復興着々、なお苦悩 福島撮り続ける豊田さん講演 平塚

東日本大震災直後から福島県内で取材を続ける豊田さん=平塚市浅間町の八幡山の洋館

 東日本大震災に伴う東京電力福島第1原発事故直後から福島県内で取材を続けるフォトジャーナリスト豊田直巳さんの講演会が15日夜、平塚市内で開かれた。あの日から8年が過ぎたフクシマ。表向きは着々と復興が進む一方、故郷を追われた人々の今なお続く苦悩について語った。

パレスチナや中東の紛争地の取材もしてきた豊田さんは2011年、震災翌日から福島の現場に入った。変わり果てた被災地の風景を撮り続け、14年にドキュメンタリー映画「遺言 原発さえなければ」を公開した。

 住民が消えた町並みを定点的に撮影を続け“復興”による8年間の変化を捉えた。国の音頭で進む除染作業。作業員が屋根瓦を一つ一つ雑巾で拭いて「除染」した民家を再び訪れると、住民は戻らないまま壊されて更地になっていた。故郷に戻れず絶望し、自殺した酪農家もいた。

 第1原発があり、今年4月に一部地域で避難指示が解除された大熊町では、人がいなくなりうち捨てられた商店街が今も残る。一方で駅や役場庁舎など次々と新築の建物が建っていく。豊田さんは「川俣町では多額を投じ再建した学校も児童がいないため1年で休校した。消防団の詰め所も新築したが団員がおらず火災に対応できない」と表面的に進む復興に疑問を投げかけた。

 健康へのリスクは今なお分からない。福島県では事故時に18歳以下だった子どもを対象にした県民健康調査で累計173人が甲状腺がんと診断された。豊田さんは「子どもたちに放射線を浴びさせてしまったのは自分たち大人の責任」と訴えた。

 講演会は福島県飯舘村からの避難者の支援を続ける「『かーちゃんの力』飯舘応援隊」などが主催した。福島県内で栽培した農作物や加工品などを共同購入することで避難者の生活再建を後押しする応援隊だが、田中洋子代表は「飯舘村でも農業が再開されたが(消費者に)まだ抵抗感があるのが現実。福島の現状を忘れてはいけない」と話した。

© 株式会社神奈川新聞社