「違うやり方でファンと“つながり”を」。ザナルディ、ファンと積極交流で富士満喫/特別交流戦

 11月22~24日に富士スピードウェイで行われた『AUTOBACS 45th Anniversary presents SUPER GT×DTM 特別交流戦』。この大会にBMWの4号車M4 DTMで参戦したアレッサンドロ・ザナルディの周りにはつねに多くのファンが集まっていた。

 1990年代にはF1でも活躍し、そして1997~1998年に北米CARTで圧倒的な速さでチャンピオンを獲得したザナルディ。2001年にCARTで大きなクラッシュがあり両足切断という負傷に見舞われたが、その後もレーシングドライバーとして活動を続けてきた。

 2009年にモータースポーツの第一線を退いた後はハンドサイクリングに転向し、ロンドンとリオデジャネイロのパラリンピックで金メダルを獲得するなど、アスリートとして活躍し続けている。

 そんなザナルディは、富士で行われたスーパーGTとDTMの交流戦でおよそ1年ぶりにDTMマシンをドライブ。23日(土)に行われたレース1では「エンジンから異音が出て、少しパワーも落ちてしまった」ため、イレギュラーのピットインを強いられて完走は果たせなかった。

 しかし、続く24日(日)のレース2ではトラブルから復活して13位でチェッカー。予選は最後方の22番手だったが、セーフティカーのタイミングや荒れた展開を生き残ったことで、決勝レース中に一時は2番手まで浮上してファンを沸かせた。

アレッサンドロ・ザナルディは4号車BMW M4 DTM(左)をドライブした
ザナルディはスーパーGT×DTM特別交流戦レース2のリスタートでフロントロウにつけた

 レース2を終えて、「セーフティカー明けのリスタート時点でフロントロウにつけていたんだ。写真映りは完璧だっただろう」とジョークを飛ばしたザナルディ。

「レースウイーク終盤に入って、ようやくライバルと順位争いができるようになった。バトルもレースも楽しむことができたよ。クルマのパフォーマンスも素晴らしかった」

「このレースに参戦する機会を与えてくれただけでなく、私がドライブできる状態までマシンを仕上げてくれたBMWには感謝しているよ」

「ただレース自体が11月開催で気温が上がらなかったことは、私にとって厳しい状況だった。最高気温が30度に到達するなんて考えていたわけではないけどね」

「ライバルも同じ状況だったが、僕はこのサーキットを走った経験がなく、天候に翻弄された。タイヤにプレッシャーをかけることに苦労してしまったよ」

「でも、なんとかアジャストすることができたし、レース2ではバトルを楽しみながら走ることができた。週末全体の結果に満足しているし、チームも同じ気持ちだと思う」

BMWのピット裏では、ザナルディがサインや記念写真を求めるファンと触れ合う姿がたびたび見られた

 2019年型M4 DTMのドライブを満喫したと笑顔で明かしたザナルディは、このレースウイーク中、ファンとも積極的に交流。過密なレーススケジュールの合間にはほぼ必ずピット裏に姿を見せて、出待ちしているファンと交流を持っていた。

「日本のファンからは、いつもエールをもらっている。この週末は、ふだんとは違うやり方でファンのみんなと“つながり”を持ちたいと思っていたんだ。だから、自由にできる時間があれば、ファンと触れ合うことに注いだ。サインを書いたり、一緒に写真を撮ったりね」

「残念ながら時間の都合上、足を運んでくれたすべてのファンに応じることはできなかったが、楽しい時間を過ごせてもらえたと願っている。少なくとも私にとっては素晴らしい時間だった」

「2020年、今度はドライバーではなくパラリンピック選手として戻ってくるのが楽しみだよ」

 2020年の東京パラリンピックのハンドサイクリングへ出場を目指しているザナルディは、スーパーGTのタイヤテストが行われていた21日(木)にハンドサイクルで富士スピードウェイを周回し、パラリンピックへ向けた準備も進めている。

2020年東京パラリンピック出場も目指しているザナルディは、同競技の会場となっている富士スピードウェイをハンドサイクルでも走っていた
2020年東京パラリンピック出場を目指しているアレッサンドロ・ザナルディ

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