【おんなの目】 「本は怖い」

 食欲がありすぎる。新米も出回り、果物も美味しくなってきたこともあろうが、この秋の私の食欲は異常だ。

 ある日の午後、満腹のお腹を抱えて、それでもなおコーヒーカップを持って、座椅子に寄りかかって本を読んだ。『もの食う話』(文藝春秋編)。

 最初は『食慾について』(大岡昇平)。彼が戦時、比島の或る僻地を警備していた時、隊の食事で、若い兵士が、比較的平然と空腹に堪えたのに反し、中年の兵士が甚だ芳しからぬ餓鬼的行為を示した、とあった。

 何故? 若い兵士のほうが飢餓感は深いだろうに、と思った。次の行を読んで、コーヒーにむせた。

 “青春は心を占める別の重要なる欲望を持っているが、中年は既にそれがない。あっても弱いということである”。なんだって、重要なる欲望? 青春の欲望は知っているつもりだ。欲望に苦しんできたもの。それがなくなり平穏に日々を過ごせて喜んでいる。が、それは単なる衰退で、人としての重要な欲望をなくし食慾だけが残ったということか。

   重要な欲望とは何か? 私が青春時に抱えていたつまらぬ欲望のことではないのか? 本はまだ最初の二頁しか読んでいない。後九割残っている。私は何を失くしたのか? それは今、代替がきくものなのか? 本を読むのが怖い。

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