教皇来崎 その意義・下 県平和運動センター被爆連議長 川野浩一さん(79) 被爆者を励まし後押し

「教皇が被爆者を励ましてくれた」と語る川野さん=西彼長与町高田郷の自宅

 被爆者の高齢化は年々進み、被爆者団体のリーダーが相次いで亡くなっている。残された被爆者は体力的にきつくなり、今後の核兵器廃絶に向けた運動を「本当にやっていけるのだろうか」と、最近は自信を失っているところだった。
 こうした中、ローマ教皇フランシスコが被爆地長崎を訪れた。爆心地で「焼き場に立つ少年」の写真パネルを傍らに置き、激しい雨の中で「核兵器のない世界は可能であり、必要」と訴える姿には心を打たれた。気持ちが落ち込んでいる私たち被爆者に対し、核廃絶に向けて「もっと行動しなさい」「声を上げなさい」と教皇が励ましてくれているように思えた。
 日本滞在中、教皇から核兵器禁止条約に踏み込んだ発言がなかったのは少し残念だった。バチカン(教皇庁)は2017年に採択された核兵器禁止条約を最初に批准した国。その立場から、日本政府へ直接的に批准を求める言葉を期待していた。それでも言葉の端々から間接的に批准を求める意図は伝わってきた。安倍晋三首相や政府は、こうした教皇のメッセージをくみとるべきだ。
 教皇の言葉や行動には感動したが、教皇が来ただけで世の中が劇的に変わるわけではない。1981年のヨハネ・パウロ2世の長崎訪問以来、核問題は現実的に何も変わっていないからだ。今後私たち被爆者に必要なことは、日本政府に対し核兵器禁止条約に賛同するよう求める世論を地道に形成していくこと。いま一度初心に立ち返り、「核兵器も戦争も必要ない」という言葉の意味を、次世代に伝え続けていかなければならない。
 教皇は今回の訪問で、次世代の若者たちが核問題や世界平和に関心を持つ種をまいてくれた。私たち被爆者だけでなく、平和を求める全ての人々に、その種を育てていく役割や責任は託された。核廃絶は、教皇が与えてくれた夢で終わるのか。それとも現実となるのか。それは私たちの努力次第だ。教皇は「諦めるな、可能なんだ」と背中を押してくれている。

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