YAPOOS「令和元年、戸川純の芸能活動40周年を記念して13年ぶりに復活!」

石塚“BERA”伯広の呼びかけで再始動

──今回のヤプーズ復活は、石塚“BERA”伯広さんの呼びかけがきっかけだったそうですね。

戸川:そうなんです。BERAちゃんが「来年、このバンドで1枚出そうよ」と去年から言ってて、そうしようってことで。もともと私が常日頃から立てるようになったらヤプーズをやろうって話してたんですが、なかなか腰が良くならなくて。だけど完治するのを待ってるといつまでもやれないし、ライブでも基本は座りながら感極まった時、ちょくちょく頑張って立てばやれるんじゃないかということで、思い切ってやることにしました。ちょうど私の芸能活動40周年という節目でもあるし、しかも令和という時代の始まりでもあったので。

──デビュー10周年(1989年)は昭和の終わりに平成の始まり、20周年(2000年)は20世紀の終わり、30周年(2009年)は特に何もなく、40周年(2019年)の今年は平成の終わりに令和の始まりと、何かと時代の節目と縁がありますよね。

戸川:40周年はテーマみたいなものが特になかったんです。どんなアルバムを作ろうとか、何かカバーをやろうとか。10周年と20周年はそれぞれ『昭和享年』、『20th Jun Togawa』とカバー・アルバムをソロ名義で出したんですけど、30周年の時は世間でどんな曲が流行っていたのか知らなかったし、元号も変わらなければ新世紀でもないし、カバーをやるにも何をカバーすればいいんだ!? って感じだったので、テイチクさんのBOX(『TEICHIKU WORKS JUN TOGAWA〜30TH ANNIVERSARY〜』)を出すお話に乗ったんです。35周年(2014年)という半端な節目の時は非常階段の『咲いた花がひとつになればよい〜Hijokaidan 35th anniversary album〜』というアルバムに「好き好き大好き」で参加したんですが、そういう形式もありなんだなと思って、あの時真似てみました(笑)。

──そうだったんですか(笑)。

戸川:流行りの歌は疎いのでカバーもやれないし、今あえて平成のヤプーズをやろうと思ったんです。〈元号〉は今回のキーワードの一つですね。ボーナストラックとして「好き好き大好き」というソロ名義の曲を入れたのも、「既に昭和史に刻む勢いのジュ・テーム」という元の歌詞がBiS階段のカバーをきっかけに「平成に刻む〜」となり、今回は「令和史に刻む〜」と唄っているからなんです。「君の代」も「昭和も遠くになりにけり」を「平成も遠くなりにけり」に変えて唄ってますからね。平成はまだそんなに遠くないだろ? って話なんですが(笑)。

──歌詞が変わったと言えば、今回は「ヒト科」の歌詞で新たに付け足された部分がありますね。

戸川:2番のサビの部分を「ヒトは業や煩悩が 動物の頂点に/立つほどあるんだ ヒトは凄いんだよ」と補足的に書き足しました。私はわりと説明しちゃうタイプで、元の歌詞だけだと分かりづらいかなと思って。あと元号ネタで言うと、「平成ニッポン 豊かなニッポン」という歌詞のある「ヒス」も入れようかなと思ったんだけど、「クーデターなら過去あったけれど/革命なんか起こらないでしょう」という歌詞がちょっと引っかかったんです。個人的には革命も戦争も起きてほしくないけど、今の時代は何が起こるか分からないし、予見みたいなことは避けたいなと思って。その部分をラララ…にするのも潔くないし、ピー音を入れようか? という話もあったけど、臆測を呼んだり邪推されるのは本意じゃないし、結局入れるのはやめたんですよ。…あ、今思いついたけど、「革命なんか起こらなかったね」って過去のものにしてしまえば良かったのかも。そういう歌詞なら入っていたのかもしれません。

──戸川さんはその時々に応じて歌詞を変えて唄うことがわりと多いですよね。

戸川:意識して変えようと思っているわけじゃないんですけど、自分が精神的に成長していく過程で価値観が変わったりするもので。自分で初めて歌詞を書いた「玉姫様」、「諦念プシガンガ」や「蛹化の女」のように当時の価値観が今と全く変わらない曲もありますけどね。以前より気持ちが前向きになったことで、「本能の少女」のように「私が死んだって世界は変わらないし/生きている意味などいらない関係ないわ」という歌詞が「私が死んだって世界は変わらないが/生きている意味なら 作るわ自分で作るわ」という歌詞に変わったケースもあります。ただ、そうやって歌詞を変えたことで、あとに続く「生命力に水をさす/知性のベール脱ぎすてて」「尊重すべきは本能/基本の生存本能」という歌詞との流れが悪いというご意見もあって、なるほどと思いましたが(笑)。

進化した「赤い戦車」の最新型を聴かせたい

──それにしても、dipのヤマジカズヒデさんがヤプーズの正式メンバーとして加入したのは意外でした。2年前(2017年)の2月に新宿ロフトで戸川さんとdipが対バンした際、dipが「諦念プシガンガ」の秀逸なカバーを披露したのはよく覚えているのですが。

戸川:BERAちゃんと仲が良かった慎ちゃん(山口慎一)が推薦してくれたんです。BERAちゃんが「ヤマジはいいギターを弾くんだよ〜」と言っていたのもあって。BERAちゃんが亡くなった3日後に岡山でライブがあったんですが、そのライブに向けてリハをした帰りにBERAちゃんは事故に遭って亡くなってしまった。亡くなった翌日の朝に慎ちゃんから電話がかかってきて、BERAちゃんが亡くなったことを知らされた時は喪失感が凄かったけど、まるで現実味のない状態でした。昨日の夜遅くまで一緒にリハをしていたわけですから。

──その岡山でのライブで白羽の矢が立ったのがヤマジさんだったわけですね。

戸川:3日後どうしよう? 無理だろう、みたいな話だったんですが、これで岡山のライブをキャンセルするのはBERAちゃんが喜ばないだろうと私は思ったんです。それで慎ちゃんがヤマちゃんに頼んでみることにして、急なお願いにもかかわらずヤマちゃんは引き受けてくれたんです。しかもたった3日でほとんどの曲をマスターして、岡山のライブに参加してくれた。それと同じ時期に、昔、ヤプーズのメンバーでもあった、現・有頂天のコウちゃんが「僕にできることがあればいつでも言って」と男気の連絡をくれたんです。それで岡山の後のバースデー・ライブではヤマちゃんに弾いてもらいつつ、BERAちゃんに捧げる曲を2曲やって(「大天使のように」と「月世界旅行」)、コウちゃんにも終わりの3曲とアンコールでツイン・ギターとして参加してもらいました。

──ボーナストラックの「好き好き大好き」にBERAさんのクレジットがありますが、これはBERAさんのギターを重ねたということですか?

戸川:BERAちゃんのクレジットだけでも入れたい気持ちがあったんですけどそれだけじゃなく、「好き好き大好き」と「レーダーマン」のトラックにBERAちゃんが生前弾いたギターの音がデータとして残っていたんです。「レーダーマン」はソロ名義の曲だし、平成じゃないし、私の歌詞でもないから入れませんでしたけど。BERAちゃんは「好き好き大好き」をツイン・ギターにしたいということで、慎ちゃんの打ち込みに予め自分のギターを仕込んであったんですね。その音が入っていたからBERAちゃんのクレジットを入れたんです。

──なるほど。それにしてもヤマジさんのギターは万華鏡のように色彩豊かな音色で、すっかりヤプーズに溶け込んでいますね。

戸川:ヤマちゃんのギターは私もすごい好きです。大好き! BERAちゃんのギターももちろん好きだったけど。

──ライブ当日(2019年8月17日、渋谷クラブクアトロ)は「赤い花の満開の下」や「12階の一番奥」、「私の中の他人」といった珍しい曲も披露されていたし、そういった曲もぜひ収録していただきたかったところですが、収録曲は厳選に厳選を重ねたんですか。

戸川:まず〈元号〉の入った曲を入れたかったのと、「赤い戦車」のリアレンジを音源化する場はここがいいなと思って。中ちゃん(中原信雄)の作曲・編曲に慎ちゃんの新たなアレンジを加えたバージョンをいつ出そうかと以前から考えていて、ここだな、みたいな。

──どの曲を入れるかは出来を聴いてから決める、それがライブ・レコーディングの醍醐味だとMCで仰っていましたよね。

戸川:そんなちゃんと考えてるようなことを言ってましたか(笑)。「赤い戦車」に関しては、ライブならではの暑苦しい唄い方をしているんですよね。エモいと言えば聞こえはいいんですが。オリジナルは淡々と唄っていたんですが、今のアレンジで淡々と唄うと歌が掻き消されちゃうんですよ。あの音を浴びながら、淡々とした声をガーン! と上げるとハウっちゃうし、自ずと気持ちも上がるので「唄うぞ!」みたいな感じになるんです。

──ライブ特有の昂揚感も加味されるでしょうしね。

戸川:そうそう。たとえば『ヤプーズ計画』に入っている「コレクター」は多重録音を多用した曲で、それはスタジオでしかできないことをやりたかったわけです。一方、「パンク蛹化の女」はスタジオで録音したことが一度もない。あれは「蛹化の女」と比べてライブでしかできないことをやりたかったんです。そんなふうにスタジオでしかできないこと、ライブでしかできないことを分けてやってきたんですが、今回収録した「赤い戦車」はライブでしかできない表現なんですね。それと、新曲の「孤独の男」はウィスパーで、凄くちっちゃく唄ってるんです。聴いてくださった方の想像以上にちっちゃく唄ってる。トラックダウンの時にマイクの音量を上げたんですが、ライブでそこまでのウィスパーを上げるとやっぱりハウっちゃうでしょうね。だからそういうのはスタジオでしかできないことなんです。

これはまだまだ孤独じゃない

──「Y0817 -Introduction-」と題されたSEは、昔からヤプーズのライブで使われていたものですよね。

戸川:そうです。2種類くらいあるんですよ。タイトルに〈令和元年〉の付いていない、『ヤプーズの不審な行動』というライブ盤に今回とは違う出囃子が入っています。

──「ヴィールス」が終わった後の「こんばんは。私たちはヤプーズです」という戸川さんのMCに対する歓声が凄まじいですよね。みんなヤプーズの復活を心待ちにしていたんだなというのが窺えるようで。

戸川:ヤプーズとしては2006年以来、13年ぶりのライブだったみたいで。新宿ロフトで、新井田耕造さんをドラムに迎えたのが最後だったのかな。やっぱりヤプーズは自分にとってホームグラウンドだし、8月のクアトロはそれまであまりに間が空いて久しぶりだったので、「私たちはヤプーズです」は言いたかった言葉だったんです。

──僕らも聞きたかった言葉でした(笑)。どのライブ・テイクも素晴らしいのですが、なかでも「ヒト科」は絶品だなと思いまして。こうしたテイクを聴いてしまうと、『霊長類ヤプーズ品目ヒト科』と題されたアルバムは今後も陽の目を見ないものなのか…とどうしても考えてしまうのですが(笑)。

戸川:そうですねぇ…「ヒト科」も「12才の旗」も今回のアルバムに入れちゃいましたから(笑)。

──あの幻のアルバムは実際どの程度まで出来ていたんですか。

戸川:新曲をみんなで持ち寄ったり、すでに出来ていた曲でレコーディングしていないもののアレンジを考えたりしていたんですけどね。ボツ曲も多くて。ドラムとボーカル以外はデータで送り合ったりして。00年代のヤプーズはドラムレスの打ち込みでしたが。

──それが今回のライブ・テイクでは矢壁アツノブさんの生ドラムがビジバシと響いて文句なく格好いいし、オリジナルとはまた異なる魅力を引き出していますね。

戸川:今振り返ると、ドラムレスまで行くのは私個人には向いてなかったなと。爆音でテクノだから、イヤモニをしていてもボーカルのきっかけ以外、音の塊で聴こえるものですから。他の人が何をやっているのか分からないのでとりあえずデカい声で唄うしかなかったし、凄く体力を消耗するだけで、どれだけ唄っても唄っている感じがしなかった。ちなみに、私はヤプーズを始める前から体力作りのために走っていたんです。本当は今も走って痩せたいけど、腰を痛めた後遺症で運動自体ができないし、別に食べたくもないんだけど食べないとライブでフラフラしてしまうので努めて食べるようにしているんですが、それはちゃんと唄えるようにするためなんです。どれだけ体を鍛えたって私はアスリートじゃなく歌手なんだし、ちゃんと歌を聴いてもらうことが大事なわけだから、しっかり唄うためにどうすべきかを今は一番に考えていますね。

──スタジオ・レコーディングされたのは、先ほども話に出たアンニュイな曲調の「孤独の男」と、声優の宮村優子さんに提供した「12才の旗」のセルフカバーという対照的な2曲で、いずれも出色の出来ですね。

戸川:「孤独の男」は(ライオン・)メリィさんの曲で、締切ギリギリで何とか間に合わせて作りました。

──自作の歌詞に〈孤独〉という言葉をなるべく使わないのが戸川さんのモットーだったと思うのですが、歌詞だけではなくタイトルにまで〈孤独〉を使うのは異例中の異例なのでは?

戸川:それは、歌詞の中で「こんなものを孤独などとは呼んだりしない」、「これはまだまだ孤独じゃない」と唄っているから。〈孤独〉という言葉を使いたいと思ったことはこれまで何度もありますが、そのたびに私は「これはまだ孤独じゃない」と思うようにしてきました。あと、メリィさんから「違うタイトルも他にも知りたいです」というリクエストをいただいたので、「主観と客観の相違」というタイトルを考えたんですよ。その後、それをサブタイトルにすることも考えたけど、そこまでスペクタクルな曲ではないし、なんか違うなと思って。世の中にはもっと孤独な人がいると考えたら自分の置かれた状況を孤独だなんて言えない、だけど傍から見たら同じように見られるのかもしれない。その意味で「主観と客観の相違」なわけです。

──「孤独の女」ではなく、あくまでも「孤独の男」なんですね。

戸川:「孤独の女」だとダイレクトに自分のことと受け取られかねないし、私はそんなこと思っていないので。「これはまだ孤独じゃない」と思うようにすることは自分の中で凄く大事なことだけど、これまで歌詞にはしてこなかったんです。これでやっと陽の目を見たと言うか。

「12才の旗」は〈初潮おめでたい〉がテーマ

── 一方、「12才の旗」のテーマは初潮で、また随分と賑々しい曲ですが(笑)。

戸川:宮村優子ちゃんの『大四喜』というアルバムに入っているオリジナルは、もっとお祭りっぽい感じだったんです。『大四喜』自体が〈おめでたい〉をテーマにいろんな人が楽曲提供したアルバムで、私が歌詞を提供した「12才の旗」は〈初潮おめでたい〉ってことで(笑)。当時、私はなかなか歌詞が書けなくて、それでも締切が来ちゃったものだからガーッと書いて、「こんな歌詞しかできませんでした! ちゃんとしたのを今度書くから、もうちょっとお待ちください!」と急いでFAXを送ったんです。初潮をテーマにした曲なんてまず採用されないと思ったし、それでもう一つ書くことにしたんですよ。〈おめでたい〉がテーマだから、「おめでた」というタイトルそのままの歌詞を書くことにして(笑)。それもまたヒドい歌詞でね、今考えると。

──どんな感じの歌詞だったんですか。

戸川:最初は「『アレが来ない』って言ったら/どんな顔をするかしら」「男の人にとっては/恐ろしい言葉と聞いたから」、サビは「でも『でかした』って言った/『俺は父親になるんだな』って言った」、最後に「怖かったのは私のほうよ/おめでたい おめでた」という歌詞でした(笑)。それを送ってみたところ、宮村優子ちゃんとディレクターの女性の方から「どうか『12才の旗』にしてください!」と連絡をいただいたんです。えー、あんなのボツでしょ? 冗談でしょ!? と思ったんですが、先方は「あの世界観が素晴らしいし、中原さんの書いたおめでたい曲に不思議とハマるんですよ」なんて言う。それで送られてきた譜割を見たら、1カ所だけ歌詞が変わってましたね。「ハレ・ケ・ケガレじゃ ケガレの血だが」のところが「ケガレの血ではあるが」になっていて。あとは一切変わらずにハマっていたんです。「だが」が「ではあるが」になっても私としては何の問題もないけど、あんな勢いだけで書いた歌詞で本当にいいんですか!? と思って(笑)。一応、都庁へ行って歌詞の許可を得てきましたって言うんですよ。なんで都庁なんだろう? と思ったら、当時の都知事が石原慎太郎だったんです。おそらく右っぽい人たちから怒られることを懸念したんでしょうね。もしこの曲をボツにするとフェミニズムに抵触するということで、OKが出たということでした。

──宮村優子さんのオリジナルは、戸川さんの唄い方にそっくりですよね。

戸川:元々、声質が似てたんじゃないかな。それに、私がガイド・ボーカルもやりましたから。スタジオへ行くとまだアレンジを録音しているところで、大太鼓、お琴、三味線の音を入れることになって、お琴は本物の奏者の方が弾きました。

──そもそも宮村さんとはどんな関わりがあったんですか。

戸川:昔から私のファンだと言ってくださって、曲をお願いしたいとオファーを受けたんですよ。「12才の旗」の前に、最初に「女性的な、あまりに女性的な」という曲の歌詞を最初に提供したんです。特に括りもなく、自由に書いてくださいと言われて。曲が先だったんです。その曲は戸田(誠司)ちゃんに頼んだんですが、オケを聴いたら「メロどこ?」みたいな感じで。「『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』的な語りものです。よろしく!」というメッセージが添えられていました(笑)。

──「12才の旗」のヤプーズ・バージョンを聴くと、最初の「今夜は赤飯だー!」から最後の「バンザーイ!」まで本家本元はやはり腰の据わりが違うのを実感しますが(笑)、ちょっと沖縄民謡っぽさもありますね。

戸川:そうですね、チャンカチャンカしたところが。それはオリジナルを一人で編曲した中ちゃんとも話していました。「沖縄っぽいね」って。だから今回は本物のお祭りっぽい感じじゃない、あくまでバンド・アレンジなんです。

──宮村優子さんの他に、意外なところでは荻野目洋子さんにも歌詞を提供されたことがありましたが、そういった曲をご自身で唄ってみようと考えたことはありますか。

戸川:荻野目ちゃんに提供したのは「ヒューマノイド進化論」と「感傷的(メランコリック)サイバー・ベイ」ですね。最初はシングル曲でと言われたんですよ。歌謡曲の歌詞では特に普遍的なものを目指さず、タイムリーな言葉をあえて入れることを意識して書いたんですが、結局、2曲ともシングルにはならずにお蔵入りになってしまったんです。随分と後になってから『TRUST Me』というアルバムの再発盤に収録されましたけど、その時点ではもう歌詞がタイムリーじゃないわけですよ。そんなふうに歌詞が部分的に色褪せた曲は自分で唄おうとは思わないですね。

歌声を元に戻すのも女優復帰も諦めていない

──今唄ってみたいテーマ、歌詞にしてみたいのはどんなことですか。

戸川:歌詞を書き上げた、作品を作り終えた時はすべてを出し切った状態なんです。だから常にストックがない状況と言うか(笑)。たとえば「孤独の男」はヘンな言い方だけど日常のある側面がテーマと言うか、自分自身を慰めるみたいなイメージがありましたけど、そういうテーマなりイメージなりを出し切った以上、あとは空っぽなんです。今回もせっかくの機会だから新曲を書いてみようと思ったものの、やっぱり書かないほうがいいのかな? という葛藤も実はあったんですよ。自分の考えていることを内に秘めたままがいいのかな? って。だけど何とか書き上げて中ちゃんに見せたら「いいじゃん。この歌詞に共感してくれる人がいるかもしれないよ」と言ってくれたので、発表することにしたんです。

──実際、共感する人は多いと思いますけどね。

戸川:私は誰かを慰めたいとか、励みになってもらうとか、そんな使命感はゼロなので。常に自分のことしか考えていませんから(笑)。歌詞は常に自分自身のために書いているんです。私の歌詞に共感してくださったり、結果的に誰かを慰めることになったのならばそんなに嬉しいことはありませんけど、それを目的にはしていません。唄うこともそんな感じです。

──「吹けば飛ぶよな男だが」もそうでしたよね。女優になると夢見ていた大志を決して忘れるなと、自分自身に発破をかける意味合いもあったわけで。

戸川:そうですね。「親の為にでなく/彼 彼女でなく/ひとりおのれ自身の為だけにただうたおう」ですから。ちょっとクドいくらいに「自分の為だけ」と唄ってますけど(笑)。「赤い戦車」もそうですよね。「迷いなく確固たる動かぬ」って同じことをクドく3つも言ってますから(笑)。

──中原さんに歌詞を見せて感想を求めることからも、戸川さんにとって中原さんは良き理解者の一人であることが窺えますね。ヤプーズの結成当初からのメンバーであり、40年近い付き合いになるわけですから。

戸川:今のご時世的に言うと危ない言葉かもしれないけど、中ちゃんは私のことを戦友って言ってるんです。私もそう思ってます。今回のアルバムも結果的に中ちゃんの曲が多いですし。メリィさんの曲も大好きなんですが、メリィさんはなかなか曲が書けない中ちゃんを鼓舞するために曲を書いたりするんですよ(笑)。今回の「孤独の男」が最初はそうでした。

──今のヤプーズは人柄も演奏も素晴らしい面子だし、新曲も非常に手応えがあるので、令和のヤプーズがどんな展開を見せてくれるのか楽しみです。

戸川:今の布陣は私も大好きです。これで完全なスタジオ録音盤を作ってほしいと言われても、現時点では例によってストックがありませんけど(笑)。でも来年はヤプーズを名乗るライブが増えると思います。まぁ、難しいところなんですけどね。今やヤプーズを知らない人がけっこういるだろうから、集客面を考えると、ツアーで慣れてる純ちゃんの名義でやったほうがいいんじゃないか? とメンバーも言ってたり。

──戸川さんの中でヤプーズとソロの線引きはされているんですか。

戸川:ヤプーズのほうが激しい曲が多いし、圧倒的に体力が要りますね。あと、ヤプーズでは「バージンブルース」とか「吹けば飛ぶよな男だが」とかやらないと決めてる曲も多いし。その逆もありますし。

──あと、メンバーがナンバープレートを付けて登場するとヤプーズですよね(笑)。

戸川:プレートね(笑)。本当はずっと立ちっぱなしでライブがやれたらいいんですけど。今は「愛してるって言わなきゃ殺す!」と立って叫ぶとか、感極まった時だけしか立ち上がれないので。「ヴィールス」とか、「赤い戦車」の終わりで立つとかね。あと、何とか全部原曲のキーで唄いたい気持ちもあるんです。腰をケガしてから2年のブランクが空いてライブをやることになって、カラオケボックスで一人猛特訓したんですよ。生音には敵わないけど、ヤプーズやソロの曲をでっかい音でかけながら唄ってみたりして。最初は1オクターブくらいしか出なくて唖然としましたね。昔は3オクターブ半をキープしていたのに。でも今は昔ほどじゃないけど何とかファルセットも出るようになったし、少しでもレンジが広がるようにカラオケで訓練しているんです。何と言うか、私は諦めたくないんですよ。どれだけ人に笑われようが、前みたいに唄えるようになりたいので。たとえば「12階の一番奥」は、ちょっと声が荒れていたほうが味があるのではないかと思っていたんですが、今はあの曲をリリースした頃の声で唄えているんです。

──戸川さんはそうやって今も何一つ諦めていませんよね。「諦念プシガンガ」という曲を唄ってはいるけど、歌に関しては何一つ諦めず、退化してしまった発声法や健康な体を取り戻そうと絶えず努力をされていますし。

戸川:唄うことが大好きだし、一生唄い続けていきたいですからね。訓練は本当にきついですが。元のような唄い方にはまだ完全に戻ってはいないけど、ここまでは何とか来たなという感じなんです。今回のアルバムもピッチを機械で直すとかは一切してませんからね。とにかく自分の好きなように、思ったように唄えるように戻りたいです。それに、女優に本格的に復帰することも諦めてないんですよ。去年、『グッド・デス・バイブレーション考』という舞台に出演もしましたし。舞台に出るのは12年ぶりで、相変わらず腰は痛かったけど、今の体で芝居ができたのは奇跡的でした。私に当て書きしてくれた松井周さんには、本当に感謝しています。

──こうして話を伺っていると、戸川さんは〈生きること〉と〈労働〉、あるいは〈一人感〉というご自身のテーマにずっと変わらずこだわり続けているのを感じますね。

戸川:声を元に戻すだの、また女優をやるだの、どこかから「そんなの無理に決まってるじゃん」という声が聴こえることもあるけど、私は諦めませんね。この先、何があるかまだ分かりませんよ。突然結婚するとか(笑)。さすがに子どもは諦めましたけどね。諦めたつもりはなかったんだけど、〈生きること〉や〈労働〉を重視するとできなかったんです。子どもはちゃんと面倒を見てあげないと、片手間じゃ可哀想だし。二足の草鞋とか立派なことは私にはできないし。まぁそれはともかく、歌も芝居も今よりもっと上まで行きたいし、その思いを糧にしながらこれからもずっと、そうですね、私の歌詞にわりとよく出てくる言葉で言うなら、ひた走り続けたいですね。

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