コラム凡語:中曽根元首相死去

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 自主憲法制定が持論だった中曽根康弘さんは、現行憲法を「切り花」に例えていた。鮮やかできれいに見えるが「自分の根で水を吸い上げ、自分の花をつくっていない」▼ただ、戦後日本で憲法が果たした役割には「非常に大きなものがあった」とも(「憲法大論争 改憲VS護憲」)。改憲への熱意は、国の歩みと憲法の関係を熟知した上でのことだった▼首相就任後「戦後政治の総決算」を掲げた。国鉄民営化などの改革を進め、レーガン米大統領と親密な関係を築いた。行政機関肥大化の問題点や日米同盟の重要性を深く認識していたからだろう▼日本列島を「不沈空母」のように防衛するとの発言や、靖国神社公式参拝などタカ派色には批判もあったが、政権運営は現実を見据えた柔軟さをみせた。自民党最大派閥からハト派の後藤田正晴氏を官房長官に迎え、憲法に関する持論を封印した▼座禅や読書に親しむ教養人の顔も持つ。国際日本文化研究センター(京都市西京区)創設をツルの一声で決めたとされる。設置を働きかけた故梅原猛さんは「哲学にも理解があった」と語っていた▼政治家の人生は、なし得た結果を歴史という法廷で裁かれることのみで評価される-と自著に記す。1世紀を生き抜いた政治家の信念は、毀誉褒貶(きよほうへん)を超えて重く響く。