激務に耐える心臓外科医、後輩が入らず「いつまでも下っ端」で見えない希望

医師の「働き方改革」に関連して、勤務医のブラック労働が話題になっています。全診療科の中でもブラック労働で筆頭に挙がるのが外科、中でも心臓外科でしょう。昭和時代から数多くの医療ドラマで主人公となり、かつては花形として若手医師(多くは男性)を惹き付けていたのですが、近年の女医率増加やワークライフバランス重視の中で志願者が急減し、絶滅危惧種と言われるまでになりました。

今回は、北関東の公立病院でブラック労働に悩んでいる心臓外科医、園田先生のお財布と人生を覗いてみたいと思います。

※本稿は特定の個人ではなく、筆者の周囲の医師への聞き取りをもとにしたモデルケースです。


園田誠一郎先生(仮名):40才、北関東の国立E医大出身、北関東のE県立病院で外科副部長、病院隣接の官舎に単身赴任中、横浜市に妻と子ども一人

【平均的な月収】
病院からの本給 月約70万円(税引き前、別にボーナス3か月分)
当直手当金 一回2万円×月8~15回
各種謝礼など 0~5万円

【支出(母親分も含む)】
・住居費・光熱費・通信費:3万円(病院に隣接する官舎に単身赴任)
・食費:8~12万円
・車両費: 10~15万円(アルバイト先通勤や別居中の妻子面会、車で高速道路での移動)
・書籍・学会費:3~10万円
・妻子に仕送り:25~30万円

【資産】
不動産:なし
車:日産スカイライン
預貯金・株式・投資信託:約800万円

「男は外科!」で就職を決めた

園田誠一郎先生は、東京都内のサラリーマン家庭の出身です。都内の中高一貫進学校に入学し、担任に勧められた「偏差値相応の国公立医大」の一つだった北関東のE医大に進学しました。

E医大はかなりの田舎にありますが、スポーツマンの園田先生は水泳部・サッカー部と複数のサークルを掛け持ちして、充実した医学生生活を送りました。就職もサッカー部先輩との飲み会で「男は外科だろ!」と説得されて、すんなり母校の外科医局に入局しました。2003年春のことでした。

「白い巨塔」の下っ端生活

当時は医大卒業生の7~8割が母校の附属病院に就職し、外科系は「花形」として人気でした。外科研修医の生活は「月給18万円、1日15~20時間勤務、休日は月1~2日」でしたが、夏頃からは外病院の当直アルバイトを紹介してもらい、「当直料3万円」に大喜びしたものです。

先輩からはしょっちゅう叱られて、「レントゲンフィルム整理」「カンファレンス準備」など雑用に追われる日々でしたが、同期も多く、「痔」「ソケイヘルニア」「静脈瘤」と手術のレパートリーも増えてゆきました。心停止した患者を蘇生した時は、家族から涙ながらに感謝され、薄給激務ながら充実した日々でした。

新研修医制度、「下っ端」期間が3倍に

2004年度、新研修医制度が始まりました。新人医師は2年間、特定の医局には属さずに「内科→小児科→精神科」と多数の科をローテーションすることになりました。同時に、研修医の時間外労働は厳しく制限されることになりました。その結果、2003年度卒業医師は雑用まみれの下っ端期間が、事実上3年間に延びました。でも、この頃はまだ希望がありました。「2年間耐えれば、以前のように新人医師が入ってくる」と、園田先生や外科医局の同僚たちは信じていたのです。

新専門医制度の流れ

地方外科医、冬のはじまり

2006年春、2年間の総合研修を修了して大学病院に就職した若手医師は、塩野先生のように明らかに先輩とは異質な若者でした。「9-17時勤務、週休二日」の自由な2年間を過ごした後で、外科のような多忙科を選ぶ若手医師は激減しました。

入局した数少ない若手外科医も、「指導医から叱責」で突然辞める……も珍しくありませんでした。この頃からインターネットによる医師転職サービスが発達したので、突然辞めた医師も次の仕事探しには困らなくなってきたのです。

ネットの発達で、外科医局のブラック労働は広く知られるようになり、若手医師は地方医大よりも都会を目指すようになりました。そして、B医大のまどか先生のように、園田先生の「下っ端生活」は、まだまだ続くのでした。

「変わらない患者数」「入らない後輩」

卒業後10年がたち、園田先生は中堅と呼ばれる年代となりました。園田先生はE県立病院に出向し、外科副部長としてバイパス手術など高難度な手術も執刀する一方で、相変わらず新人のような雑用もこなしています。患者数は変わらず、「インフォームド・コンセント」「患者の権利章典」など、手術のための書類は増える一方です。会議も増え、「外科統括部長」「診療部長」「副院長」のような50、60代の管理職医師も増える一方だけど、外科には後輩が入りません。県立病院は典型的な年功序列組織なので、「当直月15回」の園田先生の給与が、「当直ゼロ」の管理職を上回ることはありません。当時、「年俸2000万円、窓際で昼間から新聞を読む管理職医師」は、「Windows 2000」と呼ばれていました。

また、園田先生は大学病院に勤務していた頃に、ネット婚活で出会った女性と結婚しました。新婚時代は県庁所在地で過ごしましたが、今の病院は北関東の隅、猪や鹿が出没する地域にあります。E県立病院への出向が決まった時、築40年の病院官舎を見た奥様は、速攻で子どもを連れて横浜市の実家に帰ってしまいました。「家族で一緒に暮らしたい」と何度かメールしましたが、弁護士経由で「夫にネグレクトされたので別居希望」「月25万円の婚姻費用を請求」の書類が返送され……それ以来は単身赴任です。

「働き方改革」のはずが

2016年頃から「働き方改革」として、病院に対しても労働基準監督署の立ち入り調査が入るようになりました。それまで見てみぬふりをしてきた医師の「時間外労働」「時間外手当金」についても、是正勧告されるようになったのです。

E県立病院にも新しい院長がやってきて、「経営刷新」「働き方改革」「残業月80時間以内」を唱えるようになりました。病院脇の官舎に一人暮らしの園田先生は、「Windows 2000」先生の受け持ち患者が急変すると、真っ先に病院に呼びつけられます。時間外勤務は月200時間を超えていましたが、80時間を超えた残業代を請求すると院長の決済印がもらえません。

「有休消化」を要求されて

「働き方改革」の波は医療界にも及び、E県立病院でも「有給休暇消化率90%以上」が求められるようになり、「Windos2000」の双璧だった外科統括部長と診療部長は、さっそく2週間の海外旅行に出かけました。園田先生は有休を未取得だったので、院長から呼び出され注意されました。「私が休むと、集中治療室が廻りません」と反論したところ、「有休を申請しておいて、出勤するのは自由だから」と院長に提案され……園田先生の中で、プツリと何かが切れました。

(後編に続きます)

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