風化させてはいけない 雲仙・普賢岳噴火29年

29年前、噴煙が上がっていた方角を示す石動さん。後方は普賢岳に連なる妙見岳=雲仙市小浜町雲仙

 44人の犠牲者を出し、終息宣言まで約5年半に及んだ雲仙・普賢岳噴火災害。1990年11月、198年ぶりに普賢岳が噴煙を上げて17日で29年になった。長崎県雲仙市小浜町雲仙の雲仙いわき旅館の専務、石動義高さん(62)はあの日、噴煙を上げる普賢岳の火口近くまで駆けつけた消防団員の一人。当時を振り返り、「災害の記憶を風化させてはいけない」と訴える。
 当時、小浜町消防団第6分団員。同旅館で宿泊客を見送った午前8時すぎ、サイレンが鳴り響いた。すぐに団服に着替え、詰め所に向かうと「普賢岳で山火事」という一報を受けた。
 団員約20人で消防車2台に分乗し仁田峠に向かうと、第2展望所を過ぎた辺りで、空に立ち上る2本の煙を確認した。「山火事にしてはおかしい」と煙を見ながら仲間と話した。気象庁雲仙岳測候所の職員からの「あれは噴火です」の一言には耳を疑った。
 「行かなければいけない」。先に入った第1陣を追って、仁田峠から仲間や消防署員ら約10人で登山道に入った。40~50分ほど歩き、山頂付近にあった当時の普賢神社に到着。「ゴゴゴゴ」という地鳴りが聞こえ、階段辺りから70~80メートル先を見下ろすと、地面が裂け、白っぽい噴気とともに土砂が噴出。泥水のような臭いも漂っていた。
 それが長期災害の始まりになるとは、当時は知るよしもなかった。その後、雲仙温泉街は客足が激減。翌年6月3日の大火砕流以降は同旅館の稼働率が最盛期の1割程度まで落ち込むなど「温泉街全体にとって最大の分岐点だった」と指摘する。
 30年近くの時が流れ、住民の間にも記憶の風化が進む。一方で温泉街にはいまだに経済的な爪痕が残るという。「激動の29年間だった。復興はいまだに道半ば。地元で協力しながら、雲仙活性化のための取り組みを続けたい」と古里の山を見詰める。
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 雲仙・普賢岳の噴火災害で甚大な被害を受けた島原市安中地区では17日、溶岩ドーム崩落に対する備えと地域住民の防災意識の啓発を図るため、関係機関や住民らも参加する防災避難訓練を実施する。

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