【ストライカー対談前編】現役Jリーガー浅川隼人選手×元Jリーガー長谷川太郎氏

11月某日、都内某所で現役JリーガーでYSCCに所属し、今期二桁得点を挙げている浅川隼人選手(24)とヴァンフォーレ甲府などで活躍した元Jリーガー長谷川太郎氏の対談企画を行った。

異なる経歴の2人の共通点や相違点とは!?

1ゴールで人生が変わる 元Jリーガー長谷川太郎氏インタビュー サッカーニュース、速報、国内・海外。Golacoですべて

以前、当メディアでの長谷川太郎氏へのインタビューと筆者の浅川選手との出会いによって、今回の対談企画が実現した。ゴールを量産し、チームに勝利や多くの人に勇気や感動を届ける”ストライカー”の胸中を2人に聞いた。

辻本:本日はお忙しい中ありがとうございます。よろしくお願いします。

長谷川氏:よろしくお願いします。

浅川選手:よろしくお願いします。

辻本:長谷川氏は高卒、(柏レイソルユース)、浅川選手は大卒(桐蔭横浜大学)と違う経歴でJリーガーになられましたが、契約が決まった時の心境を教えてください。

長谷川氏:レイソルのユースに所属していた高校2年生の時に腰の怪我をしてしまいました。トップチーム昇格が危ぶまれていまいたが、治った後にチームメイトのGKがシュート練習に付き合ってくれたこともあり、高校3年生の時に出場したサテライトの鹿島アントラーズとの試合で得点を決めることができてトップチーム昇格が決まりました。とても嬉しかったのと同時にホッとしました。

浅川選手:僕はジェフのジュニアユースに所属し、ユース昇格できなくてそこで初めて挫折を経験しました。八千代高校から卒業後のプロ入りを目指していましたが、3年生のインターハイの県予選で敗退し、大学進学に切り替えました。JFLなどからの誘いもありましたが、夢を達成するためには、Jリーガーになることが最低限の目標だったのでJリーガーより下のカテゴリに行くことはあまり考えていませんでした。色々苦労しましたが、結果的にY.S.C.Cに入団することができて、ようやくスタートラインに立てたと思いました。

辻本:ここからは実際にJリーガーになられた後のことをお聞きします。それぞれ、高卒と大卒でJリーグに入られましたが、実際にJのレべルや現実はいかがでしたか?

長谷川氏:紅白戦で点を取ったり、当時クルゼイロに所属していた元ブラジル代表GKのジダから点を取っていました。第3節でデビューもして「意外にやれる」と感じました。当時の監督は西野朗さんでしたが、まわりから思ったより評価されず、試合にも出れずに苦労しました。自分の思っていたやれるとまわりの思っていたやれるっていうのは違いました。2年目に1対1に強い選手が入ってきて、自分がドリブルで抜けないのを感じました。プロの凄さを感じた1、2年目になりました。

浅川選手:僕にとってJ3と大学サッカーは天皇杯で戦うこともあり、勝ったりした経験もあるので「正直いけるだろう」と入る前は思っていました。しかし、実際はベンチ入りはありましたが1年目は1試合も出場できずに終わりました。「チームでは1番点を取る」ことをずっと意識していて、練習や練習試合でも1番点を取っていました。

「フォワードはやっぱり点を取らないと」と思っていて、「点を取り続ければそのうち評価される」と信じてやっていました。

ただ、監督の目指しているサッカーと僕のやれるサッカーにズレがありました。合わせようと思えば、合わせられましたが、そこで合わせると「自分の特徴が消えてしまう」と思ったので1年目はそれを貫くことをしてました。その結果、2年目に新しい監督になり、試合に出場させていただけるようになりました。

ストライカーで大切はこととは…「ゴールからの逆算」?

ここからはストライカーについてお聞きしていきます。

辻本:ストライカーとして、成功できる選手とそうでない選手の違いは何だと思いますか?

長谷川氏:どんな時でもゴールを意識できているかが大切です。自分がシュートを打つ時はもちろん、味方がシュートを打つ時も足を止めずにこぼれ球にどれだけ反応できているか。そこが点を決めることができる人、できない人の違いだと思っています。

浅川選手:僕はゴールを言語化できる選手だと思います。”ゴールからいかに逆算”できるかが大事だと思います。ファーストタッチしてからのゴールではなく、ゴールがあった中でのファーストタッチと考えると、ファーストタッチを意識しなくても自然と良いところにボールを置けたりすると思います。全てのゴールに理由があると思っています。こぼれ球の話が出ましたが、こぼれ球は”嗅覚”と言われますが、そうではなくてキーパーの位置やシュートのコースから逆算ができてるからこそ、こぼれ球に反応できるのだと思います。

辻本:ストライカーといっても色んなタイプの選手がいると思います。その中でストライカーとしての自分の武器は何だと思いますか?

長谷川氏:年代によって違いましたね。若い時はドリブルからのシュートでしたが、上のレベルになると通用しなくなってきました。サテライトリーグでは何年も連続で得点王でしたが、J1、J2では通用しませんでした。それはジョーカーでしかなく、見れるほうからすると「ドリブルばかりしてると自分勝手だな」と思われてたと思います。

甲府にいた時(2005年に同クラブでJ2日本人得点王)はまわりが私の良さを引き立てようと気を遣ってくれました。ゴールを取ることだけを考えさせてもらってました。動き出しも上手くできるようになり、ドリブルと動き出しがマッチするようになったのが2005年でした。

また、30歳を超えてから自分は言語化やゴールからの逆算ができるようになりました。それはフランサ選手(柏レイソルや横浜FCでプレー)と出会い、プレーを見て動き方を考えるようになったり、浦安SC(現ブリオベッカ浦安)時代に指導をしながら、プレーをしていた時に伝え方を考えるようになりました。感覚でやってきたのを色々と考え始めるようになり、30歳を超えたくらいからが1番サッカーが上手くなったと思います。それからはゴール前での駆け引きが武器になりました。駆け引きと言っても、キーパーとの駆け引きやディフェンスとの駆け引き、マークを外す駆け引きがありますが、マークを外すのが武器になりました。

浅川選手:今の長谷川さんの話、凄く良い話を聞きました!今の武器はオフ・ザ・ボールだと思います。これは小学校6年生の時から言われていて、試合で突然「隼人(ディフェンスの視野から)消えろ!」と口酸っぱく言われました。そして、ジェフのジュニアユース時代に佐藤寿人選手を指導していたコーチが僕のコーチでした。そこで、「プレースタイルが佐藤寿人に似ている」と言われ、そこから更に磨きがかかりました。八千代高校や桐蔭横浜大学時代もずっと周りに生かされていました。生かしてもらえば生きると思っていて、オフ・ザ・ボールは常に研究しています。

その中でもサッカーで1番好きなのはキーパーとの駆け引きです。キーパーの動いたところなど、どうやってゴールを取るか考えるのが好きです。自分のほとんどのゴールはキーパーとの駆け引きで、相手を抜くシーンはほとんどなく、ボールを貰った時点で相手との駆け引きを終わっていたいと

思っています。

長谷川氏:インザーギや大黒、玉田選手など多くの人をお手本にしてきました。若い時は色々やりすぎてしまいますが、自分を分析して武器を知ることは大切だと思います。ゴールまでを逆算できるかが大切だと思います。

浅川:僕は成長期が遅くて、スピードやドリブルでは勝負できなかったので、「どうすれば勝てるか」を考えて、そこを若いうちに気づけたのは良かったと思います。

時代と共に変わるストライカー 昔より求められることが増えた?

辻本:昔(10年以上前)はJリーグの得点王は26~30前後1シーズンで取ってましたが、最近のJリーグは20点くらいで得点王になっている選手が多いと思いますが、それにはどのようなことが影響しているのでしょうか?

長谷川氏:ブラジルでも最近、得点王の得点が減っているそうです。ディフェンスが組織的でコンパクトになってスペースが無いこと、ミッドフィルダーに対して、フォワードが合わせていたことも関係していると思います。昔はフォワードに対してミッドフィルダーが合わせてましたが、今は逆になってきて、「なんでここに出さないんだよ」っていうのが減っています。その上で、ディフェンスのレベルもあがってからではないでしょうか。

浅川選手:昔はフォワードとディフェンスが個人、個人で戦ってきたと思います。ディフェンスは抜かれたら失点、といった感じでしたが、最近になって個人に対して組織でディフェンスするようになっています。ディフェンスが強固になり、長谷川氏に付け加えさせてもらうとフォワードのタスク(求められること)が増えたと思います。

僕のイメージでは、昔は点を取っていれば良かったイメージですが今は守備も求められるようになっっていますね。守備ができないと、「この選手は守備ができない」という風潮になってしまうと思います。フォワードが守備してて、後ろに下がる分ゴールがアシストになったり、前線に上がり切れないことが増えています。

長谷川氏:たしかにフォワードに求められることは増えてますね。昔はスルーパスや1対1が多かったですが、最近は崩して、ラストパスに合わせるというゴールが増えていると思います。守備も求められるようになったのは間違えないと思います。昔のサッカーと今のサッカーでは、求められるものが違いましたね。昔は5回勝負して1本入ればOKという感じでした。あとはフォワードに対する言葉かけも変わりましたね。

浅川氏:たしかに、最近は「ミスするな」という風潮があると感じています。だから皆セーフティーなプレーをするようになってますね。育成年代とかは特にそうですよね。指導者がチームとして勝たせるために完璧を求めていて、チャレンジする子が減ってるし、ミスを恐れる子どもが多いと思います。

辻本:理想のフォワードや憧れ、目標の選手を教えてください。

浅川選手:ずっと佐藤寿人選手の背中は見てきましたが、この前(ジェフとの練習試合で)一緒のピッチに立った時に、「目指すのではなく、参考にして勝負しないと」と思うようになりました。今は、どこを目指そうと模索しています。昔は寿人選手を目指してきましたが、試合をしたことで、戦わないといけない選手になりました。正直、今は具体的に出てきませんが、ゴールを常に取り続けられるようになりたいです。

長谷川氏:いっぱいいますね。憧れなのはやっぱりカズさん(三浦知良選手)ですね。ロマーリオ選手とかも好きですが、今現在すごいと思うのは興梠慎三選手(浦和レッズ)ですね。興梠選手は日本代表に入っていても良いと思っています。

浅川隼人選手:興梠選手は本当にすごいです。ポストプレーヤーなイメージでしたが、研究していくとめちゃくちゃオフ・ザ・ボールが上手いです。だからオフ・ザ・ボールでDFを外してからのゴールが多いですし、相手を背負うときのディフェンスとの駆け引きも上手いのだと思います。オフ・ザ・ボールが上手い選手は本当に参考になります。

長谷川氏:ロマーリオ選手は足元の技術などがすごくて、フランサ選手は頭脳と身体能力だと思います。

興梠選手は身長が高くはないですが、オフ・ザ・ボールの動きは抜群に上手いですね。あとはビジャのプレー集を見ましたが、すごいです。

浅川選手:あれはワールドクラスですね。次元が違います。

後編へ続く

長谷川太郎氏プロフィール

1979年生まれ東京都出身。柏ユースから98年にトップに昇格し18歳でJデビューを飾る。02年に新潟へ、03年には甲府へ移籍。05年シーズンにはJ2日本人最多の17ゴールを挙げ、甲府のクラブ史上初となるJ1昇格の原動力に。その後、徳島、横浜FCを経て、09年からはニューウェーブ北九州(現ギラヴァンツ)でプレー。ここでも同クラブのJ昇格に貢献した。11年からは浦安JSC(現ブリオベッカ)でプレーしつつ海外移籍の準備を重ね、14年にインドリーグ1部のモハメダンSCに入団。3ゴールを記録した。14年末に引退を発表し、2030年W杯で得点王を生むためのプロジェクト「Tre2030 Striker Project」を立ち上げ活動している。

長谷川 太郎 (@TaroHasegawa) Twitterサッカーでゴールを量産するために「心」「技」「体」を整える方法 長谷川 太郎 本 通販 AmazonTHE KING OF STRIKERS

浅川隼人選手プロフィール

1995年5月10日生まれ。千葉アミカルSC-千葉U-15-八千代高-桐蔭横浜大と進み、2018年J3のY.S.C.Cに入団。1年目は出場0に終わるものの、2年目は開幕戦からスタメン出場し、2桁得点を記録。選手として結果を残しながら、レンタルJリーガーや子どもみらいサポーターとして活動し、ファンとの交流やサッカー指導、フィリピンのセブ島でのボランティアサッカー教室を行う。スポーツブランドhummel(ヒュンメル)と互いにサポート関係にあり、スパイクスポンサーなど様々な企画を行っている。

浅川隼人@レンタルJリーガー (@hayato_s11h) Twitter

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