川原は今 石木ダム用地明け渡し期限・中 <居場所>  ここにまだ住んでいる

自室で創作途中の絵を手に話す石丸さん=川棚町

 お気に入りのミュージシャンのポスター、何度もページをめくった絵本、捨てられない少女雑誌の付録、色鮮やかなキャンドル-。とりとめない思い出と大好きなもので満たされた、小さいけど大切な居場所。「確かに、私の場所のはずなんだけど…」。県と佐世保市が東彼川棚町に計画する石木ダムの水没予定地、川原(こうばる)地区の住民、石丸穂澄(37)は、住み慣れた自室でため息をついた。
 高校卒業後、軽躁(けいそう)と抑うつを繰り返す双極性感情障害と診断された。何度か実家を離れて生活したがストレスによる嘔吐(おうと)や不眠に悩まされ、結局は川原に戻った。窓の外に緑が広がり、耳を澄ませば小川のせせらぎが聞こえる。何の変哲もない谷あいの集落が、かけがえのない居場所だと悟った。
 2010年3月、ダム建設に伴う付け替え道路工事が始まり、「平穏な暮らしが脅かされている」と初めて感じた。ダムについて調べ、川原の豊かな自然や多様な生態系、素朴な生活をイラストや漫画にしてネットや冊子で発信するようになった。
 「生きものの気配にあふれ、人と人が温かくつながる川原が、私にはどうしても必要」。切実な思いを絵筆に込め、古里の豊かさと美しさを表現してきた。住民の生活を追ったドキュメンタリー映画の公開や川原地区への著名人の相次ぐ訪問、県に公開討論会を迫る市民運動の活性化など、人々の共感は着実に広がった。だが一方、土地収用法に基づく手続きは冷徹に進み、自宅を含む全ての土地が収用された。
 9月、土地の権利を失う最後の日、5年ぶりに実現した中村法道知事との県庁での面会で、これまで描いてきたイラストを掲げ、「私たちの大切なものを壊さないで」と訴えた。帰宅後、疲れて泥のように眠り、夜になって目が覚めた。1人で夕食を取っていると「もうすぐ私たちの土地じゃなくなるのか」と寂しさに襲われた。土地の権利が消滅した午前0時、短文投稿サイトに素直な気持ちを吐露した。「0時過ぎた…。もう わたしのものでない わたしの土地… ここにまだ 住んでいるわたし…」
 しばらく絵が描けずにいたが最近、また少しずつ描き始めた。「結局、やめられない。執念なのか。悪あがきなのか」と笑う。私はまだ、ここにいる。美しい古里はまだ、ここにある-。自らに言い聞かせるように、絵筆を握る。
=文中敬称略=

© 株式会社長崎新聞社