「村上春樹を読む」(98)限られた人にしか見えない 「雨田政彦」と「免色渉」から考える『騎士団長殺し』

『騎士団長殺し』(新潮社)

 今春、作家40周年を迎えた村上春樹への6回続きのインタビューを文芸評論家の湯川豊氏と私の2人が聞き手となって行い、全国の新聞社に配信、大きく掲載されました。

 その拡大版が、村上春樹ロング・インタビュー「暗闇の中のランタンのように」として「文學界」2019年9月号に掲載されましたが、好評で1933年の創刊以来2度目の増刷となったそうです。

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 この「暗闇の中のランタンのように」の中で、次のような言葉が印象深く残りました。

 まず「騎士団長」について「誰にでも見えるものではない。見えるものにしか見えない」と村上春樹が語っていることでした。

 なるほどそうですね。『騎士団長殺し』(2017年)の中で、「騎士団長」が見える人間と見えない人間、最後まで見えている人間を考えてみることが大切だと思ったのです。

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 そして、もう一つ、こんなやりとりがありました。

 『騎士団長殺し』の最後に「私が免色のようになることはない」「なぜなら私には信じる力が具(そな)わっているからだ」と、主人公の「私」が考える場面があるのですが、その「私」と「免色渉(めんしきわたる)」との違いについて、村上春樹は次のように述べているのです。

 「免色さんは、まりえという少女が自分の子供かどうか、それがわからない人ですね。よその世界と繋がりを持つか、持たないかということの、その狭間にいる人です。何かに自分がコミットしているのか、していないのかということが自分でもよくわからない。自分ではすべてを把握しているように思っているみたいだけれど、本当はよくわかっていない。バランスを保ちながら、狭間を静かに彷徨(さまよ)っている」

 さらに、――そういう免色渉と「私」は違うのですね、と質問すると、

 「『私』が免色さんと一番違うのは、奥さんのことを好きなことなんです。奥さんが去っていっても気持ちが変わらない。戻ってくれば、もう一度最初からやり直そうと思う人なんです。そういう形のコミットメントを彼は求めている」

 続けて、――何がそうさせるんでしょうか、と問うと

 「もちろん愛なのですが、それ以上に、人と人との繋がりの信頼感というものが大事なことになります。免色さんには、そういう感覚が欠落しているんじゃないかな」

 と村上春樹は答えました。つまり『騎士団長殺し』は、人と人の繋がりの小説だということです。このやり取りもとても印象深いものでした。

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 このコラム「村上春樹を読む」は、私(小山)がインタビュー中に聞いた言葉は記さずに書いていますが、今回のインタビューは、その拡大版が雑誌掲載されたので、その中から、村上春樹の印象深い言葉を紹介しました。そして、これらの言葉を通して、もう一度『騎士団長殺し』を読み返しましたが、とても興味深かったので、それを記してみたいと思います。

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 まず「免色渉」という人についてです。「免色渉」は名前も変わっていますが、不思議な魅力を持つ人で、この物語を動かしていく重要人物の1人です。例えば『騎士団長殺し』という長編は、肖像画家である「私」が住むことになった小田原郊外の「雨田具彦」の家の敷地内に「穴」が出現することから大きく動き出しますが、その「穴」は「免色渉」が知り合いの地元の造園業者を呼んで、小型ショベルカーで掘ったことから現れてきます。

 そして「免色渉」は、自分から進んで、その「穴」に入り、「穴」の上部を蓋で塞ぎ、暗闇の中に自ら独り閉じこめられるという行為もしています。特異なパーソナリティーの持主ですね。

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 このように、いろいろな変わった魅力を発揮している「免色渉」なのですが、その「免色渉」について<よその世界と繋がりを持つか、持たないかということの、その狭間にいる人です><何かに自分がコミットしているのか、していないのかということが自分でもよくわからない><バランスを保ちながら、狭間を静かに彷徨っている>人間だと、村上春樹は述べているわけです。

 確かに、村上春樹が言うように、「免色渉」の行動は自分の娘かもしれない「まりえ」に対するものも中途半端です。「まりえ」が生活する家が、望遠鏡で覗ける土地を購入して、その場所に「免色渉」は暮らしているのですが、でも自分の娘であることを積極的に確認しようとするわけではありません。

 他者と結び付かず、その状態で<バランスを保ちながら、狭間を静かに彷徨っている>人間なのです。

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 この「免色渉」に対する村上春樹の考えを聞いて、自分の中に、ある登場人物のことが、ふっと浮かんできました。それは『騎士団長殺し』という絵を描いた「雨田具彦」の息子の「雨田政彦」です。

 「雨田政彦」は、この小説の登場人物としては、一番、普通の人です。他の登場人物を考えてみれば、その<普通さ>がよくわかります。

 「私」も妻の「ユズ」と別れて、小田原郊外の山中に1人住み、人妻と付き合ったり、自分の心の深い闇を抜けていく「穴抜け」のようなことをしたりします。「ユズ」も「私」と別れて、年下の男性と付き合っています。「免色渉」は謎の資産家で、1日数時間、書斎のインターネットを使って株式と為替を道楽のように動かすぐらいで、生活はこれまでの蓄えでまかなえるという人物です。「まりえ」の叔母「秋川笙子」とも付き合っています。「免色渉」の娘かもしれない13歳の「まりえ」もエスパー的な側面を持った少女です。

 政彦の父「雨田具彦」は留学時代、ナチス・ドイツによるオーストリア併合に際会していますし、具彦の弟「雨田継彦」は、日中戦争の南京戦に加わっています。

 このような登場人物たちの中で「雨田政彦」は特別なものを託されていません。

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 でも『騎士団長殺し』を読んでいて、この「雨田政彦」が登場してくると、ホッとするのです。そんな読者も多かったかと思います。私もその1人です。

 それは何故かを考えてみると、「雨田政彦」という人間は「世俗社会」(現実世界)と<しっかり繋がりを持った人間>として、この物語の中に存在しているからだと思います。

 それは<よその世界と繋がりを持つか、持たないかということの、その狭間にいる人です><何かに自分がコミットしているのか、していないのかということが自分でもよくわからない><バランスを保ちながら、狭間を静かに彷徨っている>という「免色渉」とは「しっかり繋がりを持っている」という点において、ある意味で対照的な人間です。

 でも「雨田政彦」が繋がりを持っているのは、この世ならざる「異界」ではなくて、この世の「世俗社会」(現実世界)です。いい意味で「世俗社会」と繋がりを持った人物として、『騎士団長殺し』の登場人物として、安定・安心を与えているのだと思います。

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 「免色渉」が「私」が住むことになった小田原郊外の「雨田具彦」の家の敷地内に「穴」を出現させることを手伝っているように、「雨田政彦」も「世俗社会」(現実世界)で、主人公「私」の手助けをしています。

 例えば、こんなことです。妻「ユズ」からの別れ話が出て、「私」が「ユズ」との家を出て、東北、北海道を車で旅した後、東京に戻って、「雨田政彦」に電話をかけると、「それならちょうどいい家がある」と応えて、自分の父親で、高名な日本画家である「雨田具彦」が使っていた小田原郊外の家を提供してくれるのです。「雨田具彦」は伊豆高原にある養護施設に入っていて、しばらく空き家になっていました。こうやって、小田原郊外での「私」の『騎士団長殺し』の物語が始まるのです。

 「雨田政彦」がいなければ、「私」が小田原郊外の「雨田具彦」の旧家に住むこともなかったわけです。その小田原の家ばかりでなく、絵画教室の先生のアルバイトを世話してくれたのも「雨田政彦」です。その絵画教室で人妻のガールフレンドが2人できましたし、また「まりえ」もその教室の生徒ですから、「雨田政彦」がこの物語を導いている部分も大きいですね。

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 でもだからと言って、「雨田政彦」が、「私」の住む敷地内に出現した「穴」に興味があるかというと、まったくないのです。むしろ、逆に敬遠しています。そのことを具体的に紹介してみましょう。

 その「雨田政彦」が最初に小田原郊外の「雨田具彦」が住んでいた家に「私」を連れて行く場面があります。「雨田政彦」は、この家には住まず、学校のことなどもあり、母親とともに都内の目白の家で育ったようです。ときどき泊まりに来たぐらいです。彼が独立して、10年前に母親が亡くなり、父親の「雨田具彦」はずっとここに独りで住んでいたそうです。

 その小田原の家の敷地内には、雑木林の中に小さな古い祠(ほこら)のようなものが祀られています。最初に「雨田政彦」が、家を案内してくれた時に、その祠まで、「私」を連れていき、「祠付きの家なんて今どきあまりないぜ」と彼は言って笑い、「私」も同意しています。

 「でもおれは子供時代、こんなわけのわからないものがうちの敷地の中にあることが薄気味悪くて仕方なかった。だから泊まりに来るときも、このあたりにはなるべく近寄らないようにしていたよ」と彼は語っています。「実を言えば、今だってあまり近寄りたくはないんだけどね」とも。

 でも、『騎士団長殺し』では、その祠あたりから、鈴らしき音が「私」に聞こえてきて、祠の裏の石の下を掘り返すと、「穴」が出現するという展開になっています。

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 「私」が「免色渉」の協力を得て、「穴」を掘る前、「雨田政彦」に電話して、許可を得るのですが、その時、「雨田政彦」は「しかし本当にその石の下で誰かが鈴を鳴らしていると、おまえは思っているのか?」と「私」に言います。さらに「もしそこを堀り返して、何か変なものが出てきたりしたらどうする?」「とにかくそのままそっとしておいた方がいいような、得体のしれないものだよ」と加えるのです。

 それに対して、「私」は「一度夜中にここにその音を聞きに来るといい。実際にそれを耳にしたら、このまま放置してはおけないということがきっとわかるから」と言いますが、「雨田政彦」は深いため息をついて「いや、そいつは遠慮しておく。おれは小さな頃から根っからの怖がりでね、怪談みたいなのが大の苦手なんだ。そんなおっかないものには関わり合いたくない。すべておまえに一任するよ」と応えるのです。

 さらに「どうなるかわからないけど、結果が判明したらまた連絡するよ」と「私」が言うと、「おれなら耳を塞いでいるけどね」と「雨田政彦」は言うのです。

 「雨田政彦」が「異界」に興味がなく、むしろ敬遠していたことが、よくわかるかと思います。

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 反対に「異界」に通じる「穴」を出現させることを手伝う「免色渉」は「異界」に興味を持った人間だと言えるかもしれません。

 これは、私(小山)の考え方にすぎませんが、「免色渉」が「異界」に関心があり、興味を抱いている人間かもしれないと思うのには、次のような理由もあります。

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 「免色渉」と「私」がまだ「穴」を掘る前、「免色」と知り合ったばかりの頃、「私」が「雨田政彦」に電話して、谷間の向こう側に住んでいる「免色」について、何か知らないかと聞きます。

 「メンシキ?」「いったいどういう名前なんだ、それは?」と「雨田政彦」が問うので、「色を免れる、と書く」と答えると、「なんだ水墨画のようだ」と「雨田政彦」が言い、「私」が「白と黒も色のうちだとよ」と指摘します。

 最初は「免色ねえ……その名前は耳にしたことがないと思うな」と「雨田政彦」は答えています。

 「私」はインターネットのグーグルで調べたが、「免色」の名は見当たらないことを伝えると「フェイスブックとか、SNS関係は?」と「雨田政彦」が聞きます。

 「いや。そのへんのことはよく知らない」と「私」は応えますが、「おまえが竜宮城で鯛と一緒に昼寝をしていたあいだに、文明はどんどん前に進んでいるんだよ」と「雨田政彦」は言うのです。ちょっと調べてみよう、何か分かったら、あとでまた電話すると話しているのですが……、でも、電話口で急に「雨田政彦」は黙り込みます。

 そして「メンシキ……」「前にどこかで、その名前を耳にしたような記憶があるんだが」と言います。「記憶が辿れない。なんだか、喉に魚の小骨がひっかかっているみたいな感じだ」とも加えています。

 ここまで、村上春樹が書いているのですから、きっと何かをうまく辿れば、「免色」の名前の由来に辿りつけるのかもしれません。残念ながら、現在の私(小山)には、はっきりしたことがわかりません。

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 その少しあとで調査していた「雨田政彦」から、電話がかかってきます。

 「免色という名前を持つ人は香川県に何人かいるみたいだ」「その免色氏は、なんらかのかたちで香川県にルーツを持っているのかもしれない」と「雨田政彦」が伝えるのです。

 さて、この「香川県」というところは、村上春樹作品の「異界」への入り口とも言える土地です。『海辺のカフカ』(2002年)では、登場人物たちが四国(死国)の香川県高松に結集しました。その香川県から、高知県の森の奥の「異界」に、主人公の「僕」が入って行きます。

 『ねじまき鳥クロニクル』では、「僕」の家の近くの路地に面した空き家の深い空井戸が「異界」への入り口となっていますが、その家の元の持ち主は「宮脇さん」という名前です。そして同作の第3部の冒頭部分で、その宮脇さん一家が、香川県高松市内の旅館で一家心中した事実が明かされています。このように村上春樹作品での「香川県高松」は「異界」への入り口なのです。「霊魂の世界」と繋がっています。

 ですから「免色」という名字が「なんらかのかたちで香川県にルーツ」を持つとしたら、「免色渉」は「異界」とどこか繋がる面を持った人物なのかもしれません。少なくとも、「異界」に関心・興味を抱いた人間なのかもしれません。

 ちなみに『海辺のカフカ』には、上田秋成の『雨月物語』の「菊花の約(ちぎり)」や「貧福論」のことが登場しますし、この『騎士団長殺し』には、同じ上田秋成の『春雨物語』の「二世(にせ)の縁」が出てきます。「二世の縁」は、地中から即身仏(断食死し、ミイラ化した行者)を掘り出す話です。

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 さて、最初に紹介した、村上春樹の印象的な言葉の一つ、つまり「騎士団長」は「誰にでも見えるものではない。見えるものにしか見えない」という点から、「雨田政彦」と「免色渉」を考えてみると、2人とも「騎士団長」が見えないのです。

 「雨田政彦」は「根っからの怖がりでね、怪談みたいなのが大の苦手」なのですから、「騎士団長」に興味もないし、むしろ敬遠しているわけです。「騎士団長」が見えないというか、この物語の中で「騎士団長」と出会う機会もないのですが、でも「免色渉」のほうは、彼が手伝って出現した「穴」から即身仏・ミイラの代わりに登場したのが「騎士団長」ですのに、「免色渉」にも「騎士団長」は見えないのです。

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 この「雨田政彦」と「免色渉」は、どうも何かの対になる人物として、『騎士団長殺し』の中にあるような気が、再読して伝わってきました。

 その部分を紹介してみましょう。

 「まりえ」に「私」が「大学時代の友だちが泊まりに来ていたんだ」と話す場面があります。「仲の良い友だち?」と「まりえ」が聞くので、「そう思う」「ぼくにとっては、友だちと呼べるただ一人の相手かもしれない」と「私」は答えています。

 続いて「メンシキさんは、先生にとって仲の良い友だちではない」と「まりえ」が「私」に聞くのです。

 「ぼくは免色さんという人のことを、友だちと呼べるほどはよく知らないんだ」「人と人が良い友だちになるには、それなりに時間がかかる。もちろん免色さんはなかなか興味深い人だとは思うけど」と「私」は答えています。

 この「私」と「まりえ」のやりとりからも、「雨田政彦」と「免色渉」を、ある関係性の中に置いて、考えているのではないかということが伝わってきます。

 その「私」と「雨田政彦」は美大でクラスが同じで、彼は「私」より2歳上ですが、大学を出てからもときどき顔を合わせていました。「雨田政彦」は卒業後は画作をあきらめて広告代理店に就職し、グラフィック・デザインの仕事をしています。

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 もう一つ、「雨田政彦」と「免色渉」の関係性を示しているのではないかと私(小山)が考える場面を紹介してみたいと思います。

 「雨田政彦」が「私」の暮らす小田原の家(つまり「雨田政彦」の父親の家)に泊まりがけでやってくる場面です。土曜日の午後4時前に、黒いボルボ・ワゴンを運転してやってきます。「真四角で実直頑強なボルボが彼の好みだった」とあります。いかにも「通俗社会」(現実世界)にしっかり繋がって生きている人ですね。

 この時、彼はわざわざ自分の出刃包丁を持参してやってきます。そして、伊東の魚屋で買ってきたばかりの大きくて新鮮な鯛を、台所でさばきます。

 鯛を買ってくるのは、以前「おまえが竜宮城で鯛と一緒に昼寝をしていたあいだに、文明はどんどん前に進んでいるんだよ」と「雨田政彦」が述べていたことと、関係があるのでしょう。2人で「鯛」を食べ、ひさしぶりに豪勢な食事を楽しんだ時も「今はもう二十一世紀なんだよ」と「雨田政彦」は「私」に語っています。これも「現実世界」への言及です。

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 そこで、2人はいろいろな話をしているのですが、それはあとで紹介するとして、一泊後、まもなく「秋川まりえ」と彼女の叔母である「秋川笙子」がやってくるにもかかわらず、「でもとにかく失礼するよ」「その二人の女性に会っていきたい気もするけど、東京に仕事も残してきたしな」と言って、帰っていきます。

 「秋川まりえ」は「免色渉」の娘かもしれない少女ですし、「まりえ」の叔母である「秋川笙子」は「免色渉」と性的関係を持っていく女性です。「雨田政彦」がこの2人と会わずに去るところに「雨田政彦」と「免色渉」の関係性が描かれているのではないか思います。

 「雨田政彦」と「免色渉」は、何かの形で対をなすように『騎士団長殺し』の中に存在していると思うのですが、「雨田政彦」は「通俗社会」(現実世界)としっかり結び付いた、しっかりと繋がった人間として在り、「免色渉」のように<よその世界と繋がりを持つか、持たないかということの、その狭間にいる人><バランスを保ちながら、狭間を静かに彷徨っている>人間とは世界が峻別されているのかもしれません。

 そして「私」は「ぼくにとっては、友だちと呼べるただ一人の相手かもしれない」と「雨田政彦」のことを語っているわけですから、「私」は<よその世界と繋がりを持つか、持たないかということの、その狭間にいる>ような人間より、「通俗社会」とでも「しっかり繋がりを持って」生きている人間のほうが、信頼できるということだと思います。

 ちなみに、タイトルに繋がる「騎士団長」を殺す際に、この時、「雨田政彦」が持ってきた出刃包丁が使われています。

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 そして、「秋川まりえ」と「秋川笙子」が来る前に、「私」が「雨田政彦」と、次のような会話をする場面があります。

 「ドストエフスキーの小説には、自分が神や通俗社会から自由な人間であることを証明したくて、馬鹿げたことをする人間がたくさん出てくる。まあ当時のロシアでは、それほど馬鹿げたことじゃなかったのかもしれないけど」

 そう「私」が「雨田政彦」に話すと、彼が「おまえはどうなんだ?」と尋ねます。「おまえはユズと正式に離婚して、晴れて自由の身になった。それで何をする? 自ら求めた自由ではないにせよ、自由は自由だよ。せっかくだから、そろそろ何かをひとつくらい馬鹿げたことをしたっていいんじゃないか?」と「雨田政彦」が語るのです。

 ここに「通俗社会」を生きる人間と、「芸術家」を目指す人間の違いとが記されているのだと思います。

 その後に、この作品のタイトルである『騎士団長殺し』の場面と、それに続く、深い心の闇を抜けて行く場面がやってくるのです。「芸術家」を目指す人、つまり、真の人間の姿を求める人という意味と考えていいかと思いますが、そういう人は「騎士団長」のような人を殺し、「自分の心の中の深い闇」をくぐり抜けていかねばならない、という意味なのだと思います。

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 同じ美大を出た友人で、「雨田政彦」は「芸術家」を目指すことをあきらめて、広告代理店に就職し、グラフィック・デザインの仕事をしているわけですが、真の「画家」(芸術家)になろうとしている「私」に対して、「雨田政彦」が、どう思っているかということも、しっかり書かれています。

 朝の10時過ぎに「雨田政彦」から電話がかかってきて、「急な話なんだが」「これから伊豆まで父親に会いに行く。よかったら一緒に行かないか? うちの父親に会いたいって、このあいだ言ってただろう?」と彼が言います。

 そして、彼のボルボに乗って、療養所にいる、あまり容態のよくないという「雨田具彦」に会いに行くのです。その車中、2人はこんな話をしています。

 「ときどきおれは思うんだ。むしろおまえが雨田具彦の息子だったらよかったんじゃないかって」と「雨田政彦」が言います。「私」は「よしてくれよ」と応えますが、「雨田政彦」は「でもおまえならそれなりにうまく精神的な引き継ぎみたいなことはできたんじゃないのかな。そういう資格は、おれよりはむしろおまえの方が具わっているんじゃないか」と言うのです。

 そう言われて、「私」は「雨田具彦」が描いた『騎士団長殺し』の絵を思い出します。「ひょっとしてあの絵は、私が雨田具彦から引き継いだものなのだろうか?」と考えるのです。それは「私」が「雨田具彦」の家の屋根裏部屋から見つけた絵です。

 そして、2人は療養所に着いて、死の床にある「雨田具彦」と対面します。「私」は「このあいだ初めて屋根裏部屋に上がりました」と「雨田具彦」に語りかけます。すると「彼の目が初めてきらり光ったように」見えるのです。

 「あの屋根裏はみみずくだけじゃなく、絵にとっても絶好の場所かもしれません」「とくに画材のせいで変質しやすい日本画の保存には適しているでしょう」

 「私」は『騎士団長殺し』を見つけたことを、横にいる「雨田政彦」には話していないので、慎重に言葉を選んでいます。

 「不思議だよ。おれが何を言ってもほとんど見向きもしなかったのに、さっきからおまえの顔を見たっきり、じっと目を逸らせたりもしない」と「雨田政彦」が言います。

 「その口調に軽い羨望(せんぼう)の響きが混じっていることに気づかないわけにはいかなかった。彼は父親に見られることを求めているのだ。それはおそらく子供の頃から一貫して求め続けてきたことなのだろう」と村上春樹は書いています。

 この作品の前半には「おれはとても芸術家にはなれそうにない」と「雨田政彦」がため息をついて言ったことが書かれていました。「父親からおれが学んだのはそれくらいかもしれない」という言葉も記されていました。

 「雨田政彦」も「芸術家」になれないことに自覚的ですが、「芸術家」を目指すには「雨田政彦」が敬遠している「祠の裏の石の下を掘り返す」ということが、どうしても必要なのかもしれません。

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 では、その「祠の裏の石の下を掘り返す」ことを手伝った「免色渉」は「私」のことをどう思っているでしょうか。

 「私は自分のことがときどき、ただの無であるように感じられます」「五十歳を過ぎて、鏡の前に立って自分自身を眺めてみて、私がそこに発見するのはただのからっぽの人間です。無です。T・S・エリオットが言うところの藁(わら)の人間です」と語るのです。

 このT・S・エリオットの「藁の人間」は『海辺のカフカ』にも出てくる言葉です。『海辺のカフカ』では、大島さんが「僕」に、次のように話しています。

 「僕がそれよりも更にうんざりさせられるのは、想像力を欠いた人々だ。T・S・エリオットの言う<うつろな人間たち>だ。その想像力の欠如した部分を、うつろな部分を、無感覚な藁くずで埋めて塞いでいるくせに、自分ではそのことに気づかないで表を歩きまわっている人間だ。そしてその無感覚さを、空疎な言葉を並べて、他人に無理に押しつけようとする人間だ」

 そう語っているのです。長編作品で、同じ言葉が反復して述べられているわけですから、村上春樹自身の強い思いなのでしょう。ただし「免色渉」は、そのことに自覚的ですが。

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 「免色渉」は「あなたを見ていてよくうらやましく感じるのです」「あなたには望んでも手に入らないものを望むだけの力があります。でも私はこの人生において、望めば手に入るものしか望むことができなかった」と「私」に語るのです。

 それを聞いた「私」は、おそらく「免色渉」にとって「秋川まりえこそが、彼にとっての『望んでも手に入らないもの』なのだ」と思っています。

 つまり、ほんとうの「芸術家」を目指す「私」に対して、「雨田政彦」も「羨望」を抱いていますし、「免色渉」も「うらやましく」感じているのです。

 ここでも「雨田政彦」と「免色渉」が、この物語の中で、対をなしていることが伝わってきます。

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 そして、「免色渉」には「騎士団長」が見えません。『騎士団長殺し』には「免色渉」が「私」を、自分の家での夕食に招待して、「秋川まりえ」の肖像画を描いてほしいと頼む場面があります。その席には「騎士団長」がずっと一緒にいて、「私」に話したりしていますが、「免色渉」には「騎士団長」の姿が見えないのです。「免色渉」は「騎士団長」に興味を抱いているにもかかわらず。

 その「免色渉」に対して、「秋川まりえ」が自分の娘であるかを確認しないで、「私の娘かもしれない」という可能性だけに留まっていることについて、「私」は「彼女の肖像画を壁にかけて日々眺め、そこにある可能性について思いを巡らせること――本当にそれだけでかまわないのですか?」と尋ねます。

 それに「免色渉」は肯き、次のように語っています。

 「そうです。私は揺らぎのない真実よりはむしろ、揺らぎの余地のある可能性を選択します。その揺らぎに我が身を委ねることを選びます」と答えるのです。

 この「免色渉」の認識のことを、村上春樹はロング・インタビュー「暗闇の中のランタンのように」の中で語っているのでしょう。

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 さて、では『騎士団長殺し』の中で「騎士団長」が見えるのは、誰かを考えてみると、まず「私」です。そして、『騎士団長殺し』の絵を描いた「雨田具彦」にも見えていると思います。

 「騎士団長」が療養所の「雨田具彦」の部屋に現れて、「さあ、あたしを断固殺すのだ」と「私」に言う時、「雨田具彦の顔面は今ではそっくり真っ赤に染まっていた。熱い血流が戻ってきたのだ」と記されているのですから。

 ちなみに、この療養所まで連れて行った息子の「雨田政彦」は、この「騎士団長」登場の場面の直前に、自分の携帯電話が鳴って、その応答のために、部屋を出ていて、その場面にいません。「雨田政彦」は「通俗社会」(現実世界)としっかり繋がった人として、ここでも、描かれています。

 そして、13歳の少女「まりえ」も「騎士団長」が見える人です。「免色渉」の家に忍び込んだ「まりえ」の前に「騎士団長」が現れて、彼女を導いています。

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 それなら、最後まで、『騎士団長殺し』という作品の中で、「騎士団長」が見えるのは誰かということを考えてみたいと思います。

 まず、「雨田具彦」は間もなく死んでしまいます。

 さらに、成長した「まりえ」も「騎士団長」が見えなくなるようなのです。

 『騎士団長殺し』の最終章「恩寵のひとつのかたちとして」は「私が妻のもとに戻り、再び生活を共にするようになってから、数年後、三月十一日に東日本一体に大きな地震が起こった」と書き出されています。

 その東日本大震災の二カ月後に小田原の家が火事で焼け落ちます。その家にあった「雨田具彦」の『騎士団長殺し』も、私が描いた『白いスバルフォレスターの男』という絵も焼けてしまいます。

 この章には、少し成長して、高校2年生くらいになった「まりえ」と「私」が電話で話したことが記されているのですが、その「まりえ」は「騎士団長が本当にいたなんて、今ではなんだかうまく信じられない」と語るようになっています。

 「まりえ」に対して、「私」は「騎士団長は本当にいたんだよ」「信じた方がいい」と伝えていますが、でも次のように村上春樹は加えています。

 「彼女は十代の後半を迎え、その人生は急速に込み入った忙しいものになっていくだろう。イデアやメタファーといったような、わけのわからないものに関わり合っている余裕も見出せなくなっていくかもしれない」と。

 つまり、この『騎士団長殺し』で、最後まで「騎士団長」を見ることができるのは「私」だけなのです。村上春樹の作品は主人公を最も遠くまで運んでいく物語ですが、この『騎士団長殺し』も、そういう物語になっています。

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 その「私」には、「名前」がありません。村上春樹にとって登場人物に対する「名づけ」はとても大切なものです。この物語の中で、「私」に名前がないということは、まだ「私」は「芸術家」の入り口にいて、これから「芸術家」となり得る人間として、成長していく過程にあるということだと思います。

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 結局、「私」は「ユズ」と別れず、「ユズ」と暮らしていない時期に、ユズが妊娠した娘を自分の子として、育てるのですが。その長女には「室(むろ)」と名づけられています。

 その子に「『騎士団長はほんとうにいたんだよ』と私はそばでぐっすり眠っているむろに向かって話しかけた。『きみはそれを信じた方がいい』」という言葉で、この長編は終わっています。

 ここに、自分の娘かもしれない「まりえ」を眺めるだけの「免色渉」との違いが記されているわけですが、「私」の娘への「室(むろ)」という名前について、少しだけ妄想的な考えを記して、長々書いてきた今回の「村上春樹を読む」を終わりにしたいと思います。

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 「室」を「むろ」と読む言葉としては、氷を夏まで貯蔵しておくため特別に装置した室や山かげの穴を言う「氷室(ひむろ)」などが浮かびますが、「室」には「すべてものの収まるところ」という意味があって、家の人すべて、一家・家族の意味もあるようです。そして「刀剣のさや」の意味もあります。

 単行本の装丁には「剣」があしらわれていましたので、その「剣のさや」の意味もあるのかなと、考えています。「ユズ」と別れず「元のさやに収まる」という意味もあるかもしれませんが、「騎士団長」は腰に柄(つか)に飾りのついた剣を帯びて、登場してきていますし、「本物の剣だぜ」「小さくはあるが、切ればちゃんと血がでる」としゃべっています。これが単行本の装丁の「剣」に反映しているのでしょう。

 「イデア」や「メタファー」というような、わけのわからないものに関わり合って、「芸術家」を目指す心の「剣」を持って、独り戦ってきた「私」の闘いが収まるところとして、「私」の闘いの継承として、「室(むろ)」という子どもを育てることになったということではないか……と想像しています。

 それは「血縁」ではなく、大切なものを引き継ぎ、しっかり育てるものとして、「私」にあるのではないかと、今回『騎士団長殺し』を読みかえして、思いました。そういう意味での「恩寵のひとつのかたちとして」あるのではないかと思えたのです。

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 「文学界」の12月号に連作短編『一人称単数』その6として、村上春樹の新作「謝肉祭(Carnaval)」という短編が掲載されています。「僕」が知り合った、容貌はひどいのに、人を引きつける女性と、シューマンの音楽を巡る話ですが、この作品については、まだ未読の人もいると思いますので、別な機会に紹介したいと思います。

 長々書いてきた最後に、自分のことで恐縮ですが、「文学界」の同号には「村上春樹・作家生活40年」の特集の一つとして、私(小山)が書いた「『舵の曲ったボート』の歴史意識――村上春樹、小説家40年を貫くもの」という文章も載っています。

 村上春樹に、これまで10回ほど取材してきた記者として、デビュー作『風の歌を聴け』(1979年)以来、村上春樹作品の中を貫かれているものについて考えたものです。村上春樹の新作の読後、よかったら、読んでください。(共同通信編集委員 小山鉄郎)

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