祖国で国民的アイドルに ミャンマー出身の森崎ウィンさん 10歳で日本に移住、エンタメでPR

 2011年の民政移管以降、経済成長が著しいミャンマー。「アジア最後のフロンティア」とも呼ばれるこの国で、俳優で歌手の森崎ウィンさん(29)の人気がすさまじい。

 「森崎」は芸名で、ミャンマーの出身。昨年公開の米ハリウッド映画「レディ・プレイヤー1」(スティーブン・スピルバーグ監督)で主人公を支える日本人役に抜てきされ、恩田陸さんのベストセラー小説を映画化した「蜜蜂と遠雷」での演技も評判を呼んだ。

取材に応じる森崎ウィンさん=ミャンマー・ヤンゴン(共同)

 10歳の時、日本に移り住み、14歳で芸能界入りし、ダンス・ボーカルグループに加わった。その後、祖国にも活躍の場を広げ、今ではミャンマーの国民的アイドルと呼ばれる。「エンターテインメントを通じてミャンマーをPRしたい」。その目は常に世界を見据えている。

 声援が飛ぶ中、ステージで熱唱する。投げたタオルをファンの女性がこぞって奪い合う。日系企業を中心にCM出演が相次ぎ、自身の名を冠したバラエティー番組「ウィンズ・ショータイム」も好評。来年2月から始まるミャンマー初の連続ドラマでは主演の1人に選ばれた。歌にダンスに演技―。ミャンマーでの人気は絶大だ。

自身が司会を務めるミャンマーのテレビ番組『ウィンズ・ショータイム』に出演する森崎ウィンさん(民放MNTV提供・共同)

 若い女性だけなく、ファン層は幅広い。カウン・ミャ・トゥ君(5)は「日本から来たんだよね。歌がうまいのが好き」。主婦のヌー・セインさん(62)は「とても素朴で素直な感じ」と魅力を語る。土曜の夜は必ず「ウィンズ・ショータイム」にチャンネルを合わせる。少し幼く、あどけなさが残るビルマ語が逆に新鮮に映るという。

 森崎さんの両親は東京へ出稼ぎに行った。自身はミャンマー最大都市のヤンゴンに残り、英語教師だった祖母に育てられていたが、弟が生まれたのをきっかけに日本で暮らすことに。一年中温暖なミャンマーと比べ、四季がある日本の気候に慣れなかった。冬の乾燥は耐え難く、くちびるがかさかさになって苦労した。言葉も全く分からなかった。何よりもショックだったのは、小学4年で転入した学校の同級生が誰一人としてミャンマーの国名すら知らないことだった。

 いじめられたこともあった。休み時間にサッカーをすると決まってキーパーをやらされ、ゴールを許すと上級生に殴られた。一方で「ウィンは日本語が分からないんだ」と言って、いじめを止める友達も現れた。「周りに助けられた。自分を受け入れてくれた」と振り返る。

 スカウトされ、芸能界入り。ダンス・ボーカルグループ「PRIZMAX(プリズマックス)」の中心メンバーに。ミャンマーでは2017年に会員制交流サイト(SNS)上で注目され始め、その後、出演映画公開の記者会見での誠実な対応が好感を集め人気が沸騰した。「レディ・プレイヤー1」への出演でさらに知名度を高めた。

自身が司会を務めるミャンマーのテレビ番組『ウィンズ・ショータイム』に出演する森崎ウィンさん(民放MNTV提供・共同)

 テレビロケがまだ珍しい地方の村も訪れ、子どもから高齢者まで分け隔てなく触れ合う。人気におごることなく、常に謙虚というのが関係者の評だ。ミャンマーのテレビ局の番組制作に協力する日本国際放送のエグゼクティブ・プロデューサー松島麻子さんは「負けず嫌いで努力家。だから味方が増える」と語る。

  「レディ・プレイヤー1」のオーディションは、祖母に習った英語を武器に臨み、見事合格した。現実世界とゲームの中の仮想現実が織りなす映画で、日本人のダイトウ役を演じ「俺はガンダムで行く」というセリフが話題になった。「蜜蜂と遠雷」では南米と欧州の血を引くピアニストを演じた。少しエキゾチックな面立ちでは「大河ドラマの主演は難しい」と笑いながら、「自分だからこそ狙える道がある」と話す。

 軍政が長年続いたミャンマーは15年の総選挙で、民主化運動の象徴でノーベル平和賞を受賞したアウン・サン・スー・チー氏が率いる国民民主連盟(NLD)が地滑り的な勝利を収め、翌年、スー・チー氏が事実上率いる政権が誕生した。

 ただ軍の影響力が依然として強く、イスラム教徒少数民族ロヒンギャの迫害問題で国際的な批判を浴びる。1人当たりの国民総所得(GNI)は1190ドル(17年)。日本の35分の1程度にすぎず、大半の国民はまだまだ貧しい。森崎さんは人権侵害には憤り、心を痛める一方で「国を変えようという人がいる。ミャンマー人であることを恥じる必要はない」と力強く語る。

 国籍はミャンマーのままだ。日本への愛着はもちろんある。だが国籍を変えるつもりはないと語る。「ミャンマー人だってハリウッド映画に出られる」。自分の活動で祖国のイメージが良くなり、国民の活力になればと願う。日本語、ビルマ語、英語を駆使し、ミャンマーの対外的な「顔」の一人になる決意だ。(ヤンゴン共同=大西利尚、斎藤真美)

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