無縁墳墓の祟り 「墓石に刻まれている戒名の数が、祖父が亡くなったときよりも明らかに増えている」|川奈まり子の奇譚蒐集三五

先日、土木工事関係の仕事に従事している友人・角田さんから聞いたことなのだが、昨今は都立霊園の無縁墳墓の撤去や改葬を行うにあたり、工事を請け負う業者を都が入札で選定しているとのこと。

つまり作業ごとにオークションにかけ、落札した業者に発注する次第。

東京都のホームページで入札情報を開示しているというので確かめてみたところ、さまざまな作業について盛んに入札が行われており、そこには雑司ヶ谷・青山・八柱・八王子・多磨・小平の各都立霊園における無縁墳墓の改葬が確かに含まれていた。

また、改葬の入札に参加している事業者の中には、以前、角田さんに紹介してもらった某造園会社も見受けられた。その会社は角田さんの取引先だから、彼が詳しいのも道理なのだ。

角田さんによれば、昔はどの都営霊園も、地元と所縁が深く、管理事務所や出入りの寺社などから信頼されてきた老舗業者に作業を発注していたが、いつの頃からか、都が入札で事業者を選ぶようになったそうだ。

入札が実施されはじめた当初は、とにかく安く請け負う新規参入業者が落札していた。老舗業者ははじき出され、都営霊園の管理を取り巻く状況が一変するかと思われた。

ところが数年のうちに、少なくとも無縁墳墓の改葬作業については、再び老舗の独断場になってしまったのだという。

それも、正当な落札手続きを踏んだ上で、だ。

なぜそうなったのか?

直接の理由はごく単純だ。低料金を売りにする新しい業者が、ことごとく、改葬の入札には参加しなくなったのである。だから老舗が仕事を取り戻した。

では、なぜ新規参入者たちは改葬への興味を失ったのか?

角田さんは、その理由については、こう述べている。

「なぜなら怖いことが起きたから……と、私たちの間では言われています。

改葬というのは、元の霊園から墓石などを撤去して更地にして、移送先の霊園にお墓を納めることです。だから最低限、人手と重機と運搬車があれば出来ます。

でも、ただお墓をほじくり返して石をよそに移せばいいのかっていうと……ねえ?」

仏教や神道では、改葬や墓じまいに伴って、「魂抜き」または「お性根抜き」と、これと対になる「魂入れ」や「お性根入れ」もしくは開眼法要が行われる。

つまり、お墓を弄るにあたっては、お坊さんか神主さんを呼んで儀式を執り行う必要があるとされてきたのだ。

「しかし、お寺さんや神社にお祈りしてもらうのは当然タダってわけにはいきませんよね。だけど、そういう宗教儀式には合理的な根拠が無い!

だから、安さを売りにした業者たちは、そこらへんを省略したわけです。

それでもせめて現場作業員が死者の魂に対して畏敬の念を持っていたらよかったのかもしれませんが、作業時間を短縮しないと人件費がかさみますから!」

お墓に向かって頭を垂れるヒマがあったら、さっさと掘り起こした方が経費節約になるというわけである。「どうせ誰もお参りに来ない無縁墓なのだ」と思えば、よけいに作業も荒っぽくなりそうだ。

けれども、あくまでも、お墓の主役は亡くなった仏さまたちなのではないか?

彼の世がご先祖さまたちの本拠地だとしたら、お墓はいつでも立ち寄れる彼らの一時休憩所、そして子孫との面会処になるのでは。

だとしたら墓所を普請するためには彼らの赦しを乞わなければならず、許可なく工事を行えば……?

「よっぽど恐ろしいことがあったんじゃないですか」と、角田さんは言う。

「安く請け負った新規参入業者は、どこも二度と入札に参加しなかったようですよ」

角田さんからこの話を聞きながら、私は数日前に電話インタビューで傾聴したばかりの、ある体験談を想い起していた。

それも無縁墳墓にまつわる話だったのだ。

しかも偶然、とある都営霊園を舞台にしていた。

体験者さんのお名前を、仮に高橋晶子さんとしておく。これは、現在38歳の晶子さんが小学2年生の頃に端を発した出来事だ。

およそ30年前の11月、晶子さんの父方の祖父母が相次いで亡くなった。

祖母が病死し、その葬儀の一週間後に祖父が自宅の庭先で倒れているところを発見されたのである。

祖父は意識を取り戻さないまま、搬送中に死亡した。

検視の結果、彼は泥酔して深夜に帰宅し、庭で眠り込んでしまったのだろうとされた。運悪くその夜は気温が低かったため低体温症に陥り、心臓に持病を抱えていたせいもあって死に至ったに違いないというのである。

晶子さんの見たところでは、両親や親戚のうち、この祖父の死に方について疑問を抱いた者はいなかった。

――3歳年上の晶子さんの兄と、彼女自身を除いては。

「あのお地蔵さんのせいじゃない?」

と、晶子さんは兄に訊ねた。

祖父急死の知らせを受けた直後だった。

「誰にも言うなよ!」

兄は怖い顔をして晶子さんを睨みつけた。

事の経緯はこうだ――。

きっかけは、祖母が亡くなった後に都営霊園の墓所を訪ねたとき、隣のお墓が荒れ放題になっているのに気がついたことだった。

それを、晶子さんの祖父が問題視した。

「ばあさんは綺麗好きだった」と祖父は息子たち――晶子さんの父とその弟である叔父――に訴えた。

そこで、父と叔父は霊園の管理事務所に「せめて雑草を刈ってくれないだろうか」と頼んだわけだが、管理事務所は「勝手に弄るわけにはいかない」と主張して一歩も譲らなかったのである。

すると、父と叔父は、こっそり隣の墓所の草取りをしてしまうことにした。

そして、晶子さんと兄はその手伝いをさせられて……そのとき見つけた小さなお地蔵さんを、盗んだ。

盗んだとしか言いようがないけれど、罪悪感は薄かった。

それは、高さ20センチほどしかなく、墓所の出入口近くに生えたススキの繁みに埋もれて転がっていた。兄の第一声は「なんか落ちてる」で、父は空き缶か何かを見つけたのだと思い込んだらしく、「拾って捨てとけ」と命じた。

兄はススキの繁みを取り払いながら、それを拾うと、「晶子ォ」と妹を呼んだ。

そして黙って晶子さんに地蔵を見せた。父や叔父の目に入らないように両手で囲いながら。

「シーッ」と、兄は人差し指を唇の前に立てた。その目もとが微笑んでいたので、晶子さんも面白くなってきた。

――内緒、内緒。

そして、特に理由はなかったが、2人で協力し合って、地蔵を兄が持ってきていたリュックサックに放り込むと、そのまま家に持ち帰ってしまったのだ。

確かに、ちょっと可愛い顔をした石地蔵だったが、欲しかったかと問われれば、首を横に振ったはず。

だんだん大人びてきて近頃ではあまり構ってくれなくなった兄と、子どもっぽい秘密を共有できたことが楽しかったのかもしれない。

地蔵を隠すのは雑作もなかった。なぜなら、8歳の晶子さんの手で握り込める小ささで、百科事典より軽かったから。

初めは不気味だとも思わなかった。兄も晶子さん自身も、捨てられていた玩具か特別な色をした小石を拾ったような心地でいた。

とは言え泥棒をしたという自覚は、少しはあった。

2人はお地蔵さんを子ども部屋の押し入れに隠した。

ところが、翌日、学校から帰ってきた兄が「お地蔵さんが消えた!」と騒ぎだしたのだ。

祖父の死は、その数日後のことだった。

晶子さんは、地蔵が消えるまでは、反省なんかこれっぽっちもしていなかったのだが、石の地蔵が煙のように消えるという不可思議を目の当たりにして、何か非常に拙いことをしでかしたような気がしてきた。

兄も深刻に受け留めたようで、一所懸命に地蔵を探していた。晶子さんも一緒に家中を探しまわったが、どうしても見つからなかった。

そこで次第に、自分たちはいけないことをしてしまったのだと感じるようになってきたのだという。

そこへ持ってきて、祖父が急に死んだ。

「地蔵の呪いだ!」

兄は物陰に晶子さんを引っ張り込むと、そう囁いた。

途端に、おじいちゃんが死んだのは隣のお墓からお地蔵さんを盗んだからだ、と、晶子さんは閃いてしまった。

「どうしよう? おとうさんとおかあさんに相談する?」

自分たちの手には負えないと思ったのだが。

「駄目だよ! 言いつけたら許さないからな!」

兄にきつく口止めされて、彼女は悩み、夜も眠れなくなってしまった。

地蔵は一向に見つからなかった。

しかし、祖父の葬儀が済んだ後のこと。

親戚一同で連れ立って祖父が暮らしていた家を訪ねたところ、庭にあの地蔵らしきものが落ちているのを、晶子さんが発見したのである

「おにいちゃん! あれ、そうじゃない?」

小声で兄に問いかけながら、植え込みの陰を指し示した。

アッと兄が叫び、すぐさまそこに駆けていく。晶子さんも後を追った。

――間違いない。あのお地蔵さんだ!

押し入れから消失したのも不思議だったけれど、見つかれば見つかったで、なぜ祖父の家にあるのかわからず、恐ろしさが増した。2人でしゃがんで地蔵を凝視するばかりで、どちらも触ろうとしなかった。と、そこへ……。

「何を見てるのかな?」

急に後ろから父が声を掛けてきた。晶子さんは心臓がしゃっくりをしたみたいに感じで、一瞬、頭の中が真っ白になった。

兄も無言だった。どう取り繕おうかと必死に考えていたのかもしれない。

全部、白状するとしても、晶子さんの手には余ったし、兄にとっても容易ではなかっただろう

――盗んだこと。押し入れに隠したこと。探しても見つからなかったこと。

――おじいちゃんが死んだのは、自分たちがお地蔵さんを盗んだせいかもしれないこと。

ところが、である。

父は地蔵を見るなり、「ああ、これ、まだ返していなかったのか」と呟いたので、一気にわけがわからなくなった。

兄の方を見やると、目と口を大きく開いて完全に固まっている。

晶子さんも、驚きのあまり声も出ない。

父は、そんな2人のようすに気を取られるそぶりもなく、穏やかな表情で、地蔵を拾いあげて土を払った。

そして、「おじいちゃん、このお地蔵さんを隣のお墓から持ってきちゃったみたいなんだよ」と、軽く苦笑しながら晶子さんたちに向かって話しはじめた。

「亡くなる2日ぐらい前に、このうちにようすを見に来たとき、隣のお墓にあったものだと言って見せてきたんだ。だから、そんなものを持って来ちゃダメじゃないか、と、怒ったんだよ。そしたら、明日返しに行くって……。やれやれ。まだ返していなかったんだなぁ」

と、こう……耳を疑うようなことを述べるではないか!

晶子さんは咄嗟に、「おじいちゃんも私たちと同じことをしたのかな」と思った。

つまり、お地蔵さんは実は2つあった。そのうち1つを晶子さんと兄が、もう1つを祖父が盗ってきたに違いないと考えたのだ。

けれども兄は、思いつめたような表情をしたかと思うと、その場で父に「違うよ」と言った。

「これは僕たちが隣のお墓から盗んだんだ!」

晶子さんはビックリしたが、兄の真剣な顔を見たら、口を挟めなくなった。

「僕と晶子が内緒で持ってきて、子ども部屋の押し入れに隠したんだ! でも、いつの間にか消えちゃった! 魔法みたいにね!」

そう、それは呪いだから、と、晶子さんは思った。

ところが、兄の出した結論は、まったく違うものだった。

「きっと、おかあさんが押し入れから見つけて、おじいちゃんに渡したんだよ!」

――なるほど! さすが、おにいちゃん!

晶子さんはスーッと胸のつかえが取れて、「そうなんだよ!」と兄に同調した。

当然、2人揃って父にこっぴどく叱られることになった。

叱られるのなんて、呪いに比べれば、なんでもなかった。間もなく、ここに母が登場して「そのとおり。私がおじいちゃんに渡しました」と言うことを晶子さんは期待していた。兄も同じ気持ちだっただろう。

だが、父が母を呼んで説明を求めるたところ、母は一瞬の躊躇もなく、「こんなお地蔵さんは見たことがない」と述べた。

「もしもあんたたちの部屋でこれを見つけたら、すぐさま問い質してますよ! おお、厭だ! 気味が悪い!」

両親が話し合って、結局、その日のうちに父が隣の墓所に地蔵を戻しに行くことになった。

祖父が遺した家に集まるのも最後の機会になるかもしれないからと、夕方から親戚一同で寿司の出前を取って会食する予定だった。

しかし幸い、件の都立霊園には閉門時間が設けられていなかったから、解散後でも「大丈夫だ」と父は話していた。

実際、晶子さんの父親は、夜の9時すぎに、地蔵を持ち、乗ってきた自家用車で霊園まで赴いた。

晶子さんたちはタクシーで自宅に戻り、父の帰りを待った。

霊園から自宅までは車で30分ほどの距離だ。でも、父はなかなか帰って来ず、いつもなら子ども部屋に追いやられる11時を過ぎても眠るに眠れず心配していたら、病院から電話が掛かってきた。

父は、霊園からの帰り道で事故を起こし、重傷を負っていたのである。

しばらくの間、晶子さんは「おとうさんまで命を取られたらどうしよう」と、そればかりを考えていたそうだ。

「父の容態は、最初の3日間ぐらいは非常に深刻でしたから。おじいちゃんが死に、父までも……と、想像すると恐ろしくてたまりませんでした。

お地蔵さんは隣のお墓に戻されていました。

ええ、母と兄と一緒に、確かめに行ったんですよ。

でも父の快復が遅くて、だから、祖父母のお葬式を頼んだご住職に、母が何か相談したんです。当時の私は子どもだったからわかっていませんでしたが、たぶん除霊を頼んだんじゃないかと思います。

お墓に行って、ご住職にお経をあげてもらいました。兄と母も一緒でした。

その後さらに、お寺の本堂で兄とお説教を聞かされたり、お経を唱えさせられたりしたことを憶えています。

それから、入院している父のためにと言って、たぶん般若心経なんじゃないかと思うのですが、ご住職が母に何かを授けました。母はすぐに、それを数珠と一緒に病院に持っていきました」

しかし、それで終わりではなかった。晶子さんは、それから後も約1年に亘ってたびたび悪夢にうなされたのだという。

「墓参りの帰り道に、ふと気づくと、後ろから4、5歳くらいの小さな子がついてきているという夢でした。追い返そうとしても泣きながらついてくるから、だんだん怖くなってきて走って振り切ろうとするんだけど、もう平気だろうと思って振り返るたびに、その子の姿が目に入るんですよ」

朝、目を覚ますと同時に、追いかけてきた子どもの顔や服装は思い出せなくなったが、幼い子だったことは憶えており、夢に出てくるお墓がどんなふうだったかも鮮明に記憶していたとのこと。

「隣に例の無縁墓がある、父方の先祖代々の墓所でした。でも、墓石に刻まれている戒名の数が、祖父が亡くなったときよりも明らかに増えているんです。

……あれは両親と兄と私の戒名なのでは? ずっと後にそう思いついたときには、あらためて鳥肌が立ってしまったものですが……」

そして、つい最近、両親と兄も同じ時期にほとんど同じような夢を見ていたことがわかったので、再び両親と兄と共にお寺を訪ねてお経をあげてもらったそうだ。

その直前まで、晶子さんは悪夢のことも、お地蔵さんのことも、ほとんど忘れていた。なにしろあれから30年近い月日が流れている。その間に彼女は大人になり、仕事を持ち、結婚して、子育てをしてきたのだ……。

けれども、今年のお盆に両親や兄と祖父母の墓参りをした際に、隣の墓所が真新しいものに入れ替わっていることに気づいた瞬間、

――あのお地蔵さんは、どこに行ったのだろう?

と、思った。

そして途端に、一挙に古い記憶が頭の中で色鮮やかに蘇った。

それは、晶子さんだけではなかった。

「例の夢の話は、それまで家族にしたことはありませんでした。でも、そのときは自然と口をついて……気づけば喋っていました。すると、兄と母が、まったく同じ夢を何度か見たと言ったんですよ!

そして、みんな、誰にも話したことがないって……。

父もです! 父の夢は少し違っていて、小さな子がお墓からついてきてしまったので、一緒にお墓まで戻って、その子の親を探してあげる夢だったそうです。

でも子どもの親は全然見つからなくて、子どもはそばを離れないし、途方に暮れているうちに目が覚めた……。だけど、この夢を見たのは、入院中の一回だけで、その後は寝る前に必ずお経を唱えるようにしたら見なくなった、と、父は言っていました」

晶子さんの体験談は以上だ。

この話を聞いた後、私は問題の地蔵について、少々、推理を試みた。

まず、なぜ彼女たちの悪夢には、小さな子どもが登場したのか?

件の石地蔵は、墓所の出入口付近にあったと晶子さんはおっしゃっていたが、たぶんそれは墓所の出入口の右・内側で、先祖代々の墓石から見ると左端だったのではないかと思う。

というのも、地蔵尊を墓標として墓所に建てる場合、最下座に建立することが推奨されているからだ。

先祖代々の墓石を最上座とすると、最下座は左端で、ほとんどの墓所の場合、そこは出入口の右・内側になる。

尚、墓標ではなく、霊園の出入口に六地蔵を建てることはごく一般的だ。

しかし、件の地蔵には六地蔵に付き物の祠もなく、在ったのは都立霊園内の一区画の中。

だから、これは、その墓の持ち主の家族が、水子またはごく幼くして亡くなった我が子の慰霊のために建てた地蔵尊墓だと見做すべきだと思われるのだ。

また、晶子さんは、この墓所に五輪塔があったとも語っている。

亡き子を供養する地蔵尊墓を建てるときには、必ず先に五輪塔を建立しなければいけないので、完全に作法に叶っている。

今日の地蔵尊墓の多くは小さな墓石に地蔵尊のお姿を浮き彫りにしたものだけれど、丸彫り地蔵と呼ばれるお地蔵さんの石像を置くこともある。

従って、この地蔵は本来は丸彫り地蔵型の地蔵尊墓として、子どもの供養として置かれたものだった可能性が高い。

だから、晶子さんたちが幼い子どもに追いかけられる悪夢を見たのだという推理が成り立つわけである。

もっとも、それだけで、死児が夢の中で幼児の姿を取った理由の説明がつくわけではない。

……いや、よくよく考えてみれば、その点が最大の謎として残ってしまいそうな気がする。

と、言うのも、第一に、墓石としての丸彫り地蔵は、幼児の供養ではなく、もっぱら、死産したり堕胎したりした死せる胎児(一般概念としての水子)を弔うために作られてきたという現実がある。

ましてや、この丸彫り地蔵は当時8歳ぐらいだった晶子さんが簡単に握れる大きさだったという彼女自身の証言もある。

高さ20センチほどだったとも彼女は言っていた。

その大きさから真っ先に思い浮かべるべきは、いわゆる「水子地蔵」なのだ。

全国各地の石材店や仏教寺院が、丸彫り地蔵に「水子地蔵」という名を付けて、個人向けに販売している。

こうした、悪い言い方をすれば水子商法、良く言えば水子信仰は、1970年代から盛んになった。30年前なら余裕で存在していたわけである。

この、個人向け商品の「水子地蔵」は大きくない。

石像の価格は大きさに準じ、また、地蔵尊墓に限らず水子供養の墓はどんな形態であっても他の墓石を超える大きさのものを建てることは禁忌である一方、小さいぶんにはどれほど小さくても構わないとされているので。

手乗りサイズから高さ6、70センチまでさまざまな大きさの商品が売られているものの、石像で売れ筋となると高さ20センチ台に収まるものが多い。

以上のことから、晶子さんたちが見つけたお地蔵さんは、かなり典型的な「水子地蔵」のように思われる。

そうなれば、「なぜ、幼児の格好で夢に出てきたのか?」という新たな疑問が生じてしまうわけである。

私は、地蔵の行方についても調べてみた。

その結果、現時点ではピンポイントで指し示すには至らないものの、突き詰めればそれも可能だと確信するところまで辿りついた。

と、自慢するほどのことでもない。簡単だったのだ。

都立霊園の無縁墳墓がどう処理されるか、都立青山霊園管理事務所に問い合わせただけなのだから。

その結果、都立青山霊園に限らず、どの都立霊園であっても、霊園に生じた無縁墳墓を東京都の名において改葬する先は、昨今では都立小平霊園と都立八柱霊園の無縁合祠墓所と定まっていることがわかったのだ。

なんでも、かつては都立多磨霊園の無縁合祠墓所にも改葬されていたが、多磨霊園は「満杯」の状態になって久しく、現時点では小平か八柱のいずれかに移されているのだという。

晶子さんのケースでは、隣の墓所が改葬されたのは最近のこと。

だから、小平もしくは八柱の都立霊園に行けば、あのお地蔵さんに再会できるはず。

しかし、これを晶子さんに伝えたところ、「絶対イヤです」と即答されてしまった。

ちょっと残念。でも、まあ……晶子さんとご家族に祟った嬰児の霊が今や安らかに眠っているのだとしたら、寝た子を起こすような真似は慎むべきなんだろうな……。

最後に、無縁墳墓の豆知識をご紹介したい。

近年どの霊園でも無縁墳墓は増えるばかりで悩みの種。こういう話を耳にしたことがある方も多いのではなかろうか。

実際、マスコミでは度々、無縁墳墓の増加を社会問題として取り上げている。たとえば昨年、中日新聞にこんな記事が掲載された。

《公営墓地を持つ全国の政令指定都市と県庁所在地など計七十三自治体のうち、管理する縁故者がいなくなった「無縁墓(むえんぼ)」を抱えている自治体が約七割に上ることが、本紙のアンケートで分かった。このうち無縁墓の実数を把握しているのは二十四自治体で、合計は一万六千五百十七基・区画だった》

~2018年2月3日付・中日新聞「公営墓地7割に無縁墓」より

無縁墳墓を「管理する縁故者がいなくなった」墓だと規定したとき、全国の政令指定都市や県庁所在地の約7割が相当数の無縁墳墓を抱えているというのだ。

さらに、状況として「縁故者がいなくなった」事態は、必ずしも縁故者全員が死に絶えたとは限らず、離散した結果であるとも考えられ、事実、人口の流出が止まない地方の郊外や山間部では相当深刻な事態を迎えているという統計調査結果も近頃は発表されている。

たとえば、熊本県人吉市が2013年に市内の全霊園995ヶ所・1万 5,123 基の墓を調査したところ、 実に4 割以上(6,474 基)が無縁墳墓となり、なんと8 割も無縁化している霊園もあったとのこと(※)

一方、東京23区内のような都市部には、今でも新たに墓を求める住民も多く、そのため積極的に改葬措置を取る傾向が見られる。

都立霊園の場合は、管理費等の諸費用の不払いが続き、尚且つ、縁故者に連絡もつかなかった場合、「東京都からのお知らせ」と題する改葬告知の札を当該墓所の前に立てることになっている。

ほとんどの方はご存知だと思うが、永代使用料を払えば無縁墳墓にならないというのは勘違いで、お墓とは、その他に管理費などその他の諸費用が定期的に課せられるものだ。支払いを怠ると、事実上の無縁墳墓と見做されて、最悪、強制改葬もあり得るというわけだ。

都立霊園の改葬告知の立札の冒頭は「墓地整理のため、無縁墳墓等として改葬することとなりましたので」で、改葬を行う方針が明記されている。

一応、墓所の権利者からの連絡を乞うとも書かれているけれど、一年以内に連絡がない場合は東京都として改葬を行うとキッパリと申し渡す内容だ。

うちの近所にある都立青山霊園では、建前上、無縁墳墓が無いことになっているようだが、訪れてみると、この改葬告知の立札を見つけることが出来る。

改葬されるまでの期間限定ではあるが、事実上の無縁墳墓が存在するのだ。

早く改葬したい霊園側の気持ちは理解できる。新しい墓の需要があるというだけでなく、たいがい荒れ果てているから全体の景観に差し障るし、霊園を訪れる人々の心象も悪くなるから。

美しくないだけではなく、不気味に感じられるものだし……。

最高裁では、無縁墳墓は「葬られた死者を弔うべき縁故者がいなくなった墳墓をいう」(1963 年 2 月 22 日最高裁判所第三小法廷決定)と規定されているそうだが、一般的なイメージは、仏教的な「無縁仏」と大きく重なっているように思う。

無縁仏とは、仏との因縁を結んだことがなく此の世にさまよっている霊魂を指す。つまり、供養されたことがないために成仏できないでいる遊魂のことだ。

供養された仏さまがいる無縁墳墓とは、明らかに異なる。

なのに、無縁墳墓は無縁仏と混同されがちで、どういうわけか寂しい雰囲気に満ちて、怪しい印象を振り撒いてしまうのは、なぜだろう?

その原因は、仏さまのご供養を怠っている我々現代人のうしろめたさのせいかもしれない。

それとも、供養されたことがあっても、参る者が誰もいなくなると、霊魂がお墓を通って彼の世から迷い出てきてしまうのか……。

人として善くあるために、いついかなるときでも死者を悼む気持ちを忘れまいと思ってきたが、無縁墳墓を訪ねた場合は特に、敬虔な気持ちを意識して慎重に振る舞うべきなのかもしれない。

さもないと……。

(川奈まり子の奇譚蒐集・連載【三五】)

※公益財団法人日本都市センター『都市とガバナンス 第27号』より、第一生命経済研究所ライフデザイン研究本部研究開発室主席研究員・小谷みどり氏の論考「墓地行政について」を参照しました。

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