1981年秋冬の全米ビルボードチャート、歴史に残る熾烈な首位争い! 1981年 11月14日 ホール&オーツのシングル「プライベート・アイズ」がビルボード HOT100 で最高位(1位)を記録した日(2週目)

クリストファー・クロス「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」が誘ってくれた洋楽の世界

まだ洋楽といえばビートルズしか聴いていなかった1981年。小学6年だった僕にとって、ラジオのチャート番組からたまに流れてくる海外のヒット曲は、随分と大人な音楽に思えたものだった。

冬のある日、いつものようにレコード店へ行くと、一緒だった友人が「俺、洋楽のレコードを買おうかな」と言ってきた。彼が選んだのは、クリストファー・クロスの「ニューヨーク・シティ・セレナーデ(Arthur's Theme(Best That You Can Do))」だった。その歌のことは僕もラジオで聴いて知っていたから、「いい曲だよね」と言うと、友人は「やっぱりそうだよな」と少し安心したみたいだった。そして彼はそのレコードを手に取ると、照れ臭そうな表情を浮かべながら、レジへと向かったのだ。

当時、レコードを買うとポスターを1枚もらえるのが、僕らのささやかな楽しみだった。「どれにしますか?」と店員さんが下敷きサイズのリストを友人に手渡した。彼はその中の一箇所を指差すと、「俺、この名前知ってる。これにします」と言った。そこにはダイアナ・ロスと書かれていた。この女性歌手がとある男性歌手とデュエットした「エンドレス・ラブ」は、ラジオでもよくかかっていたので、僕も名前だけは知っていた。ただし、彼女が黒人だとは知らなかったから、店の外でポスターを広げた時、友人と僕は盛大に驚くこととなった。ちなみに、クリストファー・クロスの写真を見た時もびっくりした。もっと美男子だと勝手に思い込んでいたもので…。

クリストファー・クロスの「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」と、ダイアナ・ロスのポスター。あの時、洋楽がぐっと身近になったような気がした。

ビルボードHOT100から紐解く、歴史的な首位争い

このコラムを書くにあたり、その当時のビルボードチャートを調べてみたところ、これがなかなか興味深かった。例えば、今から38年前の1981年11月14日付のチャート。

1位 プライベート・アイズ / ダリル・ホール&ジョン・オーツ
2位 スタート・ミー・アップ / ザ・ローリング・ストーンズ
3位 フィジカル / オリビア・ニュートン・ジョン
4位 ガール・ライク・ユー(Waiting for a Girl like You) / フォリナー

ダリル・ホール&ジョン・オーツ(以下、ホール&オーツ)は2週目の1位。ストーンズは3週目の2位で、その前は2週続けて3位だった。そして、ホール&オーツの前に1位だったのがクリストファー・クロスの「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」(3週連続)。さらに言うと、そのもうひとつ前に1位を9週も続けていたのが、ダイアナ・ロス&ライオネル・リッチーの「エンドレス・ラブ」だった。

それにしても、なんと強力なラインナップだろう。5週間もトップ3にいたのに1位になれなかったストーンズは、巡りが悪かったとしか言いようがないが、この後それを上回る不運に見舞われたのがフォリナーの「ガール・ライク・ユー」だった。

フォリナーの不遇と10週連続1位のオリビア・ニュートン・ジョン

翌週、オリビア・ニュートン・ジョンの「フィジカル」が、ホール&オーツを抜き去り1位を獲得する。フォリナーも翌々週には2位となり、ぴったりとオリビアのお尻に貼りつく。ところが、ここからがドラマの始まりだった。オリビアはそのまま10週間も1位をキープし、その間フォリナーは9週連続で2位にとどまったのだ。

まさに両者の一騎打ち。歴史に残る一戦と呼ぶにふさわしい様相を呈していく。この2曲の前では、アース・ウインド&ファイアーの「レッツ・グルーヴ」も、ザ・ポリスの「マジック(Every Little Thing She Does Is Magic)」も、その牙城を崩すどころか、まったく歯がたたず、小舟のように沈んでいくしかなかった。

そして、オリビアがようやく首位から陥落した1982年1月30日付のビルボードチャート、そこで首位に立ったのはホール&オーツの「アイ・キャント・ゴー・フォー・ザット」。フォリナーの「ガール・ライク・ユー」は、なんと2位のまま。これで10週連続2位という、ある意味では不滅の記録を残すも、とうとう1位にはなれず、静かにその姿を消すこととなった。いやはや、巡りが悪いにもほどがある。こんなことってあるんですね。

80年代を代表するヒットメーカー、ホール&オーツ

そんなフォリナーと対照的なのがホール&オーツ。翌週には2位にランクを下げるのだが、このさらっと1位を獲得し、すっとその座を明け渡す妙味。けっして酒場で長尻はしないベテラン呑兵衛の振る舞いにも似た、ヒットチャート常連の粋を感じる。こうした巡りの良さもまた、80年代を代表するヒットメーカーとしての面目躍如と言ったところだろう。

―― 1982年の春に中学生になると、僕の歌謡曲への興味は急速に失われ、洋楽ばかりを聴くようになった。今にして思えば、友人が初めて洋楽のレコードを買ったあの冬の日から、少しずつ心の準備をしていたのかもしれない。もう子供じゃないのだという自我とともに…。僕にとって洋楽を聴くということは、そんな意味も含んでいたように思えるのだ。

カタリベ: 宮井章裕

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