夫婦で野球の歴史を明らかにした女性野球史家 ドロシー・シーモア・ミルズ氏死去

女性野球史家のドロシー・シーモア・ミルズ氏が死去【写真:Getty Images】

ドロシーは1956年に野球史の研究で博士号を取得

 11月17日に著名な女性野球史家で原初からの野球の歴史を明らかにしたドロシー・シーモア・ミルズ氏が亡くなった。91歳だった。

 ドロシー・シーモア・ミルズ氏(旧名ドロシー・ジェーン・ザンダー氏)は、1928年7月5日、クリーブランドで生まれた(以下敬称略)。地元クリーブランドのフェン大学(のちにクリーブランド州立大学と合併)で学んだが、この大学で野球史について教えていたハロルド・シーモアと出会い、1949年に結婚。ドロシー・シーモアとなる。

 夫のハロルド・シーモアは、ドロシーよりも18歳の年長。1940年代にコーネル大学で19世紀の野球史を研究し博士号を授与された。そして「Baseball The Early Years」に始まる三部作の著作を発刊した。野球の歴史に関しては、この時期までにすでに多くの書籍が刊行されたが、それらはすべてジャーナリストの手になるものだった。専門的な歴史研究の手法を身につけた歴史家による「野球史」は、ハロルド・シーモアの著作が最初だった。

 このハロルド・シーモアの原稿をタイプして編集し、写真を入手し、索引付け、書誌資料の準備という面倒な作業を行ったのが妻のドロシー・シーモアだった。ドロシーは1956年に野球史の研究で博士号を取得している。ドロシーの貢献を考えれば、ハロルドの著作は「共著」と言っても良かったが、本にはそうした表記はなかった。

2017年には「ドロシー・シーモア・ミルズ障害功労賞」を制定

 ハロルド・シーモアの著作は、1960年の「Baseball The Early Years」、から始まり1971年の「Baseball The Golden Age」、1990年の「Baseball The People’s Game」と続いたが、妻のドロシーは、その大部分で夫の文章に手を入れた。特に最後の著作の刊行時、ハロルドはアルツハイマー病に罹患しており、37の章のうち13章は彼女の執筆だったと言われている。

 ハロルド・シーモアは1992年に死去。全米野球学会は「野球史最初の歴史家」だったハロルドの功績をたたえ、野球史の優れた研究者に贈呈する「シーモア賞」を制定した。ハロルドの著作の出版社、オックスフォード大学出版局が、妻のドロシーを「共著者」としたのは2010年のことだった。この年、ハロルドには「野球の父」の名を冠したヘンリー・チャドウィック賞が追贈されたが、妻の名前はなかった。

 ドロシーは夫の死後、再婚し、ドロシー・シーモア・ミルズとなる。以後も研究、著作活動を行った。2004年には「A Woman’s Work:Writing Baseball History With Harold Seymour」という回顧録を刊行。今では、野球史の分野で活躍する女性はたくさんいるが、その先駆けとなったのがドロシー・シーモア・ミルズだった。

 2017年、アメリカ野球学会は、彼女の功績を称え女性の野球人に贈る「ドロシー・シーモア・ミルズ障害功労賞」を制定。2018年の第1回受賞者は、女性審判のペリー・バーバー、2019年の第2回の受賞者は故ジャッキー・ロビンソン夫人で、夫の死後も野球界における黒人の地位向上に努力したレイチェル・ロビンソンだった。(広尾晃 / Koh Hiroo)

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