小柴大造&エレファント、 驚きのデビューシングル5枚同時発売! 1980年 5月5日 小柴大造&エレファントのデビューシングル「ワンモア・ナイト」をはじめ全5枚が同時リリースされた日

一夜限りの復活ライブ、円熟味を帯びた小柴大造&エレファント

便利な時代になったものだ。昔は好きなアーティストの情報を入手するには、ファンクラブに入るか、音楽雑誌を読みあさるか、ラジオの音楽番組を日々チェックするしかなかった。しかし今は PC やスマートフォンで検索画面を開き、アーティストの名前を入れると、最近の活動状況やディスコグラフィを瞬時に入手することができる。ほかにも Twitter や Instagram などの SNS も有力な情報を得ることができるのである。

10月のとある日、Twitter の検索窓に「小柴大造とエレファント」と入力してみた。何か情報を得るためではなく、過去をなつかしむファンの「テル・ミー大好き」とか「Tokyo Night 聴きたい」といったツイートを見るのが目的だ。しかしそこで素晴らしい情報を目にすることになる。なんと小柴大造&エレファントが数十年ぶりに一夜限りの復活ライブを行うというではないか。しかも日程は検索した日から1週間後である。あわてて仕事のスケジュールを確認し、チケット購入サイトにアクセスしたところ、後方の立ち見席のみ購入可能とのことだった。ライブ当日は完売だったので、ギリギリで購入できたということだろう。数十年ぶりの小柴大造の声は円熟味を帯び、懐かしさもあり満足いくものだった。

唯一無二、驚きのデビューシングル5枚同時発売!

小柴大造とエレファントのデビューは1980年5月。すでに RC サクセションや甲斐バンド、世良公則とツイストなどが、日本のロックミュージシャンとして市民権を得ていた。そこに HOUND DOG、もんた&ブラザーズ、佐野元春など次世代のロックミュージシャンが華々しくデビューしていた。そこに割って入ったのが東北を中心に活動していた小柴大造とエレファントだ。

発売元である東芝EMI の力の入れ方もすさまじく、プロデュースはオフコースや寺尾聰を売り出した敏腕プロデューサーが担当した。タイヤメーカーや食品会社の CM タイアップのほか、TV の音楽番組や FM放送への出演も多かった。中野サンプラザのデビューライブはいくつかの音楽雑誌にも掲載されたが、最大の話題となったのがデビューシングルの5枚同時発売である。アマチュア時代の人気曲を5枚のシングル盤として、昭和55年(1980年)5月5日に発売したのである。

「ワンモア・ナイト」
「別離のシーン」
「ツアーリング・バス」
「(さしずめ)三文オペラ」
「テル・ミー」

今でこそ複数枚のシングル同時発売とか、数か月にわたったシングルの連続発売といったレコード・CD は数多く出たが、5枚同時発売というのは彼ら以外に無いのではないか。

小柴大造のボーカルと洗練された迫力のサウンド、なぜ売れなかったのか?

私も発売と同時に全シングルを購入したが、一つ悩んだことがある。それはカセットに録音するとき、曲順をどうしようかというものだ。アルバムであればそのまま録音するが、同時発売のシングル盤が5枚である。曲もロックあり、バラードあり、フォークありとジャンルは多岐にわたっており、小柴大造の曲作りのセンスを感じさせる。何度か試行錯誤しながら、自分の好みの曲順に落ち着いたものである。

話題先行型ではあったが、小柴大造のボーカルと洗練された迫力のサウンドを聴いて、これはヒット間違いなしと確信した。しかし曲が良くても実力があっても大衆の心をつかめなかったのは事実である。1982年に最後のシングル「Tokyo Night」をリリースしたのち、事実上の活動を停止してしまった。デビューがあと3年早ければ、いやあと3年遅ければ、時代の波に乗り大ヒットになっていたかもしれない。「テル・ミー」、「別離(わかれ)のシーン」、「(さしずめ)三文オペラ」など今聴いても良い曲なのだが、なぜ売れなかったのか、私の長いリスナー人生の中でも一番の謎なのだ。

カタリベ: 工藤 大登

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