人家の少ないエリアを【非電化路線に乗ろう02】大湊線 その4

駅名標。前回書いた様に、金谷沢駅は大湊線では駅周辺の人口が最も少ない駅です。1953年(昭和28年)開業。

ちなみに、大湊線で同じ範囲(駅を中心にした半径500m・直径1km)に千人以上住んでいるのは、大湊駅(1264人)、北野辺地駅(2064人)、野辺地駅(1257人)の3駅、他の駅は千人以下です。大湊線は元々が軍事的な目的で敷設されていますから、人間の移動はさほど考慮されていないのでしょう。例えば、有戸駅などは同じ範囲に金谷沢駅に次ぐ107人という少なさです。(2010年・国勢調査)

大湊線は、人家の少ないエリアを行きます。

この踏切も左に少し行くと集落があるのですが。右に進むと海に通じています。海に出られる道は、下北駅の北西にあった道以来なのです。海際に浜奥内漁港があるからです。漁港の南側に砂浜の浜奥内海水浴場や民宿もあります。ちょっとした集落になっています。静かそうなので、ちょっとノンビリしてみたくなります。

駅予告票。近川駅です。

金谷沢から5.0km。似た様な単式ホームが3駅続きました。近川駅は、元は相対式ホーム2面2線だったそうです。線路の形にその”記憶”が幽(かす)かに残っていますが、ホームや線路の痕跡はありません。

可愛らしい駅舎(待合室)があります。駅の西側には、森を切り開いたのでしょうか?畑が広がっています。海の際はやはり防風林なのか森のままです。

駅名標。1921年(大正10年)開業。1972年(昭和47年)に貨物取扱が廃止されるまでは有人駅でした。有人時代の駅舎や交換設備がいつこの様に替わったのかは分かりません。

この駅もホームの雪に足跡はありません。誰も乗り降りしません。遠くで自動車の通過音がするだけです。

線路は微妙に屈曲しますが、基本的には南下しています。海側の森は自然林なのでしょうか。

畑沢川という札がたっていますが「川の名前を調べる地図」にありました。ちなみに近川という川も近川駅の近くを流れていました。中央部の山地から短い距離で海に注ぐ川が多いのです。この辺りも線路は真っ直ぐ。

こうして前方以外、ほとんど周囲が見えない状態が続いています。何となく閉塞感で息苦しくなってきました。そんなコト言ったら地下鉄の運転士さんに笑われそうですが。

下北半島の歴史を繙(ひもと)くと必ず明治維新の時に会津から移封された斗南藩の苦労が書かれています。下北半島は火山灰に覆われた痩せた土地でヤマセ(偏東風)が吹くと低温・日照不足となり農業は困難だったのです。

青森県の振興計画書を見ると、現在でも下北半島の68%が森林、農用地はわずかに9%なのです。一方陸奥湾側には良港があって漁業が盛んです。最も大きな産業は六ヶ所村を中心とした原子力エネルギー産業関連です。このエネルギー関連産業を除くと1人当たりの所得額は青森県平均の88%程度なのです。(以上 青森県「下北地域半島振興計画」平成28年)下北半島の自然の厳しさがよく分かります。

では、【非電化路線に乗ろう02】大湊線 その5 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)

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