『どうしても生きてる』朝井リョウ著 自分で選んだ人生を生きる

 「自分に嘘をつかずに生きよう」。そこらへんの自己啓発系の人やものや本たちは、そんなようなことをぺろりと言う。彼らによるならば、人には皆、使命があって、どんなに困難でも、目指す地点に向かってまっすぐに進む、それが「良き人生」であるらしい。

 そう、彼らによるならば、何か「目指すもの」があることが、より良い人生の必須条件だ。そんな価値観が子どもの頃から、脳みその根っこに植え付けられる。何かを目指すことは素晴らしいことだよ、努力すればいつか報われるんだよ。

 特に「目指すもの」がない人生が普通にあることを彼らは知らない。「目指すもの」など特になく、心躍る絶頂などもなく、朝が来て、決められた場所へ行き、決められた仕事を果たし、決められた時間に帰ってくる、それもまた素晴らしい人生であることを、彼らは眼中に置かない。「探せばあるでしょう、わくわくすることが!」。彼らは、誰もがキラキラすべきだと思っている。

 本書に出てくるのは、その、キラキラ人生ではない人生を生きる人たちだ。決められた時間通りの人生を愛しながら、事故や自殺で亡くなった人の記事を見るなり、その人のSNSのアカウントを一瞬で見つけてしまう女性。かつて友とコンビで漫画家を目指し、でも自分の実力に限界を感じ、作画担当の相方と別れをつげて結婚をして、サラリーマン生活をしている男性。彼はいつも「こうじゃなかったはずの人生」を思う。あの道を、今も、諦めずに突き進んでさえいればと。

 右を見ても左を見ても、生きづらさばかりが視界を覆う女性。どうでもいい動画を見ているときだけ、何も考えずに済む。家族それぞれの事情に、ひとつひとつ、一喜一憂する母親。でも、そのどれもを凌駕する問題が彼女にはあった。物語は他に2編。それぞれの生きづらさが描かれ、それぞれの登場人物が、それぞれの持場で、それぞれの人生に奮闘している。生き方に良し悪しなどない。どんな職場に、どんな家庭に置かれていても、そこで起きるすべてを引き受けるところから人生は始まる。そう、これは、ささやかな始まりの物語なのである。

(幻冬舎 1600円+税)=小川志津子

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