「若者犠牲、わが事に」 被爆者証言、収録の意義語る

 広島と長崎にある二つの国立原爆死没者追悼平和祈念館が、国内外で被爆者の証言映像を収録している。1945年の原爆投下から74年、今秋は神奈川を含め1都5県に在住する74~102歳の24人がビデオカメラの前で被爆体験を語った。計約21万人の命を同年の暮れまでに奪い、その後も人々を苦しめ続ける原爆。広島の叶真幹館長(65)は「身近な地域の戦争被害に目を向けて戦禍をわが事と捉え、その延長で核兵器廃絶に思いを巡らせてほしい」と話す。

 「体験は一人一人違い、被爆の実相もそれぞれ異なる。だからこそ、より多くの証言を残したい」。叶館長は収録の意義を強調する。

 心を砕くのは「被爆当日に限らず、当時の暮らしぶりや戦後の生き方など証言者の人生を丸ごと聞き取ること」。そこに若者へのメッセージを込める。

 70年以上前の出来事を若い世代は理解しづらい。ところが犠牲者は圧倒的に民間人が多く、特に空襲による延焼を防ぐため木造家屋を取り壊して防火帯をつくる「建物疎開」で屋外作業中だった中学1、2年生らが大勢亡くなった。

 戦火が開けば多くの若者が犠牲となる。だからこそ、若い世代には想像力を働かせて自身の日々の生活に引きつけ、わが事として考えることを求める。

 直面するのは被爆者の高齢化だ。被爆者健康手帳を持つ全国の被爆者は今年3月末時点で14万5844人、平均年齢は82.65歳。時の経過は止められない。

 主に各地の被爆者団体を通じて証言を依頼するが、活動を中止した団体が増え、協力者探しに苦労する場面が増えてきた。「目標は年間30人近くだが、細い糸をたどらなければ達成は厳しい」。特に「自分の目で見て自らの意思で行動した、今で言う中学1年以上の世代は若くても現在90歳前後。証言できる人が減っている」と言う。

 広島県外の被爆者から体験を聞き、県内在住者との大きな違いを感じるのが、いわゆる偏見だ。「広島でもあったが、離れた場所では原爆や放射線に関する正確な知識が乏しくなりがち。中傷めいたものを受け『非常に苦労した』という話は広島以上に深刻だ」

 広島では官民などが多方面から継承活動に取り組む。翻って被爆地を離れれば、温度差は否めない。

 「原爆は一瞬で全てを殺戮(さつりく)するが、『原爆もだが、投下後に機銃掃射を受けた時の恐ろしさっていうのはなかったよ』と皆さんが仰る。戦争と言っても、さまざまな怖さがある」

 県外の人には「まずは自分が暮らす地域に目を向け、戦争で何が起きたのか知ってほしい」と願う。「戦争被害を地域で学び、身近に捉える。その延長線上に究極の形として原爆があると理解し、核兵器をなくすことの意味を考えてもらいたい」

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