旧型客車の洗面器横の「穴」は!? 「鉄道なにコレ!?」(第4回)

By 大塚 圭一郎(おおつか・けいいちろう)

急行「阿蘇」をイメージし、ディーゼル機関車DE10が12系客車を引いた列車=9月28日午後、北九州市

 青い塗装に白いラインが入った登場から半世紀がたった旧日本国有鉄道(国鉄)の旧型客車12系。ツアーの団体臨時列車として走ることを知り、国鉄時代の旅情を追体験しようと参加した。洗面台に足を運ぶと、洗面器の横にあの「穴」があった…。 (共同通信=大塚 圭一郎)

 ▽国鉄の標準型客車

 1969年にデビューした12系客車は主に急行列車で運用され、旧国鉄の標準型客車と呼ぶべき存在だ。窓は2段式で、座席は背もたれが直立したボックス席。車内空間は質素で、華があるとは決して言えない。だが、トイレや洗面台も備えており、比較的長い距離を走る急行列車で運用できるのが持ち味だ。

 87年の国鉄分割・民営化後にJR西日本が引き継いだ12系客車を活用し、1950~80年に東京―熊本間などを結んだ国鉄時代の急行「阿蘇」をイメージした団体臨時列車が今年9月28日と29日、山陽線や鹿児島線などを駆けた。JR旅客各社と地元自治体などが参加する大型観光企画「熊本デスティネーションキャンペーン(DC)」が7~9月に開催されたのを機に、大手旅行会社の日本旅行(東京)が主催するツアーとして運行された。

 往路となる1日目は広島駅から熊本駅まで走り、本州の広島から下関駅(山口県下関市)まで電気機関車EF65の1100番台が牽引。下関駅でディーゼル機関車DE10の重連(2両)に付け替え、関門海峡を抜けて九州へ渡って快走した。

 ところが、博多駅(福岡市)から広島駅まで戻った2日目の復路は波乱の幕開けになった。博多駅出発が約1時間遅れ、「DE10の調子が悪かったため」(関係者)という。関西といった遠方からの参加者が多く、「広島駅で乗り継ぎを予定している山陽新幹線に間に合わないのではないか」と動揺が走った。

 到着時刻を見通せない中で不安が渦巻く客車内を歩いていると、車両の端のデッキ部分に手を洗うための洗面台を見つけた。白い陶製の洗面器の上には湯を出すためのボタンが左、水を出すボタンが右にあるという懐かしい構造だ。そして洗面器の右側には、現在は知っている新幹線や特急列車の洗面台には見られない陶製の「穴」があった。

12系客車の洗面台=9月29日午後

 ▽「穴」の正体は…。

 この穴の正体は何か?汚い話題になってしまって恐縮だが、たんを吐いて流すための容器「たんつぼ(痰壺)」だ。上部にあるレバーを回すと水が流れ、容器の中を洗浄する。

 しかし、どうしてこのようなたん専用の容器が必要だったのか?そこには日本がかつて直面していた当時の「不治の病」、結核の感染を何としても食い止めたいという深刻な事情があった。

 関連サイトなどによると、結核がまん延した大正7年(1918年)には、結核による死者が人口10万人当たり257人に上ったとされる。危機感を募らせた日本政府は翌19年に結核予防法を制定し、施行規則の第2条にはこう記された。

 「学校、病院、製造所または鉄道、電車、船舶、自動車、馬車などの発着待合所、劇場、寄席、活動写真館、旅店、下宿屋、料理店、理髪店、湯屋、その他地方長官の指定したる多衆の集合する場所または客の来集を目的とする場所には液体を入れたる適当箇数の唾壺(だこ)を配置すベし」

 大人数が集まる場所では結核菌に感染するリスクが大きいため、予防策としてたんつぼを設置するように義務付け、たんつぼ以外でたんや唾をまき散らすことを禁じた。その対象には鉄道の駅の待合室やプラットホーム、列車内なども含まれたのだ。

 戦前には通路の床に穴が並び、その下にたんつぼを設けていた客車もあり、今の常識から見ると気味が悪い光景が繰り広げられていたようだ…。

 ▽「不治の病」でなくなった後も…

 第二次世界大戦中の1944年に抗生物質のストレプトマイシンが発明され、結核は「不治の病」ではなくなった。それでも、51年に制定された同名の結核予防法でもたんつぼの概念は引き継がれ、戦後の列車内にも設置された。

 さらに12系客車で洗面器の横にたんつぼを併設した背景について、こう説明する鉄道愛好家もいる。「当時は貴重な水を洗面器にためて洗顔などに利用していた。このため、口でゆすいだ水を洗面器に吐き出すためにもたんつぼを使っていた」

これが12系客車の洗面器の右横にある「たんつぼ」=9月29日午後

 結核予防法は2007年3月末で廃止された。厚生労働省によると、18年の結核羅患率は人口10万人当たり12・3人と前年より1・0人減少し、結核による死者数も2204人と102人減った。列車の中でもたんつぼを見かけることはまずなくなった。

 なお、急行「阿蘇」風の列車で走ったのと同じ12系客車は、JR東日本が群馬県の上越線高崎―水上間で運行している蒸気機関車(SL)が牽引する列車「SLぐんまみなかみ」でも使われている。だが、こちらでは洗面台はたんつぼが姿を消している。それどころか、手をかざせば水が自動的出てくる自動センサー蛇口を洗面器に備え、温風で手を乾かせるハンドドライヤーまで設置しており、昭和時代の客車なのが信じられないハイテクぶりだ。

 ▽新製客車にもあった!

 急行「阿蘇」風の列車内でたんつぼがあるというとりとめもない話題を日本旅行の企画担当者の方に向けると、「実は2年前にできたばかりの客車にもたんつぼが付いているんですよ」と驚愕の事実を知らされた。

 これはJR西日本が新山口(山口市)―津和野(島根県津和野町)で運行しているSL列車「SLやまぐち」がレトロ客車を再現した35系客車の洗面台だ。昔の客車の雰囲気を醸し出すため、洗面器の横にたんつぼを設けたのだ。そんなこだわりも高く評価され、35客車は鉄道友の会の18年の最高賞「ブルーリボン賞」に輝いた。

 しかし、35系のたんつぼは「水で流すためのレバーが付いていない」とか。くれぐれも使わないように注意されたい。

 さて、出発が約1時間遅れた急行「阿蘇」風の列車は停車時間の短縮、さらに下関でDE10からバトンをつないだEF65の1100番台の力走といった関係各位の努力が実を結び、広島に定刻で到着!洗面器の横に「穴」がある客車とは裏腹に、旅行参加者のスケジュールに穴を開けることはなかった。

帰路のJR下関駅で、電気機関車EF65の1100番台を連結する際は大勢の鉄道ファンらが見学した=9月29日午後、山口県下関市

 【急行阿蘇】列車の名称は九州の中央部、熊本県の阿蘇地方にある活火山「阿蘇山」(標高1592メートル)に由来する。旧国鉄の急行「阿蘇」は夜行列車で、1950年から80年まで熊本発着で新大阪や名古屋、東京を結んでいた。「阿蘇」という列車名は消滅したが、JR九州は現在、運転席を2階に設けて先頭部を展望席にしたディーゼル車両「キハ183系」を使った特急「あそぼーい!」を豊肥線経由で別府(大分県別府市)―阿蘇(熊本県阿蘇市)で走らせている。

 ※「鉄道ナニこれ!?」とは:鉄道と旅行が好きで、鉄道コラム「汐留鉄道倶楽部」の執筆者でもある筆者が、鉄道に関して「なにコレ!?」と驚いた体験や、意外に思われそうな話題をご紹介する連載。2019年8月に始まりました。更新時期は不定期ですが、月に1回のペースを目指します。ぜひご愛読ください!

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