイトルを冠にしたツアーをスタートさせています。これはアルバムを売るためのツアーです。当然ながら新曲のラジオエアプレイも活発な発売直後の一番旬なタイミングでツアーをスタートさせるのです。

これは一般論ですが、ほとんどのアーティスト達は本国アメリカの次にヨーロッパを優先します。ヨーロッパは彼等と所縁もあるし移動も楽です。一方、こちらは極東。我々がよほどアルバムを売ってないことには後回しになりがちです。以下は実績があるアーティストの典型的なツアープランです。

仮に11月上旬にアルバムを発売すると11~12月と全米ツアーを行い、これを年明け1月ぐらいまでは続けます。一旦休んで3月からヨーロッパに行くか、オーストラリア&ニュージーランドのパシフィックツアーにでるか。もしパシフィックを選んでくれたら、この両国の日程がコンファームした後に、日本での日程が出てきます。となると4月頃の日本公演が決まりますし、先にヨーロッパツアーに出られたら、日本に来るのは6月頃になるかもしれません。

いずれにしても日本ではアルバム発売から半年以上経過しています。アルバム拡売の難しさはあるものの、来日公演を果たしてくれることによって、遅ればせながらジグソーパズルの最後のコマがはまります。タイミングはベストでなくても来日公演が決定したことは大歓迎です。いくらレコードを何百回聴こうが、本人のライブ1回には敵うものではありません。

アジア・パシフィックのツアーは南半球からスタート?

アーティストがアメリカ・ヨーロッパツアーを終え、いよいよアジア・パシフィックに乗り込んでくる、としても、そこは残念ながら同じ英語圏のオーストラリア&ニュージーランドが優先されます。もちろん先に日本に連絡があって逆になることもあるかと思いますが、ほとんどのケースで彼らは南半球から東京へ上がってきます。

この打診は、アーティストがライブブッキングの契約をしている、アメリカのエージェントから日本のプロモーターへ、“いつからいつまでの日程で、日本公演ができる” という連絡が入ります。ここからやっと具体的にスタートするわけです。エージェントはウィリアム・モリス・エージェンシーやプレミア・タレントなどが有名ですね。

エージェントから日本のプロモーターに打診が入った時点で、レコード会社の担当者にも連絡が入り、ポテンシャルを見極めるためにアルバムの売り上げ枚数や地方エリアのことなど情報収集します。来日情報の確定が早ければ早いほど、公演を盛り上げるために、共同で色々なメディア企画を考えたりできますが、だいたいのケースがギリギリに決まっていました。

彼等にしてもヒット曲が大きくなり、アメリカツアーが絶好調になってきたら、予定を伸ばして会場を大きくしたいはずですし、逆に、ヨーロッパでのチケット売れ行きが悪ければキャンセルして、“じゃ日本へ行こう” とかなるかもしれません。彼等もまた不確定要素を抱きながらスタートしているわけです。

ベテランとは全く別、新人アーティスト来日の場合は?

先ほどの例は実績あるアーティストのケースなので、日本側はそれに体を合わせ受け身で待つだけですが、新人アーティストの場合には状況は全く違ってきます。基本的にはプロモーターのビジネスとレコード会社のそれは全く別物ですが、プライオリティの新人でレコード会社的には是非とも早い時期での来日公演を願っているものの、新人の悲しさで興行ビジネスが成立しない場合には、日本のレコード会社の予算で運営されることがありますし、来日中のアーティストのスケジューリングをやります…。

例えば、新譜発売のタイミングでプロモーション来日させ、そしてその期間中にライブ姿を披露させたいし、そういう写真素材を撮っていたい、というところでメディア向け&一般客向けライブを企画します。これを我々は “ショーケース” と呼んでいます。こういうケースには日本のプロモーターの協力が絶対必要です。空港ピックアップ、機材トランポ、ステージ設置などはプロに任せるしかありません。彼らにしてもアーティストがビッグになって大きな興行が可能になった時、この新人時代の人間関係が生きれば、互いにメリットがあるというものです。

アーティスト不在の洋楽ビジネスを日本でブレイクさせる秘訣

アメリカでも実績あるアーティストで、プロモーターとのコンビネーションで大成功した例もあります。以前のコラム『果てしなきスーパーエナジー、ジャーニーが日本で大ブレイクした理由』にも書きましたが、ジャーニーの日本での成功は、まさにこの興行とレコードビジネスのシナジーによって生まれました。

日本での大ブレイクを狙っていたジャーニーのマネージメントは、1981年7月アルバム『エスケイプ』発表時には、発売と同時に、アメリカではなく日本公演を行っています。これはジャーニー、ウドー音楽事務所、CBSソニーの3社によって、1年も前から計画されており、アルバム発売も事前取材も全て計画通りであったからこそ実行できたものです。アルバムを発表したらバンドは USツアーに出るところですが、先行させた日本公演のために3週間ほど後ろへずらしています。

このアルバムがハイクオリティの作品であることが大前提でしたが、発売直後というベストなタイミングに、このクラスのアーティストが日本にいて、プロモーションにも協力し、十分なパブリシティの露出があったうえ、コンサートまで実現してくれたという奇跡。これに支えられ、アルバムはビッグセールスを記録しました。

バンドは日本からアメリカに戻って9月から『エスケイプ・ツアー』が始まり、年末まで。ご存知のようにシングルヒットも数発出して、アルバムも大ブレイク。全米で800万枚以上を売り上げ、80年代を代表する作品にもなっています。このアメリカでのスーパー成功ぶりが日本にも伝わり、さらにジャーニー人気は高まっていきました。

そして翌1982年4月に、東京へ戻ってきたのです。『エスケイプ・ツアー』として2回目の来日公演が東京は日本武道館で行われました。この武道館公演をこの年のゴールにしたうえでの前年度の動きでした。ジャーニーの成功は、まさにアーティスト・マネージメント、ウドー音楽事務所、そしてレコード会社の三位一体が機能したからこそのものですが、その前提には、彼らの中に “日本でブレイクする!” という強いコミットメントがあったからこそのものです。

次作『フロンティアーズ』でもこのチームは続きます。アルバム発売前に、必ず取材協力があり万全の露出で新譜を発売。発売月に、ニール・ショーンがプロモ来日。さらに取材を重ね、アメリカに戻って全米ツアー。絶好調ツアーとアルバムのビッグセールス情報が日本にも反映され、日本公演が発表。いいタイミングで来日公演をやってくれました。

新譜発売。プロモーション来日。アメリカツアー。日本公演。これらを間を置かず、タイミングよく畳みかけてマーケットに常時バンドの情報が露出されていました。こういうアライアンスで成功したのは自分の経験ではジャーニーだけですが、同じマネージメント会社所属のミスター・ビッグのケースではレコード会社が変わっただけで、ウドー音楽事務所ともども同じ手法で大成功させています。

さほどに、アーティスト不在の洋楽ビジネスにおいて、どのタイミングでパフォーマンスする姿を日本のユーザーに見せることができるか、というのはアーティスト・ディベロップメントのプラン上、非常に重要な要素だということです。そのためにもプロモーターとのパートナーシップがいかに大事であるか、分かっていただけたと思います。

カタリベ: 喜久野俊和