‟ママ女医”が増加して過重労働に 「ロスジェネ独身女医」の苦悩

今どき若手医師の人気は、「東京>地方」、「マイナー科(眼科・皮膚科・精神科など)>メジャー科(外科・内科・産婦人科など)」、「一般病院>大学病院」と言われています。2004年度からの新研修医制度によってこの傾向が始まり、2018年度からの新専門医制度によって一気に加速しました。

今回は、この三重の不人気条件を揃えた、「地方の大学病院のメジャー科の医者」の人生を覗いてみたいと思います。

※本稿は特定の個人ではなく、筆者の周囲の医師への聞き取りをもとにしたモデルケースです。


** 鈴木まどか先生(仮名):44才、東北地方の国立B医大講師、専門は腎臓内科、独身で母と2人暮らし**

【平均的な月収】
大学病院からの本給 月約55万円(別にボーナス3~4か月分)
毎週木曜日アルバイト 1日10万円×4~5回
当直アルバイト 1回10万円×2回
製薬会社の講演会や原稿料 0~2万円
各種謝礼など 0~2万円

【支出(母親分も含む)】
・住居費:2万円(分譲マンションの共益費など)
・食費:8~12万円
・水道光熱費:1~2万円
・通信費:2万円(スマホ2台、格安スマホに変更)
・車両費:3~10万円(アルバイト先まで、主に車で高速道路での移動)
・書籍・学会費:3~20万円(国際学会があった月は100万)
・医療費:2~5万円
・交際費:5~10万円
・趣味費:5~10万円

【資産】
不動産:2LDK分譲マンション、ローン済
車:プリウス
預貯金・国債・投資信託:約2,000万円

しっかり者で長女タイプだった子供時代

まどか先生は、東北地方B県の出身で公務員家庭の長女として育ちました。不在がちの母親に替わって弟妹の面倒をみる、真面目でしっかりとしたお子さんだったそうです。学校でも優等生タイプで先生からの信頼も厚く、県立トップ校からB医大に現役で進学しました。2000年にB医大を卒業した後、当時の常識どおりB医大付属病院の内科医局に就職しました。

当時の国立大付属病院の研修医生活はドラマ「白い巨塔」のような「月給18万、1日18時間×週6日勤務」でしたが、同級生の多くも同様の生活をしていたので、特に不満を抱くこともなく働いていたそうです。女子医大生も徐々に増えてきましたが、男性同様の激務を当然として受け入れていました。2004年の新研修医制度の導入までは……。

女性活躍支援とは言うものの

新研修医制度によって、若手医師は母校といえども地方大学病院を嫌い、都会を目指すようになりました。大学病院の生命線だった、安定的な新人供給が途絶したのです。人手不足対策として、いわゆる「ママ女医」支援策がB医大でも導入されるようになりました。産休・育休だけでなく、「子持ち女医の当直免除」「時短勤務」「週三日勤務」などの、大胆な業務軽減策が導入されたのです。と言っても患者数が減るわけではなく、若手医師の不人気は続いているので、負担は男性医師や独身女医の肩に重くのしかかりました。

まどか先生の医局では、30代半ばで留学することが暗黙の了解でしたが、まどか先生が留学準備をしている頃は女医の妊娠・出産が相次いで、「留学を遅らせてくれ」と教授に頼まれました。了解したところ「まどか先生は留学を辞退した」と会議で報告され、そのまま承認されたそうです。年度末、教授はイクボス(育児に理解ある上司)として、内科学会の特別賞を受賞しました。

「白い巨塔」時代ならば、病院内部での評価は「仕事にフルコミットする独身女医>時短ママ女医」という扱いだったのですが、近年の「女性活躍推進」「子育て支援」という大義の前には揺らぎつつあります。病院の研修医募集ホームページでも、「女医活用モデルケース」として紹介されるのは、俗に「ゆるふわ女医」と呼ばれる「男性医師と結婚して時短で働くママ女医」がお約束で、「週3回当直」などで支援するまどか先生のような独身女医はスルーされます。

「ゆるふわ女医」を支援する「独身バリキャリ女医」

第1回の佐藤教授で紹介したように、大学病院医師の本給は同世代の公務員レベルで、大学医局から紹介されるアルバイト代によって実質的な給料が決まります。また、大学病院の当直料は「一晩1万」レベルで、時給換算すると「コンビニ店員以下」のことも珍しくありません。しかし、医局制度が機能していた時代には「フルタイム医師」と「当直なし女医」で紹介するバイト日数を変えることで、実質的な賃金差を付けることも可能でした。

近年の「女性支援」「子育て支援」ムードによって、子持ち女医の「当直免除」「定時帰宅」は当然の権利となりつつあります。しかし、アルバイト日数で男女差をつけると「ハラスメント」と言われかねない時代でもあります。現状では、「ゆるふわ女医」も「独身バリキャリ女医」も両者の給料に大差はなく、「時給換算するとバリキャリの方が低い」という事態が大学病院で頻発しています。

多くの場合、大学病院「ゆるふわ女医」の夫は医師なので、家庭単位でみると「医師夫婦」を「男性医師×専業主婦夫婦」や「まどか先生のような独身女医」が支援、という「格差拡大」的な構図になっているのです。

ロスジェネ医師と呼ばれて

1998~2003年頃に卒業した医師は「ロスジェネ医師」と呼ばれることがあります。自分が新人~若手だった頃には「白い巨塔」のような丁稚奉公を求められたけど、中堅になるころには時代が変わって「若手や女性を支援する」ことを要求されるという、「最もワリを喰った世代」だからです。

特に、衰退する一方の地方の病院では、「下っ端の雑用」をこなしつつ「中堅としてのハイリスク業務」「定年直前の高齢医師のフォロー」を担わざるを得ない世代でもあります。故郷や母校を見限る中堅医師も少なくありませんが、なまじ責任感があるタイプほど逃げ遅れて、終わりの見えない過重労働に喘いでいます。

それを見た若手医師は(第二回の塩野先生のように東京のマイナー科に)逃げ、さらに人手不足が進行……という負のスパイラルから脱却できずにいます。

婚約はしたものの

かつて、まどか先生には10年以上交際している同級生の恋人がいました。学生時代には代返やノートコピー、医者になってからは夜食作り、炊事、洗濯で甲斐甲斐しく尽くしました。ご両親にも紹介して、事実上の婚約状態だったそうです。しかし、30才を過ぎた頃、当直や産休女医の代診などに忙殺されて会えない日々が続き…やがて、彼氏が神奈川県のC医大に出向中、電話で「C医大の研修医と入籍したので、こっちで就職する」と報告されて…終了しました。

地方の女医の生きづらさ

内科は基本的に高齢者相手の商売なので、患者からの「子供産んだことはない女は半人前」「勉強しすぎる女は生き遅れる」レベルの昭和的発言は、よくあります。しかし近年、それを聞いた医者が「声を荒げる」「怒りを露わにする」という行為は、「ハラスメント」扱いされたり患者接遇委員会で問題となるリスクが高く、サラリと聞き流さなければなりません。

私生活でも、男性医師ならば地方ではスーパーエリート扱いされるので婚活には苦労しませんが、地方の女医は同レベル男性を県内で見つけることが困難なので、まどか先生のように「学生時代のパートナーに逃げられたら終了」というパターンが後をたちません。

「女医は地方勤務をしない」と問題視されますが、「単なる我儘」と断言できない昭和的な空気が地方に残っていることも、否定できない事実なのです。

「人間は長く支援されていると、それが当然になって感謝されなくなってゆくんです。支援する方が疲れ果てて止めると、逆切れして怒られるんです。電気や水道みたいなもんですね。」と、呟くまどか先生なのでした。

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