新潟県内の政界関係者からも悼む声 中曽根氏死去

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田中角栄元首相(右)と握手をする中曽根康弘氏。中央は佐藤孝行氏=1981年、東京・平河町

 中曽根康弘元首相が死去した29日、新潟県の政界関係者からも「口先だけではなく実行力があった」「存在感のある政治家だった」などと悼む声が相次いだ。

 自民党中曽根派の流れをくむ派閥に属した元衆院議員の稲葉大和氏(76)は「国鉄や電電公社の民営化といった行政改革をはじめとする数々の大仕事を成し遂げられた。近年の多くの首相たちとは異なり、理念を口先で語るだけではなく実行が伴う方だった」と振り返る。

 父の修元法相が中曽根派に所属していた縁もあり、自身の結婚式で仲人を務めてもらったという稲葉氏。「政治家は信念を持つことが大事だと教えられた。国民と国家の行く末を常に本気で考えておられた方で、まさに『国士』だった。大往生とはいえ、さみしい」と悼んだ。

 中曽根派の流れをくむ「志師会(現二階派)」のメンバーだった元衆院議員の吉田六左エ門氏(79)によると、「憲法改正に向け、国民の合意づくりを急がなければならない」と執念を見せていたという。吉田氏は「憲法改正が進まない状況で、もう少しご指導をいただきたかった」としのんだ。

 現職当時、東京・平河町の砂防会館にあった中曽根氏の事務所をたびたび訪れ「指導を受けることが多かった」と懐かしんだ。

 2003年、中曽根氏は当時の小泉純一郎首相から73歳定年制の厳格適用を伝えられた。事実上の引退勧告で、吉田氏は当時の様子を「じだんだを踏んでいた」と振り返った。

 同じ二階派に所属する鷲尾英一郎衆院議員(42)=新潟2区=は「日本の歴史に残る方だった」と惜しみ、「緊密な日米関係の構築に大きな役割を果たした」と外交手腕を評価した。「日韓友好にも取り組んでおり、今の状況をどう思われていただろうか」と語った。

 かつて中曽根氏の秘書を務めた元郵政相(当時)の渡辺秀央氏(85)は、日本ミャンマー協会(東京)の活動などでも長く親交があった。渡辺氏の事務所の担当者は「多忙のため、29日中に取材に応じることは難しい」と話した。