EPICソニー名曲列伝:小比類巻かほる「Hold On Me」にみる二次元戦略とは? 1987年 2月26日 小比類巻かほるのシングル「Hold On Me」がリリースされた日

EPICソニー名曲列伝vol.16
小比類巻かほる『Hold On Me』
作詞:麻生圭子
作曲:大内義昭
編曲:土屋昌巳
発売:87年2月26日

絶大なる名字のインパクト、青森出身 “こひるいまき” ?

「こひるいまき―― 変わった名前だなぁ」
おそらく多くの人と同じく、私もまずは名字のインパクトに驚いた。「国生さゆり」の「こくしょう」、「網浜直子」の「あみはま」にも驚いたが、「小比類巻」の漢字4文字とその読み「こひるいまき」のインパクトは絶大だった。

その「こひるいまき」女史は、ニックネームが「KOHHY」(コヒー)で、青森の三沢基地の近くに生まれ、青森の三沢基地のFEN(米軍向けラジオ、現「AFN Misawa」)を聴いて育ったと、繰り返し伝えられた。

青森出身という事実をベースにしつつも「青森→津軽→吉幾三→演歌」ではなく「青森→三沢→FEN→洋楽」という文脈を強調するイメージ戦略があったのだろう。

音楽とビジュアルの抜かりなきブランディング
手元にあるのは、1988年に発売された大判の写真集『KOHHY'S STORY』(角川書店)。ニューヨークで撮影された小比類巻かほるの、いかにも「かっこいい」「男前」な写真にはさまって、三沢時代を中心とした彼女のバイオグラフィが語られる。

例えば、三沢の「LINQUEUR」という「ジャズ喫茶」で、クインシー・ジョーンズのライブビデオを見ながら、少女時代の小比類巻かほるは、こんな夢想をする。

――愛のコリーダ。ああ、こんな風になれたらなぁ。パティ(註:オースティン)はいいな。私が黒人だったら……そしたら、アメリカに行って…、ストリート・ミュージシャンでもいいな。

ニューヨークでの「男前」な写真に、この語り口である。この段階で「吉幾三成分」はみじんも無く、「KOHHY」ワールドが広がっていくのである。

しかし当時の若者、特に男子は見逃さないのだ。「男前ヴェール」に包まれた「KOHHY」の写真をしげしげとよく見たら、実はめっちゃええ女=「かほる」だったということを。

小比類巻かほるが開拓した、アイドルとロックの中間市場

言いたいことはまた、渡辺美里『My Revolution』の項で書いた「歌謡曲とニューミュージックとロックの真ん中」市場の話である。ここではもう少しシンプルに「アイドルとロックの中間市場」と言い換えてもいいだろう。

三沢基地の FEN を聴いて、クインシー・ジョーンズのビデオを見て、アメリカに行くことを夢見ていた「KOHHY」、というロック性。でも、ふわっとした髪型にクリクリの瞳、すらりとしたスタイルの「かほる」というアイドル性。その融合。

もちろん、EPICソニー以外にも、渡辺美里以前にも、「アイドルとロックの中間市場」を狙った女性シンガーはいたと思う。たとえば杏里はまさにそうだった。しかし、偶発的ではなく、あくまで戦略的に、あくまで意図的にその市場を想定し、築き上げたのは、EPICソニーが初めてではなかったか。

そう考えると、小比類巻かほるの存在は、渡辺美里からの流れに、ぴったりと位置付けられる。さらには、アイドル性に対するロック性を高めながら、90年代的大衆性をどーんとトッピングしたところに咲いた大輪の花が、ドリームズ・カム・トゥルーの吉田美和ということになるのだが。

まさに和製洋楽、4枚目のシングル「Hold On Me」

前段が長くなった。そのような「KOHHY」の売り出し方に、今回の曲『Hold On Me』は、見事に応えている。英語のタイトルやメジャーセブンス、高いキーのボーカルはロック的。でも憶えやすいメロディや、「♪ 今のままの あなたでいて」と懇願する歌詞はアイドル的。

特に工夫を感じるのはメロディだ。「♪ メロディ カタチのない 贈りもの」の「♪ 贈(おく)」で音程がすっと上がるところは実にキャッチー。まさに「和製洋楽」という感じがする。作曲は、後に藤谷美和子とのデュエット『愛が生まれた日』(94年)で大ヒットを放つ大内義昭。

先の『KOHHY'S STORY』に戻ると、歌手としてデビューが決まり、EPICソニー主催のコンベンションで、シェリル・リンのカバーを歌った小比類巻かほるが、その後、同じくEPICソニー所属の佐野元春や大沢誉志幸、バービーボーイズ、ザ・ストリート・スライダーズなどの面々と音楽論議を交わして、感動するシーンが描かれている。

このシーンを想像して、私は「あっ」と思ったのだ―― 「めっちゃええ男・ええ女ばかりの集団やん!」。

日本初の二次元戦略、EPICソニーの黄金時代

要するに、渡辺美里や小比類巻かほるらによる「アイドルと洋楽の中間市場」は、EPICソニーの一断面に過ぎず、もっと本質的な事実は「EPICソニーの音楽家は美男美女ばかり」ということではないだろうか(『SACHIKO』の人など、一部例外もあるが)。

その言い方が身も蓋もなさすぎるとすれば、サウンドという「一次元」に、ビジュアルという「二次元」を組み合わせる戦略を徹底した、日本初の「二次元戦略」レーベルが EPICソニーだったということになる。

今でこそ当たり前な「二次元」の重要性にいち早く気付いたEPICソニーが、「一次元」にこだわっている他のレーベルを出し抜いていく―― ここに「EPICソニー黄金時代」の本質があったのではないだろうか。そうして EPICソニーは、その後の J-POP 市場の基礎を作っていくのである。

※ スージー鈴木の連載「EPICソニー名曲列伝」
80年代の音楽シーンを席巻した EPICソニー。個性が見えにくい日本のレコード業界の中で、なぜ EPICソニーが個性的なレーベルとして君臨できたのか。その向こう側に見えるエピックの特異性を描く大好評連載シリーズ。

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etc…

カタリベ: スージー鈴木

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