松任谷由実が描く純愛三部作の傑作「Delight Slight Light KISS」 1988年 11月26日 松任谷由実のアルバム「Delight Slight Light KISS」がリリースされた日

軽視できないバブルとの関係、タイトルの意味は「舌を入れない軽いキス」

最初にことわっておくが、アルバムタイトルは “舌を入れない軽いキス” という意味である。いきなり攻めているのだ。なにしろバブル期が到来していたから。タイトルに象徴されるように、収録曲も「ふってあげる」とか「幸せはあなたへの復讐」など、かなりエキセントリック。

いささか古い表現をあえてすれば、正に “時代と寝て” いたことになる。ミリオンセラーを記録した前作『ダイアモンドダストが消えぬまに』が快心の出来映えであると語ったユーミンが、さらなる高みを目指して取り組んだアルバムが通算20作目にあたるオリジナルアルバム『Delight Slight Light KISS』だった。

1985年のプラザ合意をきっかけとして、86年頃に始まったといわれるバブル景気が一気に加速したのは、87年10月のブラックマンデー後、88年に入ってからだろう。ユーミンとバブルというテーマはこれまでにもさんざん語られてきたことだが、87年12月にリリースされた『ダイアモンドダストが消えぬまに』が、さらにその前作『ALARM a la mode』の穏やかなトーンから一変してのアグレッシヴさも時代背景が反映されたものとおぼしい。

『ダイアモンドダストが消えぬまに』から4作連続で年間チャートを制覇して日本ゴールドディスク大賞のグランプリ・アルバム賞を受賞した時期ともピッタリ重なり、やはりユーミンとバブルの関係は軽視できないのだ。

アナログからデジタルへ、CDはユーミンの恋愛ソングを聴く最適のツール

さらに、この時期は音楽業界におけるパッケージソフトの主流がそれまでのレコードから CD へ、つまりアナログからデジタルへの移行期とも重なる。CDプレイヤーの普及率が一挙に進む中で、オーディオに詳しくない女子にとっては、30センチのレコード盤よりもずっとコンパクトな CD は扱いやすく、しかもお洒落で(あくまでも当時の感覚)、巧みに時代のトレンドが盛り込まれたユーミンの恋愛ソングを聴くには最適のツールとなったことも関係しているはず。

自分もユーミンのアルバム購入を LP から CD に切り替えたのはこの『Delight Slight Light KISS』からだった。ちなみに LP と同時に CD もリリースされるようになったのは85年11月の『DA・DI・DA』からで(ただし CD は一週間遅れだった)、『Delight Slight Light KISS』の次作となった89年11月の『LOVE WARS』が LP盤の発売はラストとなる。

テーマは純愛。バブルの象徴と呼ばれた松任谷由実が歌う恋愛の価値観

『Delight Slight Light KISS』のテーマは “純愛”。存在そのものがバブル景気の象徴と呼ばれるのに反して、それを否定するかの如く精神論を重んじた恋愛の価値観が表現されているのが興味深い。ブラント品に惹かれ、お洒落に着飾る反面、ピュアな恋愛に憧れる当時の OL や学生たちの琴線を刺激する歌たち。この辺りの細かい分析は同時代を過ごした女性の一人でエッセイスト、酒井順子氏の著書『ユーミンの罪』などに詳しいのであるが、個人的な想い出も加味して言わせてもらえば、当時の男子にとってもユーミンのアルバムは重要な恋愛ツールであった。

男性にとっても刺さる詞は多いのはもちろんのこと、実際には恋人と一緒に聴いたり、相手の気持ちを理解するために聴いていた男子も少なくなかったと思う。マメな男子は LP からカセットテープに録音したユーミンのアルバムを必ずマイカーに搭載していたし、さらに凝って季節やシチュエーションに合わせた自己編集のユーミンのテープを作っていたのは自分だけではあるまい。

肝心のアルバム収録曲は三菱ミラージュの CMソングとしてテレビからも頻繁に流れていた「リフレインが叫んでる」をはじめ、幸福感に満ちた「Home Townへようこそ」、『オレたちひょうきん族』のエンディングテーマに使われた「恋はNo-return」、ラストに絶妙な余韻を残す「September Blue Moon」など、どの曲を聴いてもあの時代が甦えってくる。

昭和のラストを飾る純愛三部作の傑作「Delight Slight Light KISS」

今や懐かしい逗子マリーナのプールサイドでのコンサート『SURF&SNOW』に必ず女子を伴って毎回訪れていた頃。乏しいながらも、だからこそ確実に憶えている自分の恋愛経験の諸場面にはいつもユーミンの歌があった。サザン同様、同世代の邦楽志向の音楽ファンにとっては紛れもなく神だったのだ。

なお、アルバムがリリースされた88年11月は、その2ヶ月前に昭和天皇の下血報道があり、全国的に自粛ムードになっていた。そんな中、発売1ヶ月余りで100万枚の売上を達成し、当時の邦楽アルバム史上最速ミリオン記録を打ち立てた事実からも驚異的なアーティストパワーを実感させられる。アルバムリリースから実質1ヶ月ちょっとで平成の新時代を迎えたため、これがユーミンにとって昭和最後のアルバムとなった。『ダイアモンドダストが消えぬまに』から本作を経て『LOVE WARS』へと至る3つのアルバムは “純愛三部作” と呼ばれ、まさしく無敵のラインアップであった。

カタリベ: 鈴木啓之

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