一億総バッシング、令和の危険な兆候 日本人の心はなぜ荒んでしまったのか?

 令和元年も残すところ1ヶ月。振り返ってみれば、新たな時代の幕開けに沸く一方、世論の分断や激しい非難と他者否定の言葉が飛び交う殺伐とした1年でもあった。日本人の心はなぜこれほどまでに荒んでしまったのか? 『バッシング論』(新潮新書)の著者で、日本大学危機管理学部の先崎彰容教授は、現代の日本が戦前とよく似た危機的状況にあると指摘する。その背景を専門の日本思想史の観点から紐解いてもらった。

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■タワマンや不自由展で繰り返された構図

 最近の日本を見てみると、「一億総週刊誌化」とでも言いたくなる現象が起きている。例えば、先日の台風19号で浸水した川崎市・武蔵小杉のタワーマンションを巡る騒動が記憶に新しい。新興セレブマンションの象徴が浸水した、いい気味だとでも言いたげな中傷がささやかれたのである。

 また天皇陛下の即位をめぐる一連の行事で、最も話題をさらったのは、安倍首相夫人のスカートの丈の長さだった。香港で学生が命がけで自国の尊厳を主張し、国家権力とその背後にいる大国と戦っている最中、わが日本の芸術家たちは「表現の不自由」を主張し、文化庁はなぜ金を出さないのだとまくし立てていた。

 溜息しかでないこれらの「事件」が起きる。すると、新聞であれ雑誌であれ、ネット記事も含めてお決まりの二項対立で意見を述べて、すみやかに忘れていく。

 表現の不自由展を例に言えば、いわゆる従軍慰安婦を象徴する少女像や天皇の肖像に火をかけた作品をもって、「国家権力は展示を弾圧した。表現の自由は蹂躙(じゅうりん)された」のだそうである。するともう一方の側は「こうした作品は少なくとも自費でやるべきだ。権力に反抗しておいて、文化庁に金をくれとは何だ」と気色ばむ。両者ともにずいぶんと興奮しているようだが、視聴者の大半は呆れている。あるいは飽きている。

 なぜなら「お決まりの意見」にしか聞こえないからだ。彼らの対立には既視感しかない。一週間程度騒いだ後に、興味は次の事件へと移っていく。新しい事件には事欠かないが、事件の構図はとても陳腐で変化がない。これをもって私は、現在の日本の状況を「一億総週刊誌化」と言っているのである。

 なぜこうなってしまったのか。敵対する陣営が、自分こそは絶対の正義だと主張しあい、相手を全面否定するようになったのか。なぜ日本人は今日、精神の「余裕」をここまで喪失しているのだろうか。私はその原因を、二つの観点から説明しようと思う。

不自由展で展示された「少女像」。抗議の声が相次いだ(10月14日撮影)

■日本人から消えた精神的「余裕」

 第一の理由は、1990年代以降、加速度的に進んだ新自由主義の影響だ。社会構造に柔軟性をもたせ、国際基準で激しく流動するヒト・モノ・カネの動きに対応する。そのためには規制を撤廃し、社会の風通しをよくせねばならない。これが新自由主義「本来」の目的のはずだった。

 しかし実際はどうなったのか。私たちが営むあらゆる社会基盤、人間関係から規制を取り払うとは、生活のリズムを奪うということである。蓄積してきた生活感覚や他者との距離感が壊れ、つねに変化し、流動するということだ。

 結果、私たちは「新しい」人間関係、「新しい」事態に身を置き緊張し続けねばならなくなる。新しい発想が新しい産業を生みだし、経済成長を促す。精神からは「余裕」が消えていく。

 この無限の変化に対応しつづける生き方が、伝統的な善悪の判断基準を社会から喪失させたのではないか。こうした生き方に私は反対である。人間関係の基本は競争になるし、物事の善悪の判断基準は「新しさ」になるからだ。ここで「基本」「基準」という言葉を使っていることに注意してほしい。

 私が言いたいのは、人間が日々の生活を営む際の「ものさし」、他人を評価する際に最も大切だと思う「ものさし」が、競争や自分への利益の有無で決めるのはおかしいという意味である。

 確かに私たちは、他人と商談する。接待もする。つまり利益のための人間関係をもっている。でも休日には、そうした利益と何の関係もない学生時代からの友人や家族との時間を楽しむ。ビジネスとは関係ない娯楽の時間をもつ。

 実利とは無縁な人間関係があってはじめて、私たちは競争の荒波に耐えられるのだ。つまり人生の「ものさし」は時間をたっぷりと含んだものであるべきであって、競争と正反対のもののなかにしか、存在しないのである。

■「マジメ」な人々が他者を否定する

 そして第二の理由は、この精神の「余裕」のなさが、きわめて「マジメ」な人を生みだしているということだ。

 近年のネット社会の発達で最も問題なのは、おびただしい数の「論客」が生まれたことにある。従来であれば、ある程度の知識を持ち、専門性をもった人間が論客と呼ばれ、彼らの文章がさらに新聞・雑誌等の編集者の眼によってチェックを受けて論説となった。つまり自分の考えを表明するまでに、幾重ものチェックを経て、世の中に流布されていたのである。

 ところが今日、この中間チェックが全スルーされてしまっている。自分の考えはそのまま直接、世間に投げだされ表明できるようになった。おびただしい数の「論客」が、自己意見表明のチャンスを得られているわけだ。

 なぜこの状況が問題なのか。理由は次の二点だ。自分の考えが公の場面に現れるまでの「時間」が決定的に短くなったこと。思いつきが公に直接、結びついたことで、チェックする他者の眼、意見を言ってくれる人とのやり取りの時間が奪われたことだ。

 現在の「論客」たちは、日々起こる事件に対し、いかに素早く、それなりの意見を言えるのかが勝負になってしまった。感情的な好悪が意見として堂々と渡り歩き、議論している風景をつくりだす。

 そこにはおびただしい「マジメ」な人々がいて、自己の正論を主張する。自分の立場、それ自体は問われることはなく、画面のこちら側から、安心して相手に対して善悪の判断をくだすことになるわけだ。

 こうして他者を否定する「マジメ」にして「余裕」なき人々が溢れる社会、しかも誰もが「論客」になることが可能な、とても平等で民主主義的?な社会ができあがっている。

 令和元年の私たちが生きている空間は、矢継ぎ早に起きる事件に対し、短時間にマジメな意見を述べては忘れる週刊誌社会になってしまったのである。

■現代と酷似、弱肉強食の大正時代で起きた凶行

 ところで、驚くべきことに、「マジメ」にして「余裕」なき人々が群れ集う時代が、戦前の日本にもあった。それが大正デモクラシーでお馴染みの大正時代である。

 弱肉強食の競争原理が働き、「優勝劣敗」の価値観が社会に蔓延。さらに格差も拡大していたのが大正時代の闇の部分である。まさに今日の日本における自由化やグローバル化と同じような状況が生まれていたわけだ。

 一例が「安田善次郎暗殺事件」。その詳細は拙著『バッシング論』(新潮新書)をご覧いただきたいが、当時、不況の影が忍び寄ってくる中で、非正規労働者救済のための宿泊施設をつくろうと思い立った一青年が、大財閥・安田善次郎のもとを訪問し、ホテル設立の金の無心に失敗してその場で殺した事件である。

安田財閥の創始者・安田善次郎

 安田善次郎とは、東大の安田講堂を寄付した人として、今日でも名前を残している。暗殺した朝日平吾という人物は、大正デモクラシーで牧歌的にもみえる時代の片隅で、自らの生きがいを見つけあぐねていた青年であった。

 彼の独自の論理によれば、当時、日本国民は天皇のもとで「天皇の赤子(せきし)」としてみな、平等だと言われていた。つまり、ある種の民主主義的平等の社会であるはずであった。

 その社会観からすれば、虐げられ、職業的にも不安定な若者である自分らは、平等から疎外されている。だとすれば、この社会をもっと理想状態に近づけるべきではないか。そのためには、財閥など金銭的に余裕をもった場所から、慈善事業のための資金が流れるべきではないか――。

 格差社会という言葉が常套句と化した現在、しかも「マジメ」にして「余裕」を欠いた令和の日本で、この大正時代の一青年の言葉と行動を、妄想であると笑うことはできない。むしろ、彼の几帳面なまでの正義観、真面目さは、現代社会に不気味な示唆を与えてくれるように思われる。

 私たちは、日々沸き起こる事件をスキャンダルとしてもてあそびつつ、きわめて危険な状態に入りかけているのかもしれない。

 それぞれが、自分が考える正義観を、バラバラに時代に処方しようと試み、それがうまくいかないと他者に批判と罵声を浴びせかける。この極めて多様化し小粒化した正義観が覆っている現代社会を、いかにして落ち着いた社会に戻していくのか。そのための方法は限られている。

 ただ一つだけ言えるのは、正義や正論はそう容易につくれるものではないこと、社会に激的な特効薬はないことを自覚することだ。そして歴史の教訓の中から、現代への処方箋を探る地道な試みをつづけること、つまり「時間」を取り戻すことである。(日本大学危機管理学部教授=先崎彰容)

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せんざき・あきなか 1975年東京都生まれ。東京大学文学部倫理学科卒業。東北大学大学院日本思想史博士課程単位取得終了(文学博士)。この間、文部科学省政府給費留学生としてフランス社会科学高等研究院に留学(2006‐2007年、国際日本学専攻)。 現在、日本大学危機管理学部教授。 著書に、『未完の西郷隆盛』(新潮選書2017年12月)、全訳・解説『文明論之概略』(角川ソフィア文庫2017年9月)、『維新と敗戦』(晶文社2018年8月)他。

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