オープンデータでみる「大嘗祭」 「神皇帰一」から「公的性格」…政府見解の変遷は

「昭和大礼要録」に掲載された大嘗宮(「国立国会図書館デジタルコレクション」より)

 皇位継承に伴う「大嘗祭」が14~15日に行われる。即位後の天皇が行う「一世一度の重要儀式」とされるが、当日の内容はほとんどが非公開。長い歴史を有しながら、謎の多い「秘儀」ともみなされてきた。いったい何をして、どんな意味を持つのだろう。

 それを知るヒントになりそうなのが、国や国立国会図書館がネットで公開している「オープンデータ」だ。なかでも、大正・昭和の代替わり儀式の記録をまとめた政府刊行物は、当時の政府が大嘗祭をどのように捉え、国民にどう説明しようとしていたかを知る格好の資料といえる。

 まず、大嘗祭の一般的な説明を確認したい。それは、即位した天皇が大嘗宮を舞台にその年に収穫されたコメなどを神々に供えるとともに、自らも食べて国と国民の安寧を祈り、五穀豊穣に感謝する―と説明されている。平成の代替わり時に国がまとめた見解はそう説明した上で、次のように意義付ける。「それは皇位の継承があったときは必ず挙行すべきものとされ、皇室の長い伝統を受け継いだ、皇位継承に伴う一世に一度の重要な儀式である」(1989年12月21日、閣議口頭了解「『即位の礼』・大嘗祭の挙行等について」別紙)

 また、平成時の規模や次第は明治時代後半(1909年)に定められた「登極令」(日本国憲法施行に伴い廃止)に沿って行われ、今回もその前例が踏襲される。つまり、平成・令和の大嘗祭は「登極令」に基づいて行われた大正・昭和のそれと一続きのものとみることができる。

 では、大正・昭和当時の政府は大嘗祭をどのように意義付けたのか。「国立国会図書館デジタルコレクション」で公開されている資料を順を追ってみていく。

「大礼記録」(左)と「昭和大礼要録」(いずれも「国立国会図書館デジタルコレクション」より)

 19年(大正8)に発行された「大礼記録」は、15年に行われた皇位継承儀式の内容を一般に周知することを目的に、内閣に設けられた「大礼記録編纂委員会」によって編さんされた。897ページと大部で奥付を見ると定価は「22円」。写真など図版も数多く掲載されているが、文語体で記されおり今の感覚からすると読みにくさは否めない。

「大礼記録」に掲載された「大嘗宮」正面(同)

 冒頭4ページをみると「第二節 大嘗祭」とあり、最初の段落でその意義が説かれている。平成時の説明と重なる部分もあるが、後半は様相を異にしている。見慣れない言葉もあるが引用する。

 「其ノ皇祖及天神地祇ニ奉事セラルルコト、猶ホ在マスガ如クシ、以テ報本反始ノ礼ヲ正シウシ給フ。従ッテ、其ノ儀ニ主トスル所ハ、崇高深朴、宛トシテ、皇祖親臨ノ邃古ヲ想ハシムルニ在リ」

 次に、31年(昭和6)に発行された「昭和大礼要録」の記述をみてみたい。大正の時と同じく「大礼記録編纂委員会」が編さんした。639ページで定価は「3円」。

 「大礼記録」と同様、冒頭に多数の写真が掲載されていて、眺めるだけでも当時の様子をうかがうことができる。

「昭和大礼要録」に掲載された大嘗宮(同)

 本文に移ると、第1編第1章「大礼総説」に昭和3年に挙行された即位の礼と大嘗祭など一連の儀式の概要が述べられている。大嘗祭については5ページに載っており、天皇が「神饌(しんせん)」という料理を供え、自らも食する―という記述の直後、次のように続ける。

 「実に神皇帰一の世界にして、我が国体の独り万邦に卓越せる所以の神事たり」

 本書の中程の第5編は「大嘗祭」と題され、沿革などが詳細に記されている。261ページの記述をさらに引用する。

 「祭政一致を以て国を建てられたる我が国に於て、最大神事たる大嘗祭が最も古き歴史を有することは言ふまでもなく、其の始原は実に遠く神代に在り」

 上でいくつか引用した箇所に注目し、検討を加えているのが「大嘗祭の研究」(皇学館大学神道研究所編)におさめられた論文「近代の大嘗祭」(西川順士氏著)だ。そこでは、時代ごとの大嘗祭を特徴付けるものとして「大礼記録」にある「報本反始(ほうほんはんし)」や、「要録」にある「神皇帰一」「祭政一致」などの言葉に注目。それらを当時の状況を反映した意義付けであるとする。

 すなわち、祭政一致は「昭和の大礼を中心として展開された挙国体制によく使われた語彙である。報本反始は明治といふ時代に神社非宗教の考へを支へる祖先崇拝と関連して称道された語彙である」(「近代の大嘗祭」)

 大嘗祭について、大正・昭和当時の政府刊行物に記された意義付けをみてきた。それでは、日本国憲法下で初めて行われることになった平成ではどうか。

 89年12月21日に「即位の礼準備委員会」によってまとめられた政府見解は、大嘗祭を「皇位継承に伴う一世に一度の重要な儀式」とした上で次のように続ける。

 「宗教上の儀式としての性格を有すると見られることは否定することができず、また、その態様においても、国がその内容に立ち入ることにはなじまない性格の儀式であるから、大嘗祭を国事行為として行うことは困難であると考える」(閣議口頭了解「『即位の礼』・大嘗祭の挙行等について」別紙)

 大嘗祭に宗教的性格を認め、憲法に規定された国事行為として行うことは困難であるとした。ただし、同じ憲法が皇位は世襲制と定めていることから、大嘗祭には「公的性格」があると位置づけ、その実施のための費用を国費である「宮廷費」を充てることが相当である―ともした。

皇居・東御苑で行われた大嘗祭。悠紀殿に向かわれる天皇陛下(現上皇さま)=1990年11月22日

 この見解は今回の大嘗祭でも踏襲され、その関連費用は総額20億円以上と見込まれている。

 同じ事象であっても、時代や立場の違いで見方が変化することは当然と言えば当然かもしれない。令和の大嘗祭はどのように意義付けられるのだろうか。(共同通信=松森好巨)

© 一般社団法人共同通信社