母国で迫害されても日本では… ロヒンギャ高校生サッカー交流

練習でゴールを決め、喜ぶ水野守さん(右)

 「パス出せ」「ゴール前に走れ」。澄んだ秋空に威勢のいい声がとどろく。

 群馬県邑楽町(おうらまち)の公園。在日のミャンマー人少数派・ロヒンギャのチームと多数派・ビルマ民族がサッカーの試合をしていた。

 ミャンマーは仏教徒が多数を占め、イスラム教徒のロヒンギャは政府に自国民族と認められていない。差別や迫害の対象となってきた。だが、そんなことがうそのように、時折、笑顔を見せながらボールを蹴り合った。

 在日ロヒンギャのチームを作ったのは、邑楽町に隣接する館林市在住のロヒンギャ2世、水野守(ロヒンギャ名・スハイル)さん(16)。そして、ミャンマー多数派だけでなく、ベトナム人や韓国人のチームなどとも試合を重ねてきた。

 いったいどんな思いからチームを作り、他の民族と試合をしているのか。水野さんの父アウン・ティンさん(51)は1992年にミャンマーを逃れて来日した。水野さんは2003年に館林市で生まれ、現在は栃木県佐野市の青藍泰斗高校の1年生だ。

 チームを作る決心をしたのは17年、中2の時。8月にミャンマー西部のラカイン州で治安当局とロヒンギャ武装集団が衝突し、ロヒンギャ民族70万人以上がバングラデシュに逃れ難民化した。

 日本に住むロヒンギャ約300人のうち約260人が館林市に住む。そのころ市内のモスク(イスラム教の礼拝所)では、誰もが暗い顔で事件の話ばかりしていた。インターネットのニュースで、子どもや女性、老人が暴力にさらされる姿が流れる。映像が目に焼き付き、みな苦しんでいた。父のアウン・ティンさんも、祖国に残した祖母や親戚の安否が分からず、ひどく心配していた。

 水野さんは仲間を元気づけようと中学から大学生まで友人5人に声を掛け、11月にチーム「サラマットFC」を結成した。サラマットは平和を意味するアラビア語。祖国の民族紛争の解決を願って名付けた。そして「宗教や民族が違っていても仲良くできると証明したい」と“国際試合”を申し込むようになった。

サラマットとビルマ民族チームの試合。ボールをキープする水野さん

 この日のビルマ民族対ロヒンギャの試合は、ビルマチームにスピードで圧倒され、前半は0―3と離された。守備を固めた後半、盛り返して2―3で終わった。水野さんは「交流できて良かった。年上の人が多く、何かと気を遣ってくれて、お兄さんのようだ」と笑顔で振り返った。

 ビルマチームの38歳の男性も「ミャンマーに生まれた人間同士、宗教は関係ない。母国も群馬のように一つになってくれたら」と話した。水野さんの目標は達成できたようだ。

 いま、チームのメンバー約20人のうち15人ほどがロヒンギャ。日本人やスリランカ人も加わっている。年齢は幅広く、小中学生から20代まで在籍する。週2回ほど練習する。

サラマットとビルマ民族チームとの試合の一場面

 難民申請中で就労や移動範囲が制限されるロヒンギャ人男性(45)もメンバーではないが、よく練習に来る。「働けなくて絶望したが、仲間とサッカーをすると気が晴れる」と明るい表情だ。チームが心のよりどころになっている。

 水野さんは語る。「こんなふうに違いを乗り越えて仲良くできることをミャンマー政府に見てほしい。将来はバングラデシュの難民キャンプにあるロヒンギャチームとも試合して、現地の人を笑顔にしたい」

 日本から、サッカーを通じて平和に貢献する道を思い描いている。(共同通信=宮崎功葉)

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