「子供はいらない」は人でなし? 中川淳一郎氏が熟考のうえ下した「子供を作らない」という選択

進学→就職→結婚→出産→子育て→定年退職→孫から「じいじ」と呼ばれる……。こういった“理想”的な人生というものもあるでしょう。ただ、自分は「結婚」まででいいです。子供はいりません。

なぜかといえば、他人様の人生を背負える自信がないからです。果たして子供をつくり、育てたいか? これについては10歳ぐらいの頃からずっと考え続けてきました。その結果、「いらない」という結論に落ち着いたのです。


「○○なさい」が苦手

現在46歳。同級生には中高生の子供がいる人も多いし、大学生や3歳の子を持つ友人もいます。彼らの充実した人生を見て本当に嬉しく思います。ただ、自分は子供はいらないです。子孫を残すのが人間の使命である、的な論説もありますが、自分の子供だったらロクでなしになるかもしれないし、社会に害悪をもたらす存在になるかもしれない。

いや、本当にそう思っているわけではなく、「子供はいらない」という人生があってもいいのでは、ということです。子供を授かることを望んでいながらも、夫婦のどちらかの事情により子供ができない家庭はあります。そういった方々は同情され、不妊治療や「妊活」を経て子供が生まれた夫婦は称賛されるもの。しかし、「子供はいらない」と宣言することは人でなし扱いされることもあります。

「産みたくても産めない人がいるのに……」という言われ方をされることもあります。でも、子供はいらない、そう決めたんだったらそれでいいのではないでしょうか。このことについては、妻とも議論を重ねたうえで、お互いそう結論付けました。

世の中は「そういうもの」という論理がまかり通っています。

・いい年なんだから結婚ぐらいしなさい
・いい年なんだからちゃんと働きなさい
・いい年なんだからきちんとした格好をしなさい
・今の時代、大学ぐらい出ておきなさい

そして「子供を産み、育てるぐらいはしなさい」という考えもある。

こうした「○○なさい」という考えが苦手です。結婚をして数年経つと「そろそろ子供は?」と聞かれますが、その質問はナシでお願いします。なんで結婚したら子供を作らなくてはいけない、ってことになっているのでしょうか。この段階で激しく怒りを抱かれるであろうことを書いていることは自覚しています。

それでも子供はかわいい

当連載はお金にまつわるテーマを取り扱っています。自分は身勝手で堕落した人間のため、もうあまり働きたくない。さっさと仕事をやめるにはどうするかといえば、出費を抑える、という話になります。そのためにも子供を作らないという選択をしました。ベビー服に始まり、学校の費用、「○○君だって持ってるんだよ!」と何かをねだられる。ありとあらゆる面で人を育てることにはお金がかかります。そのカネを稼ぐのがキツくなってきたんです。もう働きたくない。えぇ、甘っちょろい未熟な考えであることは理解しております。

子供を持つことにより人生が豊かになる、と多くの人は言います。間違いなくそうでしょう。お金はかかるものの、それ以上の幸せと充実感を子供はもたらしてくれる。ただ、こうして「子供はいらない」と宣言する人間に対してバッシングをする意味が分かりません。

1945年生まれの私の父親は5人きょうだいの3男です。当時は5人の子を育てることはそれほど珍しいことではなかったことでしょう。1970年代以降はひとりっこも増え、3人の子がいると「多いね」と言われる時代になりました。

そんな今、本当は2人子供が欲しいけど経済的に苦しいから1人で我慢をする、と語る人もいます。「1or2」で「1」を選ぶと「分かるよ、うんうん。あなたはよく頑張っているよ」と言われるのに、「0or1」で「0」を選ぶと途端に人でなしかつ未熟扱いです。

この原稿は、子供を育てたいと考える人、子供を育てて充実している人に向けて書いていません。子供がいらないと考える人に向けて書いています。

友人の子供に触れると確かにかわいいと思います。一緒に金沢旅行へ行った友人のホテルの部屋に行ったら3歳のお子さんがベッドの上で元気に跳ねて、「うんこおじさん!」と私のことをニコニコしながら呼んでくれた時は心底かわいいと思いました。

また、この前ベトナムに行った時に買った円錐型の頭にかぶる傘がことのほか暑さ対策として有効であることが分かりました。同時に、小さい子供がこれをかぶった姿はかわいいだろうな、と思いました。日本に持って帰りましたが、この傘を3歳のお子さんがいる別の友人に渡しました。

「ベトナムの傘買ったんですけど、Yさん、今度渡してもいいですか?」

「えっ?」

「いや、お子さんに似合うんじゃないかと思いまして」

「実はオレもそう思ったんですよ。その傘をかぶった写真を撮ったらかわいいだろうな、と思いまして」

「じゃあ、次回お会いする時持ってきますよ」

こうして彼に傘を渡しましたが、すぐに彼からお子さんが傘を頭に乗っけた写真が送られてきました。本当にかわいかったし、彼は「親バカではないですが、似合っていると思います」と書いていました。本当は「マジでかわいいです!」と書きたかったのでしょう。それだけこの傘をかぶったその子はかわいかったのです。

64歳まで稼げる自信がない

「こういう存在がいたら人生はもっと充実するんだろうな」とは思います。そして、その子が成長し、学校や社会で活躍をしている姿を見るのも幸せなことでしょう。だが、今、仮に子供が誕生した場合、その子が高校を卒業する段階で自分はもう64歳です。正直そこまでカネを稼ぎ続けられる自信はまったくない。そういう意味で子供は無理だと考えているのです。

結局、自分は「甲斐性なし」なんです。世界中の多くの人ができている「子育て」をチャレンジすることなく放棄したのだから。ただ、「さっさと仕事をやめる人生を送りたい」と考えた場合、「子なし」を選ぶ選択も非難される筋合いはありません。「国・社会への貢献」をしていないと非難されるかもしれませんが、かつて女性を「産む機械」と発言をしたり、LGBTを「生産性がない」との文章を書いた政治家がバッシングされたことを思い返していただきたいのです。

これら政治家の発言にも怒りを覚えた人が本稿に対して怒りや不快感を覚えたのであれば、ダブルスタンダードも甚だしいことですね。

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