ヤクルトのドラ1奥川は12代目 荒木大輔、由規ら「背番号11」の系譜は…

ヤクルトからドラフト1位指名を受けた星稜・奥川恭伸【写真:荒川祐史】

奥川は25日に仮契約を結び、背番号11に決定

 今季のドラフト会議の目玉の1人としてヤクルトに1位指名された星稜の奥川恭伸投手。25日に入団交渉を行い、契約金1億円、年俸1600万円プラス出来高の条件で仮契約を結んだ。背番号は「11」に決まった。

○ヤクルト投手の通算勝利5傑と在籍時代の背番号
1.金田正一 353勝(1950-64年)背番号「34」
2.松岡弘 191勝(1968-85年)背番号「25」「17」
3.石川雅規 171勝(2002年-)背番号「19」
4.村田元一 118勝(1957-69年)背番号「52」「37」「11」
5.尾花高夫 112勝(1976-91年)背番号「32」

 通算最多勝は先ごろ物故した金田正一だが、その背番号「34」は現役では山田大樹がつけている。「17」は清水昇、エースナンバーとされる「18」は寺島成輝、「19」は石川雅規がつけている。

 国鉄、サンケイ時代からのスワローズで背番号「11」を背負った歴代の選手は以下の通りだ。()はつけた期間。成績は「11」をつけた期間のみ。すべて投手。

成田啓二(1950-1951)
54試3勝14敗196回 防御率4.55

田所善治郎(1954-1964)
391試56勝83敗1361.2回 防御率3.20

村田元一(1965-1969)
146試35勝41敗592.1回 防御率3.46

西井哲夫(1970-1978)
278試41勝48敗4S 932.1回 防御率3.57

神部年男(1979-1982)
77試10勝16敗10S 255回 防御率4.02

荒木大輔(1983-1995)
175試39勝47敗2S 742.2回 防御率4.75

伊藤彰(1997-1999)
1軍出場なし

坂元弥太郎(2003-2005)
71試9勝5敗0S 0H 113回 防御率5.58

高津臣吾(2006)
48試1勝2敗13S 8H 42.2回 防御率2.74

遠藤政隆(2007)
38試2勝5敗2S 4H 44回 防御率4.09

佐藤由規(由規)(2008-2015、2017-2018)
90試32勝36敗0S 0H 533.1回 防御率3.66

 初代の成田啓二は米子中-慶応大-米子鉄道局から国鉄スワローズへ。国鉄職員からスワローズに出向を命じられた。2代目の田所は静岡商から入団。金田正一に次ぐ先発投手だった時期もあり、2桁勝利2回。3代目の村田は「江戸っ子元ちゃん」と呼ばれ、通算118勝を挙げる。長く「37」をつけていたが、国鉄がサンケイに名称が変わった年から5シーズン「11」をつける。

 4代目の西井は先発、救援で長く貢献。のちロッテに移籍した。ここまでの投手はすべて生え抜きだが、5代目の神戸は近鉄のエース級投手だったが、ヤクルトに移籍。4シーズンで「11」をつけた。

 6代目の荒木大輔は早実時代、甲子園のアイドルとして全国的な人気を博し、1982年ドラフト1位でヤクルトに。球団ではドラ1で「11」をつけた最初の投手。7代目の伊藤彰は山梨学院大附属高から1996年ドラフト1位で入団した左腕。期待されたが左肩故障で1軍登板なしに終わる。8代目の坂元は3年間だけ「11」をつけた救援投手。のち日本ハムに移籍した。

 9代目は今オフに監督に就任した高津臣吾。メッツを退団してヤクルトに復帰した2006年に1シーズンだけ「11」をつけた。10代目の遠藤正隆は中日から移籍。1軍キャリア最終年の2007年に1シーズンだけ「11」をつけた。

 11代目の佐藤由規は仙台育英高から2007年高校1巡目で入団。2007年の高校ドラフトでは、中田翔(日本ハム)、唐川侑己(ロッテ)と共に「高校ビッグ3」とよばれ、5球団競合の末に入団。大いに期待されが、右肩の故障で伸び悩んだ。今季は楽天でプレーした。

 奥川は12代目の背番号「11」となる。ドラ1選手としては4人目。期待に応えて成績を残すのは、なかなか厳しいことがわかる。奥川はどんな成績を残すだろうか。(広尾晃 / Koh Hiroo)

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