第61次南極観測隊、参加するのは… 意外とあっさり決まった同行取材

南極に向け12日、東京・晴海旅客ターミナルを出港した観測船しらせ

 見送りというにはあまりに慌ただしかった。

 11月12日、東京・晴海旅客ターミナル。海上自衛隊員の家族らが手を振る中、 南極観測船「しらせ」は少しずつ岸壁を離れていく。2週間後には自分も乗り込むことになるはずなのに、「しらせ出港」の記事や写真の送信に追われ、感慨に浸る間もなかった。

 ▽記者は夏隊の「同行者」

 しらせが運ぶのは、第61次の南極観測隊。本隊は27日、成田空港からオーストラリアに向かい、西部の港町フリマントルでしらせと合流した。観測隊に同行取材をする記者(37)も本隊と一緒に成田から飛び立つ。

 第61次隊は、気候変動に伴って融解が懸念されている東南極最大級の「トッテン氷河」を集中的に観測する。そのため、例年は6~7週間程度の昭和基地滞在が、今回は4週間の予定。昭和基地の周辺では池の底の堆積物を採取し、昔の南極氷床の状態も探る。

 記者のように、本隊はしらせで昭和基地に向かう。ほかに東京海洋大の「海鷹丸」で海洋観測をする隊員、南アフリカ経由の飛行機で昭和基地から西に約600キロ離れたセールロンダーネ山地に向かう隊員もいる。セールロンダーネ山地は 岩がむき出しになっている所もあり、地質調査などを行う予定だ。

 活動期間の観点から観測隊員を見ると、これからやってくる南極の夏に活動し、 2020年3月に帰国する「夏隊」と、そこからもう1年滞在して21年3月に帰国する「越冬隊」に分かれる。第61次隊は夏隊42人、越冬隊29人で、このほかに高校教員ら「同行者」が約20人。記者は夏隊の同行者という立場だ。

 ▽来る場所間違えたんじゃ…と冷や汗

 「人間いつ死ぬか分からんなあ、ちょっとでも興味があることはやっといたほうがいいなあ」。そんな気持ちから第61次隊の同行取材に手を挙げたら、案外あっさりと通ってしまった。

 「日本新聞協会から同行取材の希望調査が来ている」。記者が所属する社会部の管理職からそんな案内が来たのは2月。親しくしている先輩が以前に行っていたこともあり、同行取材の枠組みは知っていた。そのころ、ちょっとした病気をしたこともあって健康なうちにやりたいことはやってみたいという気持ちになり、 応募したのだった。5月ごろには観測の実務を担う国立極地研究所(東京都立川市)から内定を伝えられ、そのころから準備を始めた。

野外行動でけが人が出たときの対処法を学ぶ第61次南極観測隊員=9月、東京都立川市の国立極地研究所

 面食らったのは6月に埼玉県皆野町であった「夏期総合訓練」という名前の合宿だった。一緒に行くことになる隊員らが集まり、観測や設営の計画、装備など準備すべきことが次々と説明されたのだが、いったい何から手をつけていいのやら。集まっている人たちは海洋や生物などの研究者をはじめ建築や調理などさまざまな分野の「プロ集団」。当然、モチベーションも高い。いわば「思いつき」で同行取材を希望した素人の私は「来る場所を間違えたんじゃないだろうか…」と冷や汗をかいた。

 その後も、極地研究所とのやりとりに社内の手続き、撮影や通信の機材選定と用意など、かなり忙しい。海外出張の申請書を書いたり、健康診断を受けたり。 その間には日常業務もある。「考えもせずに軽い気持ちで言うものではないなあ…」と思ったこともある。

 隊員たちに南極へ行きたいと思った理由を尋ねたアンケートの答えを見ると、「研究の試料がほしかった」「行っておかないと死ぬとき後悔しそう」「男のロマン」などさまざま。中には「仕事で仕方なく」との声もあり、ちょっとほっとした。

 記者は、気象庁を担当しているときに気象や地球に興味を持ち、気象予報士の資格を取得した。社内では「適任では」とも言われたが、南極観測の項目は多岐にわたり、気象以外は全くの素人だ。気象分野にしても予報の実務経験のない「ペーパー予報士」だし…。そんな記者だが、南極観測隊に同行した取材の様子を〝ぼちぼち〟伝えていきたい。(共同通信=川村敦、気象予報士)

南極・昭和基地=2017年1月

観測隊の活動|南極観測のホームページ|国立極地研究所

https://www.nipr.ac.jp/jare/activity/

© 一般社団法人共同通信社