朝鮮通信使の足跡「旅して」 対馬で風景画展 韓国人収集家が出品

朝鮮通信使の画員が描いた日本各地の名勝について解説する全さん=対馬市、上対馬総合センター

 江戸時代、朝鮮王朝が日本に送った外交使節「朝鮮通信使」に関する資料を集めている韓国人収集家、全遇泓(チョンウホン)さん(60)=釜山市在住=が、企画展「通信使画員の筆先から見る日本の名勝地」を長崎県対馬市上対馬町の上対馬総合センターで開いている。1748年の通信使に随行した画員が描いた日韓の風景画レプリカなど約30点を披露している。12月1日まで。
 朝鮮通信使は室町時代に始まったが、豊臣秀吉の朝鮮出兵で断絶。対馬藩が朝鮮王朝と江戸幕府の関係修復に奔走し、1607年から1811年まで計12回送られ、200年以上にわたる両国の平和を取り持った。10回目に当たる1748年の通信使は、徳川家重が9代将軍になったことを祝うため、約500人が往来した。日韓に残る朝鮮通信使の関連資料は2017年、ユネスコの「世界の記憶」に登録された。
 全さんは1996年にヨットで釜山から対馬に渡った際、朝鮮通信使に関する資料を見て「こんな歴史があったのか」と感動。翌年、ソウルの国立中央博物館所蔵の「槎路勝区図」=世界の記憶登録資料=を韓国の画家に模写してもらったレプリカ30点を含む朝鮮通信使ゆかりの資料169点を所蔵しているという。
 「槎路勝区図」は、朝鮮通信使の画員が釜山から江戸までの路程を描いたもので、釜山出港に始まり、日本最初の寄港地である対馬や、富士山を望む吉原(現在の静岡県富士市)の遠景、江戸城での国書交換式の模様に至るまでの30点が残されている。
 23日に同センターであった開幕式で、全さんは「朝鮮通信使の旅路は、世界的にすばらしい歴史観光のテーマとなりうる。当時の行程を旅するように鑑賞してほしい」と話した。展示品を見たソウル市の主婦、崔日順(チェイルスン)さん(62)は「対馬は初めて訪れたが、両国交流にとって大切な場所だということが分かった。政治とは関係なく、みんなが一緒にならなければという気持ちになった」と話した。

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