ツールを彩った「永遠の2番手」元選手プリドール氏が死去

レイモン・プリドールさん ©️ASO

 1960年代、70年代にツール・ド・フランスを中心に活躍した元自転車選手のレイモン・プリドールさん(フランス)が死去したことが明らかになった。83歳。10月初旬から入院生活を送っていたという。

「永遠の2番手」と呼ばれて

 プリドールさんは1960年代〜70年代にかけ活躍。1961年にミラノ〜サンレモを制したのをはじめ、1964年のブエルタ・エスパーニャ総合優勝など主要レースで6勝を挙げるほどのトップ選手だったが、不運なことにジャック・アンクティル(フランス)、エディ・メルクス(ベルギー)というさらに偉大なトップレーサーと同時代であったことから、ツール・ド・フランスだけは優勝に縁がなかった。1964~76年にかけ、総合2位3回、3位を5回という素晴らしい成績を挙げたものの、いずれもメルクスらに阻まれ優勝できず。途中のステージで、マイヨジョーヌを1日でも着ることすら叶わなかったことから、やがて「永遠の2番手」と呼ばれるようになった。しかし彼が記録した、ツール・ド・フランスにおける通算8度もの表彰台は、現在も破られていない金字塔だ。

 現役引退後もツールとは継続的に関係を保ち、マイヨジョーヌのタイトルスポンサーであるLCL銀行のアンバサダーとして、今年のツールも含め表彰台で選手を讃え続けた。また彼の自転車選手としての血脈は連綿と受け継がれており、現在シクロクロス、ロードレース、MTBいずれの分野でも活躍し注目されるマチュー・ファンデルプールは彼の孫である。

 こうした足跡から、フランス国民、あるいは歴代の一流選手たちからも「ププ」という愛称で親しまれていた。ツールの運営者ASOもツールの公式ウェブサイトで死去を伝え哀悼の意を示したほか、孫のマチューをはじめ、現役選手、かつての名選手の多くから追悼のコメントがSNSにアップされている。

(孫のファンデルプールはインスタグラムに祖父との写真を投稿した)

(コンタドール氏も在りし日のプリドールさんとの写真を掲載し、哀悼した)

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