【明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は大村益次郎遭難から150年】 No.203

▲益次郎遭難の地周辺の様子(京都市)

(11月20日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

遭難

 9月4日午後6時頃、益次郎は京都三条木屋町の旅宿で、長州藩大隊司令・静間彦太郎、英学教授・安達幸之助らと2階の奥にある4畳半の部屋で歓談していた。

 そこに突然、2人連れの男が訪れた。長州藩士・団伸次郎、久保田藩士・金輪五郎である。

 彼らは、1階に降りてきた山田善次郎に益次郎への面会を申し出たが、益次郎からの返事は「明日、役所へ来るように」とのことであった。

 そこで2人は、「いや、ぜひ今晩ご面談したい」と、再度取次ぎを依頼した。この後、2人は、再び2階に戻ろうとする善次郎を後ろから斬り付けると、間断なく益次郎を襲った。この時、重傷を負った益次郎は、襖が倒れた隙に1階へと逃れ、浴室の風呂桶の中に身を潜めた。

 一方、2階の別室にいた兵部省作事取締・吉富音之助は、兇徒を鴨川の河原まで追いかけ、1人を倒したが、自らも傷を負い絶命した。彦太郎と幸之助も短刀で応戦したが、傷を負ったため、河原へ飛び降りた。だが2人は、そこに待機していた数人の兇徒により斬られた。兇徒らは幸之助を益次郎だと誤認し、「しめたしめた」と叫ぶと、間もなく引き揚げた。  

(続く。次回は12月4日付に掲載します)

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